シドニーオリンピックが、多くの感動や記録を残して、大成功のうちに閉幕しました。そして今、パラリンピックの開幕を直前に控えて、スポーツの秋は第2幕を迎えようとしています。
パラリンピックは4年に1度、オリンピックと同じ開催地で行われ、現在では”もう一つのオリンピック”として、日本でも広く認知されるようになりました。私たち障害を持ったアスリートも、この世界最高の大会に出場することの名誉と、活躍することを夢見て日夜厳しい練習に励んでいるのです。
シドニーパラリンピックは今月18日の開会式を皮切りに29日まで12日間にわたり開催されます。近年ではパラリンピックも大きな注目を浴びるようになり、テレビや新聞といったメディアからの取材依頼も非常に増えてきたように思います。
私も9月12日に帰国した直後から、多くの取材やテレビの出演をさせていただきました。また、今月2日に住所地である本埜村をはじめ、留学でお世話になっているダスキンが主催する講演会や県庁への表敬訪問と、売れっ子のタレントのようにあちこちを回る毎日でした。
正直なところ、少し戸惑うこともありましたが、これだけ多くの方が注目し、応援してくれていると知ったことは、選手としても、今後障害者スポーツの発展を目指す人間としてもうれしく思いました。そして、取材で毎回のように聞かれる、大会に向けての抱負や目標を語ったり、支給されたユニホームを見ては、大会への気持も充実しています。
また、今回は初めてNHKが放映権を取得し、万全の体制を取ってパラリンピックの模様を伝えてくれるとの朗報も入り、気合が入ります。今まであまり馴染みのなかった人たちにも選手の活躍を見てもらうことができるのでは、と期待を寄せています。放送は地上波(総合・教育テレビ)で、開会式も生で放映されるとのことですし、連日ニュースや特集番組も組まれているので、ぜひ私たちの活躍をテレビで観ていただき、日本選手への大きな応援をお願いしたいと思います。
ちなみにバスケットは19日から予選が行われます。地元オーストラリア戦でスタートを切ります。
2000年10月01日
Gシドニーパラリンピック18日開幕(2000年10月掲載)
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2000年09月01日
Fシドニーの前哨戦「ルーズベルトカップ」(2000年9月掲載)
8月末にジョージア州ウォームスプリングスで開催された車いすバスケの国際大会”ルーズベルトカップ”の模様をお伝えします。
今回の大会は私が住むアラバマから車で約2時間と、近い所で開催されたため、私はマイカーでの参加でした。
まずアトランタ空港で日本から来るほかの選手を出迎え、合流してピーチツリー市で3日間の調整合宿に入り、その後大会開催地へと移動しました。
この大会は毎年8月に開催されていて、主催側が招待する国々が参加して行われる、単発的な交流戦という位置付けです。しかし今回は多少違った意味を持つ大会となりました。参加8か国の全てがシドニーパラリンピックの出場権を得ている点です。しかも世界ランキングのトップから8か国が招かれているとなれば、これはまさしくシドニーの前哨戦といった思惑が漂っていました。
大会は総当りのリーグ戦を行って上位4チームのみ順位決定戦が行われる方式です。日本は2勝5敗で6位という結果に終わったのですが、現時点で世界ランク2位のオランダやイギリスといったヨーロッパの強豪に最後の1分までもつれる接戦を演じ、世界でも上位を狙えるところまで力を付けていることは日本はもとより、各国の選手や役員も認めていました。また、今回は今まで無敵を誇っていたアメリカがカナダに敗れ準優勝に終わるなど世界のレベルが均衡していることもはっきりしました。これによって本戦の行方はまったくつかめない状況になりましたが、私は逆に日本にも大いにチャンスがあると思います。
この大会期間中にアトランタ近郊に住む日本人会の人たちが、空港での送迎や日本食の差し入れ、歓迎パーティー、連日大勢での応援など、同郷というだけで本当に厚い歓迎を受けました。そして選手は万全で試合に臨むことが出来ました。
このような交流が持てることは素晴らしいことだと感謝しております。私達を支えて下さるこれら多くの方々に、ぜひ本戦の結果を持ってお応えしたいと決意しています。
※次回は本戦直前の模様をお伝えします。
今回の大会は私が住むアラバマから車で約2時間と、近い所で開催されたため、私はマイカーでの参加でした。
まずアトランタ空港で日本から来るほかの選手を出迎え、合流してピーチツリー市で3日間の調整合宿に入り、その後大会開催地へと移動しました。
この大会は毎年8月に開催されていて、主催側が招待する国々が参加して行われる、単発的な交流戦という位置付けです。しかし今回は多少違った意味を持つ大会となりました。参加8か国の全てがシドニーパラリンピックの出場権を得ている点です。しかも世界ランキングのトップから8か国が招かれているとなれば、これはまさしくシドニーの前哨戦といった思惑が漂っていました。
大会は総当りのリーグ戦を行って上位4チームのみ順位決定戦が行われる方式です。日本は2勝5敗で6位という結果に終わったのですが、現時点で世界ランク2位のオランダやイギリスといったヨーロッパの強豪に最後の1分までもつれる接戦を演じ、世界でも上位を狙えるところまで力を付けていることは日本はもとより、各国の選手や役員も認めていました。また、今回は今まで無敵を誇っていたアメリカがカナダに敗れ準優勝に終わるなど世界のレベルが均衡していることもはっきりしました。これによって本戦の行方はまったくつかめない状況になりましたが、私は逆に日本にも大いにチャンスがあると思います。
この大会期間中にアトランタ近郊に住む日本人会の人たちが、空港での送迎や日本食の差し入れ、歓迎パーティー、連日大勢での応援など、同郷というだけで本当に厚い歓迎を受けました。そして選手は万全で試合に臨むことが出来ました。
このような交流が持てることは素晴らしいことだと感謝しております。私達を支えて下さるこれら多くの方々に、ぜひ本戦の結果を持ってお応えしたいと決意しています。
※次回は本戦直前の模様をお伝えします。
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2000年07月01日
E車を作り、レースに参加(2000年7月掲載)障害者と健常者、一切カベない米国、日本の閉鎖的姿勢がバリアに
6月に決定したパラリンピックの出場に喜んでいたのもつかの間、全日本の合宿などで先月も一時帰国をするなど、日米間を行ったり来たりの生活で、本題である指導者研修が思うように進まず、苦労している今日この頃です。
さて、今回はリトルスリックスという財団の事業を紹介します。これは、レーシングカーを子供たちと一緒に作り上げて、実際にレースへ参加するという、日本では想像もつかない事業です。基本的に対象は障害児なのですが、ここでも興味があれば障害の有無に関係なく参加できるため、障害者・健常者の”カベ”は一切ありません。開催は月に1、2回で主に土曜日に開催され、参加費用は無料です。その代わり財団は実際のレースやメディアなどを使って宣伝活動をするというからくりです。
子供たちは実際に図面を見ながら、油まみれになってボルト締め等の組み立て作業に携わります。中には重度で電動車イスの子供も参加しているのですが、作業が手伝えない分、図面の解読や指示に回って参加しているのです。
始めて参加したときは、「こんなことに大金を費やして何になるのか?」と疑問を感じてしまいましたが、夢中で作業をする彼らの姿を見て、無駄ではないことを実感しました。日本ではやる前に「障害者では無理」と決め付けて、その機会さえ与えられないことが多いのですが、アメリカでは子供たちの可能性を広げるために、どんなことでも挑戦する機会を与える環境があります。
もしかすると将来彼らの中から、レーサーやプロのメカニックが生まれるかも知れませんし、自動車関連の職に就く子も出てくるのでしょう。
私は障害を持ってからの14年間を通していつも思う事があるのですが、それは日本が閉鎖的で情報の流れも悪く、チャレンジする機会さえ与えられないことが多いということです。やはり知らされないことが大きなバリア(弊害)になっているような気がしています。これらの流れを少しでも変えることが出来れば…。改めて自分が渡米した目的や将来の夢を実感しています。
さて、今回はリトルスリックスという財団の事業を紹介します。これは、レーシングカーを子供たちと一緒に作り上げて、実際にレースへ参加するという、日本では想像もつかない事業です。基本的に対象は障害児なのですが、ここでも興味があれば障害の有無に関係なく参加できるため、障害者・健常者の”カベ”は一切ありません。開催は月に1、2回で主に土曜日に開催され、参加費用は無料です。その代わり財団は実際のレースやメディアなどを使って宣伝活動をするというからくりです。
子供たちは実際に図面を見ながら、油まみれになってボルト締め等の組み立て作業に携わります。中には重度で電動車イスの子供も参加しているのですが、作業が手伝えない分、図面の解読や指示に回って参加しているのです。
始めて参加したときは、「こんなことに大金を費やして何になるのか?」と疑問を感じてしまいましたが、夢中で作業をする彼らの姿を見て、無駄ではないことを実感しました。日本ではやる前に「障害者では無理」と決め付けて、その機会さえ与えられないことが多いのですが、アメリカでは子供たちの可能性を広げるために、どんなことでも挑戦する機会を与える環境があります。
もしかすると将来彼らの中から、レーサーやプロのメカニックが生まれるかも知れませんし、自動車関連の職に就く子も出てくるのでしょう。
私は障害を持ってからの14年間を通していつも思う事があるのですが、それは日本が閉鎖的で情報の流れも悪く、チャレンジする機会さえ与えられないことが多いということです。やはり知らされないことが大きなバリア(弊害)になっているような気がしています。これらの流れを少しでも変えることが出来れば…。改めて自分が渡米した目的や将来の夢を実感しています。
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2000年06月01日
D 自身含め千葉ホークス4人シドニーへ (2000年6月掲載)〜五輪選手と同じ行事ユニホーム 橋本元首相の約束がついに実現!
現在アラバマは日中30度を超える日も珍しくなく、暑い日が続いているのですが、日本と同様に雨季にもあたることから、スコールも多く湿気のある蒸し暑い日が続いています。
ところで、先日実家に障害者スポーツ協会からシドニーパラリンピックへの派遣通知が届き、正式に出場が決定しました。バスケットでは千葉ホークスから私を含め4人の選手が派遣される結果となりました。また、その他の競技を合わせると県内からは10名(千葉市3名を含む)の選手が決定しました。
今回スポーツ協会からの派遣通知を読んで驚いたことは、セレモニー用のスーツや表彰用ジャージなどはオリンピック選手と同様の物が支給されるということです。これは前回のアトランタ大会までは考えられないことでした。
その理由はオリンピックの管轄が文部省なのに対してパラリンピックは厚生省と違うために、同じ趣旨の大会でありながら差別化されていたからです。
しかし、2年前の長野冬季パラリンピックで、多くの選手がオリンピックと同じユニホームを望んだことから、当時の首相・橋本龍太郎氏が統一の約束をしたことがきっかけとなったとか。何にしても選手にとっては名誉なことであり、喜ぶべき変化ではないでしょうか。私自身も障害者の”特別な行事”という殻からオリンピックに統一を図る大きな変化だと大変感激しています。
また、私の研修先であるレイクショアのスポーツセンター利用者からは、全米代表として、現時点でテニス・水泳・サイクリングなど6種目で12名の選手およびコーチが決定し、たいへん盛り上がっています。
アメリカではパラリンピックや世界大会に出場する選手には、優先的に練習場所の確保や周囲の協力が得られるため、いつもに増して素晴らしい環境の中で集中して練習に励むことができます。
しかも、日本人の私に対しても、周囲は「非常に名誉なこと」として全面的に協力体制を整えて、送り出す準備を進めてくれていることにも大きな感銘を受けています。
ところで、先日実家に障害者スポーツ協会からシドニーパラリンピックへの派遣通知が届き、正式に出場が決定しました。バスケットでは千葉ホークスから私を含め4人の選手が派遣される結果となりました。また、その他の競技を合わせると県内からは10名(千葉市3名を含む)の選手が決定しました。
今回スポーツ協会からの派遣通知を読んで驚いたことは、セレモニー用のスーツや表彰用ジャージなどはオリンピック選手と同様の物が支給されるということです。これは前回のアトランタ大会までは考えられないことでした。
その理由はオリンピックの管轄が文部省なのに対してパラリンピックは厚生省と違うために、同じ趣旨の大会でありながら差別化されていたからです。
しかし、2年前の長野冬季パラリンピックで、多くの選手がオリンピックと同じユニホームを望んだことから、当時の首相・橋本龍太郎氏が統一の約束をしたことがきっかけとなったとか。何にしても選手にとっては名誉なことであり、喜ぶべき変化ではないでしょうか。私自身も障害者の”特別な行事”という殻からオリンピックに統一を図る大きな変化だと大変感激しています。
また、私の研修先であるレイクショアのスポーツセンター利用者からは、全米代表として、現時点でテニス・水泳・サイクリングなど6種目で12名の選手およびコーチが決定し、たいへん盛り上がっています。
アメリカではパラリンピックや世界大会に出場する選手には、優先的に練習場所の確保や周囲の協力が得られるため、いつもに増して素晴らしい環境の中で集中して練習に励むことができます。
しかも、日本人の私に対しても、周囲は「非常に名誉なこと」として全面的に協力体制を整えて、送り出す準備を進めてくれていることにも大きな感銘を受けています。
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2000年05月01日
C 車イスも遊び道具のひとつ 米国らしい感覚(2000年5月掲載)
ゴールデンウイーク中に帰国し、東京で開かれた車イスバスケットの全国大会に、千葉ホークスの一員として参加しました。結果は残念ながら昨年同様の準優勝。その後、シドニーパラリンピックの最終選考合宿にも参加してきました。選考結果は後日とのことなので決まり次第報告します。
ところで今回は、私が研修を受けているスポーツ財団のメイン事業であるジュニア育成プログラムから、毎週土曜日に開催される”スーパースポーツ”を紹介します。これは5歳から15歳くらいの子供を対象に、いろいろなスポーツに触れさせるという目的で行われています。
ここで日本と違うのは、基本は”障害児”を対象としているのですが、障害のない子供も車イスを借りて参加したり、その父母や兄弟も一緒に参加して楽しむというところです。まさに車イスも一つの遊び道具として楽しんでしまうなんて、アメリカらしい感覚です。
一回の参加費は昼食付きで5ドル(約550円)と非常に安く、通うことが困難な子供にはセンターのリフト付きバスで送迎もしますし、施設や道具なども全て無料で貸し出しをするので、誰でも気軽に参加できます。
内容は基礎体力作りから始まり、バスケ、テニスなど各種スポーツの体験やメンタル面の講義など様々な形で行われます。どのメニューもゲーム感覚で飽きさせず、やる気にさせる工夫が盛り込まれているところも非常に勉強になりました。日本では考えられない重度障害の子供も参加しているのですが、手伝おうとすると「一人で出来る!」と逆に怒られてしまうほどのやる気を見せてくれます。
もちろん中にはルールを理解できない子供や、集団行動が取れない子供もでてくるのですが、その際は指導者が、何度でも分かるまで熱心に説明をしたり、子供たちの質問や意見をしっかり聞いて、友達のように話し合っている光景がとても印象的でした。
アメリカに来てつくづく実感するのは、ハード面での環境の良さもさることながら、それ以上に人や町全体がスポーツに対して協力的、積極的で、スポーツが生活に欠かせない重要な位置を占めていることがはっきりと分かることです。
ところで今回は、私が研修を受けているスポーツ財団のメイン事業であるジュニア育成プログラムから、毎週土曜日に開催される”スーパースポーツ”を紹介します。これは5歳から15歳くらいの子供を対象に、いろいろなスポーツに触れさせるという目的で行われています。
ここで日本と違うのは、基本は”障害児”を対象としているのですが、障害のない子供も車イスを借りて参加したり、その父母や兄弟も一緒に参加して楽しむというところです。まさに車イスも一つの遊び道具として楽しんでしまうなんて、アメリカらしい感覚です。
一回の参加費は昼食付きで5ドル(約550円)と非常に安く、通うことが困難な子供にはセンターのリフト付きバスで送迎もしますし、施設や道具なども全て無料で貸し出しをするので、誰でも気軽に参加できます。
内容は基礎体力作りから始まり、バスケ、テニスなど各種スポーツの体験やメンタル面の講義など様々な形で行われます。どのメニューもゲーム感覚で飽きさせず、やる気にさせる工夫が盛り込まれているところも非常に勉強になりました。日本では考えられない重度障害の子供も参加しているのですが、手伝おうとすると「一人で出来る!」と逆に怒られてしまうほどのやる気を見せてくれます。
もちろん中にはルールを理解できない子供や、集団行動が取れない子供もでてくるのですが、その際は指導者が、何度でも分かるまで熱心に説明をしたり、子供たちの質問や意見をしっかり聞いて、友達のように話し合っている光景がとても印象的でした。
アメリカに来てつくづく実感するのは、ハード面での環境の良さもさることながら、それ以上に人や町全体がスポーツに対して協力的、積極的で、スポーツが生活に欠かせない重要な位置を占めていることがはっきりと分かることです。
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2000年04月01日
B 車いすスポーツでも入場料が必要なアメリカ(2000年4月掲載)
4月上旬、バスケットのシーズンを締めくくるビッグトーナメント、全米選手権を観戦しにイリノイ州のシカゴを訪れました。シカゴは暖かいアラバマとはまったく違い、猛吹雪に見舞われたりと、まだ冬真っただ中の装いでした。
大会で、最初に驚いたことは、入場料がかかるということです。普通のスポーツでは当たり前かも知れませんが、車いすスポーツで入場料を取るなど日本では考えられないことです。私は2日間のフリーパス20$(約2千200円)を買い求めました。会場に入ると、スポンサー各社の看板や横断幕が飾られているのが目に付きました。地元のプロチーム・シカゴブルズもスポンサーになっており、ぬいぐるみのマスコットが盛り上げ役で来ていました。また、プログラムや記念Tシャツなどの販売も行われていました。
試合の方は、全米各地区から勝ち上がってきた強豪同士の対戦なので、どのゲームも白熱した接戦ばかりでした。この大会に出場できるのは、全米で300以上あるチームの中の1部リーグおよび2部リーグの上位4チームだけです。
1部リーグのチームの多くは、NBA(プロバスケットリーグ)傘下のチームで、選手の多くはお金をもらってプレーしている”プロ”です。しかも、カナダ、オーストラリアなど世界中からリクルートされて集まってきた”スゴイ連中”ばかりです。そして選手たちはそのプロ意識で、全米の頂点を手にするために必死にプレーしているのです。そのレベルの高さや、会場の緊張感は「世界大会を観戦しているのか」と錯覚するほど素晴らしく、観ている私も興奮してしまいました。
余談ですが、この大会に知り合いの選手の家族が応援に来ていたので、あいさつをしたところ、「家族にとっても名誉なこと!」と嬉しそうに話していた奥さんや、パパを応援している子供たちの姿がとても印象的でした。
シーズン中はほとんど家にいない選手も、この大会を終えるとオフ。家族や恋人とゆっくり過ごしたり、夏のスポーツを楽しんだりと様々なオフを満喫、充電して、次のシーズンに備えます。アメリカは、アマでもシーズン制を採用しています。この辺も日本との大きな違いではないでしょうか。
大会で、最初に驚いたことは、入場料がかかるということです。普通のスポーツでは当たり前かも知れませんが、車いすスポーツで入場料を取るなど日本では考えられないことです。私は2日間のフリーパス20$(約2千200円)を買い求めました。会場に入ると、スポンサー各社の看板や横断幕が飾られているのが目に付きました。地元のプロチーム・シカゴブルズもスポンサーになっており、ぬいぐるみのマスコットが盛り上げ役で来ていました。また、プログラムや記念Tシャツなどの販売も行われていました。
試合の方は、全米各地区から勝ち上がってきた強豪同士の対戦なので、どのゲームも白熱した接戦ばかりでした。この大会に出場できるのは、全米で300以上あるチームの中の1部リーグおよび2部リーグの上位4チームだけです。
1部リーグのチームの多くは、NBA(プロバスケットリーグ)傘下のチームで、選手の多くはお金をもらってプレーしている”プロ”です。しかも、カナダ、オーストラリアなど世界中からリクルートされて集まってきた”スゴイ連中”ばかりです。そして選手たちはそのプロ意識で、全米の頂点を手にするために必死にプレーしているのです。そのレベルの高さや、会場の緊張感は「世界大会を観戦しているのか」と錯覚するほど素晴らしく、観ている私も興奮してしまいました。
余談ですが、この大会に知り合いの選手の家族が応援に来ていたので、あいさつをしたところ、「家族にとっても名誉なこと!」と嬉しそうに話していた奥さんや、パパを応援している子供たちの姿がとても印象的でした。
シーズン中はほとんど家にいない選手も、この大会を終えるとオフ。家族や恋人とゆっくり過ごしたり、夏のスポーツを楽しんだりと様々なオフを満喫、充電して、次のシーズンに備えます。アメリカは、アマでもシーズン制を採用しています。この辺も日本との大きな違いではないでしょうか。
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2000年03月01日
A米国に障害者用トイレはない 誰でもできること提案(2000年3月掲載)
私の住むアラバマ州バーミンガム市は現在、日中の気温が25度前後。まだ朝晩は多少冷えるものの、昼間はまさに”夏”を思わせる陽気です。ところで先月下旬に私用で1週間程千葉に戻ったのですが、一時帰国の間にも色々な部分で日米の違いを実感することができたので、今回は身近な部分での違いを書いてみたいと思います。
まずはトイレ。皆さんは車イス用のトイレを利用したことがありますか? 車イス用トイレはすべて洋式で広く、時には着替えなどもできて便利です。私個人の意見としては、誰が使っても構わないと思うのですが、空いていても”別物”と言う感じで、使いづらいことはないでしょうか?
アメリカには車イス専用のトイレはありません。全てのトイレが、車イスでも利用できる広さを確保しているからです。小さな食堂のトイレでも、その一つが少し広くできています。誰でも使えるというのはとても合理的です。また、どこに行ってもトイレに困らないというのは、私たち障害者が外出する際に大きな安心感を与えます。
次に最大の障害”段差”です。日本に帰って苦労したのは階段などの多くの段差です。特に日本は靴を脱いで生活する文化のせいか? どこに行っても非常に段差が多いと感じます。困るのは私たち障害者だけではないのです。私は時おりベビーカーを抱えた若い女性が必死に階段を上る光景を目にします。また、老人が杖をつきながら苦労して上っている光景も。
アメリカでは階段がある所には必ずと言ってよいほど、スロープ、エスカレーター、エレベーターなどが設置されています。これはADAという障害を持ったアメリカ人に関する法律で、全ての公共施設や交通機関のアクセスを保証しているためです。しかし両方あると、多くの人は階段以外のものを利用するように思います。それは潜在的に「階段が危険である」という認識を持っているからではないでしょうか。
トイレや段差の問題は、土地や費用など多くのことが絡んで簡単に解決できることではありません。しかし、多くの人がそれらの問題意識を持つ事で、少しずつ改善されていくのではないかと思います。それと、現時点でできることとして、街で困っている人に対して、是非あなたの「手伝いましょうか?」という一言をお願いしたいと思います。これならば今すぐにもでも実行できるし、お金もかかりません。ハード面での問題を、簡単にカバーできる名案だとも思います。あなたも今日から始めてみませんか?
まずはトイレ。皆さんは車イス用のトイレを利用したことがありますか? 車イス用トイレはすべて洋式で広く、時には着替えなどもできて便利です。私個人の意見としては、誰が使っても構わないと思うのですが、空いていても”別物”と言う感じで、使いづらいことはないでしょうか?
アメリカには車イス専用のトイレはありません。全てのトイレが、車イスでも利用できる広さを確保しているからです。小さな食堂のトイレでも、その一つが少し広くできています。誰でも使えるというのはとても合理的です。また、どこに行ってもトイレに困らないというのは、私たち障害者が外出する際に大きな安心感を与えます。
次に最大の障害”段差”です。日本に帰って苦労したのは階段などの多くの段差です。特に日本は靴を脱いで生活する文化のせいか? どこに行っても非常に段差が多いと感じます。困るのは私たち障害者だけではないのです。私は時おりベビーカーを抱えた若い女性が必死に階段を上る光景を目にします。また、老人が杖をつきながら苦労して上っている光景も。
アメリカでは階段がある所には必ずと言ってよいほど、スロープ、エスカレーター、エレベーターなどが設置されています。これはADAという障害を持ったアメリカ人に関する法律で、全ての公共施設や交通機関のアクセスを保証しているためです。しかし両方あると、多くの人は階段以外のものを利用するように思います。それは潜在的に「階段が危険である」という認識を持っているからではないでしょうか。
トイレや段差の問題は、土地や費用など多くのことが絡んで簡単に解決できることではありません。しかし、多くの人がそれらの問題意識を持つ事で、少しずつ改善されていくのではないかと思います。それと、現時点でできることとして、街で困っている人に対して、是非あなたの「手伝いましょうか?」という一言をお願いしたいと思います。これならば今すぐにもでも実行できるし、お金もかかりません。ハード面での問題を、簡単にカバーできる名案だとも思います。あなたも今日から始めてみませんか?
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2000年02月01日
@自己紹介(2000年2月掲載)
私は16歳の時に起こしたオートバイの事故で車いすの生活になりました。事故後しばらくは、自分が歩けないという現実を受け入れることができず、苦悩の日々を送っていましたが、たまたま知人に紹介された車いすバスケットボールを通して、障害者でも”やればできる”ということを学び、いつしかその魅力にはまっていました。そして、バスケに打ち込めたことが後々の社会復帰への大きな足がかりとなったのです。
その後職業訓練校、民間企業を経て千葉市職員となり、現在もバスケットはリハビリの枠を越えた競技スポーツとして続けています。過去に日本代表選手として92年バルセロナ、96年アトランタのパラリンピックにも参加して、世界中の選手と対戦、交流する機会を持ちました。それは障害者スポーツに関する情報や、各国の障害者を取り巻く環境についての情報を得る機会にもなりました。
そんな中で、世界(特にスポーツ先進国のアメリカ)と日本との違いを色々な面で感じるようになったのです。たとえば日本では、まだリハビリの枠を越えていない障害者スポーツも、アメリカでは競技スポーツとして、選手の指導方法やケアなどについて技術的、医学的、精神面など色々な角度から研究や開発が行われています。また、車いすバスケも企業の宣伝活動に使われる媒体として、地位を確立しているということです。
これらの情報を耳にするたびに私の中で、アメリカに渡り障害者スポーツを学び、その知識と情報を広く日本に紹介していきたいという大きな”夢”が膨らんでいきました。そして、今回ここアラバマ州にあるレイクショア財団という、障害者を対象としたスポーツセンターで”夢”への実現に向けてその第一歩を踏み出しました。
留学には多くの問題があり、市役所を退職するということは大きなリスクも伴う人生の分岐点でもあったと思います。とりわけ金銭的な問題が悩みだったのですが、ダスキンの企業集団が支援してくれたことは、留学計画が大きく前進できたものと感謝しております。
次回からはこの留学を通して日本との違いやセンターでの出来事に焦点を置いて紹介していきます。
その後職業訓練校、民間企業を経て千葉市職員となり、現在もバスケットはリハビリの枠を越えた競技スポーツとして続けています。過去に日本代表選手として92年バルセロナ、96年アトランタのパラリンピックにも参加して、世界中の選手と対戦、交流する機会を持ちました。それは障害者スポーツに関する情報や、各国の障害者を取り巻く環境についての情報を得る機会にもなりました。
そんな中で、世界(特にスポーツ先進国のアメリカ)と日本との違いを色々な面で感じるようになったのです。たとえば日本では、まだリハビリの枠を越えていない障害者スポーツも、アメリカでは競技スポーツとして、選手の指導方法やケアなどについて技術的、医学的、精神面など色々な角度から研究や開発が行われています。また、車いすバスケも企業の宣伝活動に使われる媒体として、地位を確立しているということです。
これらの情報を耳にするたびに私の中で、アメリカに渡り障害者スポーツを学び、その知識と情報を広く日本に紹介していきたいという大きな”夢”が膨らんでいきました。そして、今回ここアラバマ州にあるレイクショア財団という、障害者を対象としたスポーツセンターで”夢”への実現に向けてその第一歩を踏み出しました。
留学には多くの問題があり、市役所を退職するということは大きなリスクも伴う人生の分岐点でもあったと思います。とりわけ金銭的な問題が悩みだったのですが、ダスキンの企業集団が支援してくれたことは、留学計画が大きく前進できたものと感謝しております。
次回からはこの留学を通して日本との違いやセンターでの出来事に焦点を置いて紹介していきます。
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2000年01月01日
神保康広の夢チャレンジについて
このコラムは、読売新聞の千葉地方版「千都読売新聞」の中で、約1年半に渡って掲載されたJのアメリカレポートです。言わばJが書いた初めてのコラムであり、アメリカ体験記でもあるのです。もしかすると、Jが物書きをするようになったルーツかも知れない秘蔵?のコラムです。
※ただし、2001年5月以降の掲載分は、パソコンのトラブルによりデータが失われて、掲載ができませんのでご了承ください。
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※ただし、2001年5月以降の掲載分は、パソコンのトラブルによりデータが失われて、掲載ができませんのでご了承ください。
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