2002年01月28日

地元大会“パイオニアークラッシック”レポート〜それでも勝てない理由(わけ)

 みなさんこんにちは。今週末は遠征が無かったのですが、クワドラグビー(車椅子ラグビー)の大会が、モントゴメリとバーミンガムにまたがって2会場で開催されているため、モントゴメリ会場でタイマーやスコアの手伝いです。オージーとカナダのチームも来ていて、そこそこ盛り上がっているのですが、やっぱり見るのもバスケの方が面白いかなーなんて思いながらやっています。

さあ、今日は先週末に開催された地元大会“パイオニアークラッシックと、その前夜にアトランタのウエスト・ジョージア大学で開催されたダラスとの試合を報告です。

まずはアトランタ。アメリカに戻って翌日の木曜日(17日)、当初相乗りで現地に向かう予定でしたが、集合時間を間違えて一人で行くことになってしまった。しかも、情報は大学の名前と試合開始時間だけです。日本だとちょっと不安になるのですが、ここはアメリカ!道に迷うこともないだろうと、慣れっこの神保は一人で車を走らせた。案の定3時間ほどで無事到着し、体育館に入ると驚く事に観客がいっぱい。聞いてみると毎年恒例の行事らし、会場にはく千人ほどの観客とテレビ局が待っていたのでした。

アメリカではどんな試合もたいてい国歌斉唱が行われるのですが、この試合も例外ではなかった。日本人に比べると、アメリカ人の祖国や国旗に対する愛情は異常なものかもしれない。以前読んだ本に、日本人は天皇行事やマラソン大会などで、日本国旗をたくさん振って騒ぐくせに、行事が終るとゴミ箱に捨てて帰ってしまう。その光景を見た外国人が「いったい日本人は何を考えているのか?」と言ったそうだが、確かに日本には愛国心なんて存在するのか疑問かも。神保は大会で何度か日の丸を背負わせてもらったけど、特に最近はその喜びを表現するために、車椅子も髪の毛も日の丸を意識しているし、必ず日の丸のステッカーも入手して貼りまくっている。我ながら結構愛国心の強いこと気づく。

試合内容を書くのは辛いので、下のパイオニアークラッシックレポートでまとめて書きます。とりあえず、スコアは確か94対76だったと思います。得点を見ても分かるように、今シーズンから採用されたNBAルールのお陰で、試合時間が40分から48分に延びて、試合によっては100点ゲームも珍しくなくなったのです。

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さーて、あまり触れたくないけど今シーズン初の地元戦となった、“パイオニアークラッシック”のレポートです。実はこの試合、日本代表チームもエントリー予定だったために、各チームにもその案内が行っていました。最終的には世界選手権の選考合宿と近かったことから、時間や金銭的な問題でキャンセルになったのですが、会う人会う人に「何で日本は来てないんだ、楽しみにしていたのに!」と言われました。結構みんな興味があったみたいです。その代わりと言っては何ですが、掲示板の書き込みにもあったように、モービルという街から日本人の友達が3人応援に来てくれました。この場を借りてありがとう!

試合の方は、初戦で角上のテネシーを10点以上話して楽勝したんです。この時はみんな良く声も出ていたし、それなりに頑張って走っていたので、当然と言えば当然の結果が転がり込んできたのですが、正直なところ個人的には「やれば出来るくせに、毎回しっかり走ってくれよ!」と、ちょっと不満でした。というのもアメ人は勝手で、試合の展開も全く気にせず、自分の調子でポンポンとシュートを放っては、「ジンボー、リバンド!」、「ジンボー、ヘルプ」と、お願いばかりしてくるんです。(笑) それでもチームに良い兆しが見えてきたので、翌日の試合が楽しみでした。
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2回戦はダラスとの試合でした。が、しかし1Qで30点以上取られて試合が決まりました。みんなダラスということで緊張していたんだと思うのですが、DFも戻りが遅く前日とは偉い違いです。何本の速攻を許したことか・・・・。また、相手チームの選手は体つきからして違います。まさにアスリートという感じの筋肉質で無駄のない身体です。目的や目標の高さが全く違う感じです。残念ながら太刀打ちできる相手ではないのでしょう。また、以前から我がチームのコーチはシュートが入る選手や自分の好みで選手を使う傾向があったのですが、地元戦のせいか、この試合では更にそれがはっきりしていました。そのせいか、神保もベンチにいる時間が長くなったのですが、数人の選手には理解できないことでした。D1で勝負する最低限の条件として、走れること(スタミナ・スピード・パワーを合せて)が必要だと言うことは誰もが理解すべきことです。結局50点取っても80点取られるという悪循環が続き、ダラス戦では120点近く取られて大敗したのです。敗者復活戦のアーカンソー戦でも、接戦こそ演じたものの敗退しました。誰が見ても勝てるゲームを落としたという感じで、正直言って腹が立ちました。が、多分自分はシュートが良くないという理由でベンチの時間が長かったと思うので、何も言えません。もっともっと練習するしかありません。

そして、ついにはこんな問題まで起こってしまったのです。多分神保が思うに、我がチームでD1の選手に一番ふさわしいと思われるテディー選手が、シーズン半ばでチームを去る決断を下したのです。とても残念なことですが、「試合に出られず生き地獄にいるよりは、家族とゆっくりしたい」と、いう彼の言葉に反対することは出来ませんでした。また、その問題に絡んだチームミーティングでは、「テディーはわがままだ!」とか「オフェンスをどうしたら勝てるか?」などと検討はずれのことばかりで、正直言って呆れました。神保は「もっと一生懸命DFしないと勝てないよ!」と言い放ったのですが、今後もどうなることか・・・・・。だからこそ思うことは、勝つという言葉を口にする前に、もっと走れ!練習しろ!!と言うことです。我がチームはとても良いチームです。しかし、練習や走ることを嫌う選手が多いのです。いかにチームワークが良くても、シュートが入っても、これでは限界が容易に見えてしまいます。多分我々はD2にふさわしいチームなのでしょう。

今週は木曜日から4日間、ケンタッキー遠征が入っています。実はパイオニアークラッシックの時に「何故今期移籍しなかったの?」と、他チーム数人の選手に聞かれました。そして、来期の移籍話を持ちかけられたのです。また、昨日は「今週末のケンタッキーで、移籍の話をしたい」と、違うチームの選手からE-mailを貰いました。今のところ来期のことは全く考えていないのですが、そろそろ考える時期になってきたのかも知れないーと思う今日この頃です。

つづく


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2002年01月25日

久々の全日本合宿に参加してきました!〜 高い意識を持つ人たちとのバスケは楽しかった!

 実は、1月2日から約2週間、全日本の強化&選考合宿に参加するために一時帰国をしていました。飛行機の予約が2日しか取れなくて、予想外に世間で言う“正月休み”中に帰国することになったのですが、合宿の前は家で正月番組を観たり、雑煮を食べて、3年ぶりに日本らしい正月を過ごしました。

確かしかこの前に参加した全日本の合宿は一昨年の夏以来ではないかと思います。そこで、まずは久々に参加した全日本の合宿について書いてみたいと思います。

今回の開催場所は大阪府舞洲にある障害者スポーツセンターでした。ここは、体育館やプールなどの施設の他、ホテルと同等以上の快適な空間を提供する宿泊施設も完備された、日本で最も優れた、障害者対応施設の一つです。いつもこういう施設で大会や合宿が出来ると本当に助かるんですが、今の日本にはなかなか無いんですよねー。

さて合宿初日、朝から新幹線と在来線を乗り継ぎ、なんとか一人で集合場所にたどり着きました。そうそう、「日本って交通(特に電車)の便は非常に良いなー」と実感したんですが、未だに荷物用エレベーターや駅の裏口からの出入りをさせられるあたりに多少の不満を感じました。それでも毎回電車に乗るたびに改善の跡が見られるので、もっと車椅子諸君は電車を使ってみてはどうかと思うわけです。

体育館へ行くとすでに殆どの選手が集まって着替えや練習の準備に掛っていました。そこで、強烈に感じたのは「異様な雰囲気」でした。別に仲間はずれにされている訳ではないのですが、なんとなく仲間に入り難い壁を感じたのです。以前の合宿で、よく初めて参加してきた選手が、いつも端の方でコソコソと行動しているのを見かけては、「もっと積極的に混じろう!」と言っていたのですが、久々の合宿参加で感じたこの雰囲気に、「初めて参加する選手の誰もが感じていた空気なんだろうなー」と、改めて実感しました。でも、すぐにたくさんの旧友?たちが話しかけてくれたので、図太い神経の神保はすぐに馴染んじゃいました。

練習メニューの内容も、依然とは全く違っていて、最初は戸惑いの連続でした。いつも「声」だけは誰よりも一番出している神保ですが、初日はさすがに戸惑うことが多くて、持ち前の元気と声出しもイマイチ。トレーナーのマッチ氏にも、「いつもより声が出てないよ」と指摘され、気を取り直して2日目以降は意識して声を出しました。今回は、あえて細かい練習メニューは書きませんが、やはりバスケは頭を使わないと出来ないし勝てないと言うことだけははっきりしました。今もコーチから教わった新しいドリルを紙に書き写して、忘れないように見ていますが結構ヤバイです。(苦笑) それと、何はともあれ、勝つために個人がするべき最低限の条件として、走り(スピード、パワー、スタミナ、クイックネス)と、声出しが重要ではないか!と、ご提案させていただきます。(特にこれを風呂屋のメンバーに、声を大にして言いたい!)

今回の合宿の感想を、一言で言うとしたら「めちゃ楽しかった!」かな。選手は全日本代表の座を目指して、常に高い目標を持つ人たちばかりなので、気分的にワクワクしてくる感じを覚えました。もちろん選考合宿なので、楽しんでばかりいてはいけないのでしょうが、でもキツイ中にも楽しさを感じることが出来るバスケって結構久しぶりに感じたんですよ。正直に日本のバスケも楽しいなーって思いました。まだ選考の結果は知らないし、どうなるかも分からないけど、改めてトップでやりたいという強い気持ちを再確認することができたので、これからも常に上を向いて前進あるのみです。

うーーーん、次にアメリカに戻ってから初のホームゲームとなった、先週の大会の模様を書きたいと思ったんだけど、ちょっと決着がついてないことなどもあるので、次回に持ち越しとさせていただきます。

つづく
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2002年01月10日

我がストームD1初参戦〜序盤の苦悩

 昨年9月の下旬、まだテロ事件から10日程しか経っていない中、神保は日本へ一時帰国を決行しました。そして、日本で移籍した風呂屋チームでの活動や、諸々の雑用を済ませて再渡米・・・・、しかし、またテロの影響で帰りの日程が変更となり、今シーズンから始まる、D1での初遠征をキャンセルせざる得ない状況になったのです。しかーも、試合の結果は3連敗、黒星スタートと報告を受けて「早く戻ってチームに参加しなきゃ!」と痛感したものです。

 さて、11月下旬に再渡米して待っていたのは、困難なことばかり。

 まず、米国で居候中だったコーチ宅は、コーチが奥さんとの復縁をきっかけに、引っ越してしまい無くなっているのです・・・。自分はいきなりホテルやら、コーチの知人宅を点々とする不安定な暮らしが始まりました。また、その間に日本でひいた風邪が悪化し、米国で初めて病院にかかるるという状況にもなったのです。更には、追い討ちを掛けるようにチーム状況も問題をかかえていることが発覚し、渡米した2年間で初めて「荷物まとめて日本に帰ろうかなーー」と思ったりもして・・・

チームの問題・・・・・・

 昨シーズンD2で優勝した我がストームは、今シーズン前D1参戦に向け、選手みんなが、変化をしていました。例えばある選手は夏にダイエットをして、10キロ以上も体重を落として身体の切れを取り戻しました。他にも練習中の気合は半端でなく、簡単なシュートミスやパスミスをすると、「俺たちはD1プレーヤーだぞ!」と選手たちが、高い意識を持って、実践さながらの緊張感を感じたものです。しかし、現実はとても厳しかったのです。現時点の成績は6勝6敗の五分。が、NWBAのランクでは10チーム中、9位にランクされています。4位以下は本当に接戦なのですが、試合でのスコアや、格下のチームに負けている(D2との交流戦でも1試合負けている)ことなどが影響してのことです。

 D1でのゲームは非常にタフです。どの試合も接戦が多く、精神的にも、肉体的にも疲労感が大きい。そこにきて若干年齢層の高い我がチームの選手は、中盤以降になると崩れ始めるのです。そして、点差が開くと数人の選手から「コーチの采配が悪い」とか、チームメイトのミスを指摘するようになるのです。その上、「俺はD2の優勝で満足だったんだ!」という選手まで現れ、最悪の状態となったのです。しかも、ある選手からは「他のD1チームに俺とジンボが誘われてるから、来期は一緒に移籍しないか?」と、シーズンが始まったばかりにも関わらず移籍の話です。

 これから先どうなることか、全く検討もつきませんが、コーチのフレッドは「このチームがまとまれば、決して弱いチームではないのに・・・」と頭を抱えています。自分もチームが結束すれば、ファイナル4に進める可能性は十分あると感じています。今期だって選手間の結束力があれば、10勝2敗程度のペースでもおかしくないと思っています。それは、やる気のある選手やコーチも認めています。それをどのようにして一つになるかが大きな課題です。とにかく前途多難なD1のスタートとなりました。

 ところで、この夏に移籍した選手の数は非常に多かったようです。実は神保が春に誘われていたテネシーのチームも、主力選手2人が移籍していました。しかも、そのうちの一人は「俺と一緒にプレーしよう!」とか、「お前がいれば勝てるよ!」とか、調子の良い事を言って誘ってくれてた奴です!そういうところを見ると、アメリカ人って、本当にドライだなーという印象を受けました。

 ちなみに今期、現時点で1位は昨年の覇者ゴーデンステート(カリフォルニア)と、今期初参戦の新チーム、バックス(ミルウォーキー)です。特にバックスは全米代表4選手とカナダ代表3選手をリクルートして、ぶっちぎりの強さを見せています。

 さて、色々とネガティブな話題を愚痴っぽく書いてしまいましたが、せっかくD1での経験を無駄にしないためにも、今は自分自身のプレーに集中するよう心がけています。再発した風邪のせいで、少々出遅れて身体の切れも本調子ではありませんが、これから春に向かって調子を上げていきます。

 これからの予定ですが、全日本の合宿が終ったあと、アラバマには16日の深夜に戻ります。そして、時差ボケも解消できないまま、翌早朝にはアトランタへ移動して、ダラスとのリーグ戦です。また、その晩には地元に戻り、翌日からは週末3日間をかけて、D1が8チーム、D2の上位4チームが集結しての、ビッグ・トーナメントが開催されます。その後もテネシー、ケンタッキー、ラスベガス、サンホゼ、など全米中への遠征を経て、4月上旬のファイナル4を目指します。まあ今のところ、我がストームはノーマークの超ダークホースですよ・・・・。

 最近感じるんだけど、風呂屋もストームも結構似てると思うんですよ。例えばスーパースターはいないけど、基本的にはチームワークが良くて、結構イケてるチームなところ。でもたまに脱線して問題が勃発するところなんかもそっくり。それにプレイスタイルも結構似ている。ちょっと頼りないけどでっかいのが3人と、速攻が得意な選手がいたり、選手を信頼してくれているコーチがいるところも。うーーん、どっちもなかなかいいチームで、個人的にはとても愛着を感じています。

 次回は全日本合宿と地元大会の結果報告をしたいと思います。また、近い将来画像等も取り入れて、更に詳しくお伝えする予定ですので、こうご期待!だから、是非うちのHPを”お気に入り”に入れてちょくちょく遊びに来てください。
※みなさんの感想や掲示板への書き込みお願いします!
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2002年01月05日

米国の車椅子バスケを説明しましょう。〜NWBA(全米車椅子バスケット協会)情報

 まず、簡単にNWBAを説明すると、デビジョン1、2,3(以下D1、2,3、)と女子、ジュニア(18歳以下)の5つのカテゴリに分かれています。その年によってチーム数などは、かなり変動があるのですが、今年はD1が10チームで、D2、D3、女子、ジュニアを合わせるとたくさんです。(笑)実は一昨年の登録上では200チーム以上あるのですが、実際に活動しているチームは、はっきり言って分かりません。何せアバウトな国ですから。それと、未だ日本には存在しないジュニアチームも20チーム程度が活動しています。また、確かNWBA傘下には入っていませんが、更に下のジュニア(概ね12歳以下)のカテゴリもあり、もちろん全国大会もあります。

 試合形式は、今年からD1がNBAルールを採用。それ以外はNCAA(大学リーグ)のルールを採用しているのです。また、持ち点制度も国際ルールの14点制ではなく、12点制でクラスは1,2,3点しかありません。しかも、身障者手帳なる物も存在しないので、健常者でもクラス3で参加できます。というか、本来は参加できないのですが、「足が悪い!」と言張れば認めざる得ないようで、暗黙の了解で参加しています。更には試合中のジャッジも全く違い、ラフなプレーは大歓迎。いつだったか、試合中に「さっきのファールじゃないの?」と聞いたら、国際審判員でもある彼は「国際ならファールだけど、アメリカだとOKだよ!」と笑っていました。どれもこれもバスケを面白くするためのルールだと思うのですが、このように国際ルールを完全に無視して、我が道をいく米国の姿勢は何とも米国らしいと思うわけです。

 シーズンは基本的に10月下旬から翌年の4月上旬までとなっており、夏の間は全く練習がありません。選手は自主トレをするか、テニスやマリンスポーツなど違う競技に熱中します。チーム練習もマチマチですが、我がストームの場合で9月上旬からスタートして、最初の一月が走りこみ中心です。そして、徐々にシステムやゲーム形式の練習が増えていき、シーズンが始まった後は殆ど実践を想定した組織的なプレーの確認を何度も繰り返し行います。これはとても重要だけどつまらない練習なので、選手のみんなはブーイングです。(笑)

 D1への参戦資格もはっきりしておらず、やる気と実力と資金があると認められれば、新チームでも参戦できているみたいです。正直言ってその辺の取り決めやルールは、NWBAの役員になっている我がチームのスコットに聞いても、「その時によって変るのではっきりとは言えない」とのことです。この国では、そんなことはあまり重要ではないようです。

 次に優勝までの道のりを説明しましょう。基本的にはリーグ戦と、各地で開催されるトーナメントに出場し、その勝敗などを元にNWBAが定期的に各デビジョンのランキングを出します。それによって3月頃に行われる最終トーナメント表の位置が決まっていくのです。例えば1〜4位まではシード、それ以外はランキングの順に割り振られていくという具合です。D1は全米規模で活動するので、遠征地も全米各地となりますが、D2以下は地域によって、4地区に分けられているので、その地区での遠征がほとんどです。

 1シーズンに消化する試合は、チームのやる気や財政状況によって変りますが、だいたい25試合から40試合で、基本的に練習試合なるものはありません。シーズンが始まれば、全ての試合はランキングに影響してくるのです。

 先ほどから”チームの財力”といことを何度か出しましたが、基本的に米国ではスポーツをするのにお金を払うという感覚は無いようです。どのチームもスポンサーを持っており、ユニホームから遠征費までチームが負担します。もちろん部費を払うこともないし、我がチームは結構しっかりした財団がサポートしているので、遠征中のチームディナーもお酒以外はスポンサーのカードでお支払いです。もっと強いチームや財力があるチームは、選手をお金でリクルート(NWBAでは違反行為となりますが、みんなやっている)したり、お金が絡んだ動きが活発です。

 まあ、お金を払ってリクルート・・は行き過ぎとしても、日本での活動でもサポートしてもらうためのスポンサーは絶対に必要かなーと思うわけです。そのためにチームが出来ることや方向性なども、風呂屋のキャプテンである森本氏と、常に話し合いながらスポンサー獲得作戦も展開しております。

 最後に、今季D1への参加登録チームは下記の10チームです。

1、ダラス・マーべリックス(テキサス州)
2、ゴールデンステート・ウォーリアーズ(カリフォルニア州)
3、ミルウォーキー・バックス(ウイスコンシン州)
4、デンバー・ナゲッツ(コロラド州)
5、シャーロットー・バーズ(ノースキャロライナ州)
6、ミュージックシティー・ライトニング(テネシー州)
7、UTA(テキサス州立大学アーリントン校)
8、U of I(イリノイ州立大学シャンペーン校)
9、オースティン・ワーカース(テキサス州)
10、レイクショア・ストーム(アラバマ州)

※米国でも大学の車椅子バスケチームは数が少ないので、大学リーグとNWBAの両方にエントリーする事ができるのです。ちなみに海外選手はカナダが断トツで多く、10人くらいいると思います。他にもオーストラリア、メキシコ、スウェーデンなどの選手がプレーしています。
つづく


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2001年04月01日

M我がレイクショア キッズに続きユースチームも全米制覇!(2001年4月)

 3月は全週末、チームの遠征や、ユースチームの引率で全米中を飛び回りました。しかも広い米国ゆえ、フロリダのように夏のような陽気もあれば、まだ雪が降っている場所への遠征もあり、過酷な一カ月でした。

 前回はキッズ(12歳以下)の全国大会をレポートしましたが、今回はユース(18歳以下)の全米選手権の模様をお届けします。

 大会の開催地となったのは、オクラホマ州立大学の施設。
飛行機での遠征となったのですが、ヘッドコーチ、マイルズ氏の意向で選手・スタッフは全員ネクタイを着用したスーツ姿での移動が義務つけられました。出発前からいつもとは違う、引き締まった気持ちになったことは言うまでも有りません。

我がレイカースには、今年ブラジルで開催されるジュニア世界選手権に全米代表として出場が期待される数選手を含む、過去にない充実した戦力で優勝候補の筆頭にあがっていました。初日、2日を無難に勝ち進み、順当に3日目の決勝へと駒を進めました。決勝の前日は応援に駆けつけていた、選手の父母や友人達を交えた、約40名ほどで”優勝祈願パーティー”も開催されました。 決勝の相手はミシガンのチームで2週間前の試合では楽勝してるチームでした。観客も含めてほぼ全人がレイカース楽勝という予想を裏切り、試合は終始ミシガンが10点近くリードする展開となりました。要因は幾つかあると思いましたが、大きなポイントとして相手チームが完璧にレイカースのプレーを研究して対応してきたことです。私はジュニアでもの、たった2週間でこれほどまで変化することが出来るのか!と強い衝撃を覚えました。後半残り10分を切っても点差は縮まらず、ビデオを撮影していた私も、大声で声援を送りました。その声が届いたのか?残り5分でエースのジャーミーがスリーポイントを連続に決め逆転。最後の最後までシーソーゲームは続きましたが、レイカースは48−45で劇的な逆転初優勝を飾りました。

 試合終了後選手は車椅子から転げ落ち、泣きながら抱き合って喜びを分かち合い、活躍を称えあっていました。また、表彰式ではビールかけを真似たスポーツドリンクかけで喜びを表現。スタッフのスーツ姿もびしょびしょにされるお祭り騒ぎとなりました。

 ジュニア2チームの全米初優勝を見届けることが出来、本当にラッキーだと思いつつ、いよいよ最後は自チームの全米優勝をかけた大会が今月13,14日にシカゴで開催されます。次号で自分の優勝報告が出来るよう頑張ってきたいと思います。
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2001年03月01日

L3月で研修終了(2001年3月)ジュニア育成など新たな目標を胸に

 早いもので今月末をもってダスキンの研修生という立場が終わります。当初掲げていた目的や研修内容を思い出すと、若干脱線した部分や、やり残してしまったこともあるように思いますが、実際に米国へ来て経験した数々の体験は、新しい発見と感動の連続でした。最初のステップとしては多くの収穫が得られた素晴らしい研修となったことを確信しております。

 さて、研修生活最後を飾る今回は、ジュニアのバスケットボール大会をお伝えします。先月、我が財団を会場にして13歳以下の大会がありました。彼らにとって実質シーズン最後となるこの大会の前日、大きなストームがあり、停電や家屋崩壊、飛行機キャンセルなどの大きなダメージを受けるハプニングがありました。

一時は開催中止の声も上がりましたが、子供たちの強い要望もあり、暗い体育館の中で、手作りの得点板を使って開催されました。しかし、その場で最善を尽くして大会を運営するスタッフや必死にボールを追いかけてコートを走り回る子供たちの姿に、本来あるべきスポーツの姿を見たように思います。

 また、彼らのユニホームのほとんどがTシャツ、車いすは普段用でした。理由はすぐに身体が大きくなってサイズが合わなくなるために、お金を掛けられないからだそうです。また、飛行機で遠征するような遠方からのチームも、バスで来ていることには驚きました。これはチーム予算の問題なのですが、米国では子供の世界でも実力によって待遇が違い、上に行けば行くほど良い環境が与えられている結果です。

 最終日には電気も復旧し、明るい体育館の中で熱戦が繰り広げられました。我がレイクショアシャークスは初めて決勝戦にコマを進め、強敵テネシーのチームと対戦。1点を争う好ゲームに会場も非常に盛り上がり、結局26対25でシャークスが初優勝を地元で飾りました。

 この大会で優秀選手に輝いたポールは、私が譲ったお古の競技用車いすを使い、大会前の練習でも個人的にシュートを指導してきた選手です。彼の活躍を観ながら仕事も忘れて大声で声援を送っていました。

 いつか彼らが世界の舞台へ飛び立ってくれることを祈りつつ、さて次は日本のジュニア育成と車いすスポーツの普及活動だ!
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2001年02月01日

K大きな壁に直面(2001年2月) 子供のスポーツ育成補助を見ても”文化の違い”で済まない日米の差

 この2月、米国でスポーツといえばバスケットが一番の注目を集めてる時期となります。

 というのも先月でアメリカンフットボールのシーズンが終わり、野球が開幕する4月までの間は4大人気スポーツがアイスホッケーとバスケットのみとなるからです。

 特にバスケットの場合、プロはもとより大学リーグも非常に盛んなため、この時期は必ずといって良いほど、毎日テレビでも試合の模様を中継しています。また、今シーズンは私自身も5回ほどNBAや大学の試合を観戦しにあちこちへ出かけました。

 年が明けてから財団オフィスにある私のメールボックスには、たくさんの予定表が入るようになりました。ほとんどは、夏に全米各地で開催されるジュニアを対象とした各種サマースポーツキャンプの予定表です。

 これらの資料を読んで感心するのは、非常に安い経費で参加できることです。たとえば3泊4日で行われるバスケのキャンプを例に見ると、ホテルと全食事を含んだ参加費は120ドル(約1万4千円)。しかも場合によってはジュニアが所属するチームや財団が交通費を含めた全経費を見てくれるのです。

もし、同様のキャンプを日本で開催しようと考えた場合、交通費を除いた経費だけでも、米国の3倍くらいになってしまいます。これに旅費を入れると、海外旅行が出来てしまう額になる…。

 また、車いすを使用した14、15歳の子供が一人で飛行機に乗ってキャンプ地まで訪れるということも、米国では珍しくないのですが、多分日本では危険という認識が強く考えにくいことかも知れません。

 私は米国での経験や知識を日本に生かそうと考えていますが、こうした現実を考えると非常に難しい問題が多いことに気が付くのが実情です。

 これらの問題を日米双方の友人に話すと、彼らからは一様に「文化の違いだから仕方がないのでは…」という答えが返ってきます。

 本当に文化の違いだから仕方がないのか? 現在、私はとても大きな日米の”カベ”にぶつかっている−そんな気がしてなりません。

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2001年01月01日

J飛躍へ移籍を検討中(2001年1月掲載)

 明けましておめでとうございます。

 記念すべき21世紀の幕開けを、私はバーミンガムの仲間たちと迎えました。今回は新年初ですので、今年の展望を書いて見ます。

 まず今シーズンのチームは昨年末時点で14勝1敗と2部の首位を独走中です。4月の全米選手権制覇も見えてきました。2部の優勝が決まると来季の1部昇格も確実となります。しかし私としては、より強いチームで挑戦してみたいので移籍を検討中です。ボスのスコットにも打診をしています。彼いわく「ジンボは必用だし残留を期待してるが、最後は自分の意思で決めればいい」と。一応残留依頼を受けています。また、「もし移籍したら?」という私の問いに「他から選手を探してくる必要が出てくるので大変だ」と苦笑していました。

 現在は1部の数チームと平行して来季の交渉を続けています。また、本紙で初公表するのですが、昨年末にスペインのチームからも移籍の話が舞い込み、現在諸条件についての情報を求めています。ヨーロッパは待遇が良く、多くのアメリカ人選手も流れています。しかし、レイクショアも日米合同キャンプや日本のジュニア選手受け入れなど、様々な新企画の話も出ているため捨て難い。去就問題には頭を抱えて嬉しい悲鳴を上げています。どちらにせよ、自分にとって最高の道を選択するつもりです。

 最後に年頭のメッセージを皆さんに送ります。私は1年前、夢に向かって動き出しました。そして想像も出来なかった経験をし、友情を得る事が出来ました。そしてまた、もっと大きな夢を実現させるために歩き続けます。夢や希望をあきらめている人たちにも、一歩を踏み出す勇気と幸運を祈っています。

 スコットからも、若い人たちに向けてひとこと。「失敗したり何かを失うことを恐れずに、好きなことにチャレンジし続けて欲しい。ゴールは一つじゃないから、今がダメでも必ず次がある。そして楽しむ心を忘れないで進んでください。そうすればきっと自分自身で幸せを築き上げることができるよ」

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2000年12月01日

I我が友ボブが「大きな夢を持って」とみなさんにメッセージ(2000年12月掲載)

 シドニーパラリンピックが終わり、日本に帰国したのは11月1日のこと。ホッとする間もなく、同6日にはバーミンガムに戻り、翌日から研修を再開しました。また、すでにバスケシーズンも開幕しており、さっそくチームに合流し、遠征にも参加しています。今シーズン、現時点での戦績は10戦全勝とデビジョン2(2部)のトップを独走中です。

 さて、今回は私が研修を受けているレイクショア財団で働くスタッフで、友人でもあるボブを紹介します。彼は21年前、9歳の時に血液の病気で両手首から先と両足の太ももから下を失いました。しかし、当時を振り返った彼は「家族や友人たちに支えられ、悲観的になることはなく乗り切れた」と笑顔で語ってくれました。

 退院後は復学し、大学院を経てこの財団に就職したそうです。おそらく日本ならば”要介護”のレッテルをはられてしまう彼も、ここではアクティブで自立した生活を満喫しています。

 ボブは腕の先にプラスチックの装具をつけて車イスを器用にこぎ、自由に動きます。普段、彼は子供たちの指導にあたっていますが、両腕でペンを持ち器用に文字を書いたり、パソコンを使ってのデスクワークもします。

 生活も自立したもので、アパートで一人暮らしをし、炊事洗濯なども一切、人の手を借りず、すべて自分でこなしています。自ら自動車を運転し通勤をし、日曜日には教会に出かける敬けんなクリスチャンです。

 また、彼は車イスラグビーの選手でもあり、昨年度全米優勝を果したレイクショアのチームで活躍しています。そんな彼の夢は、コーチとして自ら指揮を取り全米優勝を果すことだそうです。私とは競技種目こそ違いますが、同じ志を持つボブに親近感を持ちました。

 彼は私に言いました。「世界はとても大きい。でも立ち止まっていては何も知ることはできないし、つかむこともできない。だから僕は歩き続けるよ」と。

 最後に彼から日本の子供たちに寄せるメッセージをもらいました。「未来は子供たちそのものです。是非大きな夢を持って素晴らしい人生を切り開いて欲しい」。彼は異国の地で出来た同級生の素晴らしい友人です。
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2000年11月01日

Hシドニーパラリンピックを終えて(2000年11月掲載)

 パラリンピック出場のためシドニーの選手村に入ったのは10月14日。シドニーは初夏ですが、朝晩の気温差が大きいため、多くの選手が体調を崩し、本部の医務室ではドーピングにかからないカゼの薬が底をつくというハプニングもあったようです。

 私は今回が3度目のパラリンピックでしたが、選手村の環境は過去最高です。まず、部屋は分譲前の新築一戸建てやマンションで、快適な住み心地。24時間ランドリーサービスが受けられるなど、選手は競技に集中できるよう配慮がなされていたのです。

 食事も大満足です。白米のごはん、味噌汁やお新香が常時用意されていて、ほとんどの選手は村内の食堂だけでストレスなく食事がとれていたようです。これは過去の国際大会では考えられない状況です。

 大会が始まり柔道や水泳陣に「メダルが出た」という吉報を耳にしながら、わがバスケチームは世界ランクで格上の国々を苦しめる好ゲームを展開しました。しかし勝ちきれず、予選リーグを1勝4敗と大きく負け越し、B組5位という結果に終わってしまいました。

 決勝トーナメント進出を逃したため、順位決定戦に回りましたが、最後の9・10位決定戦ではメキシコを相手に、残り20秒で逆転勝利という劇的な展開に、会場も大いに沸きました。

 結局、アメリカやオランダといった強豪を下したカナダが見事初優勝に輝きました。私の友人でカナダのエース、パトリック選手が大活躍して優勝に貢献。彼とは毎日、選手村の休憩所で、バスケの話をたくさんできたことも大きな収穫です。

 日本選手は精一杯頑張ったと思います。それでも勝てない理由が今の私にはわかりませんが、戦った各国の選手やコーチたちが強くなった日本をたたえると同時に「日本の選手は、ジンボのようにもっと世界に出て来るべきだ」と言っていたのが印象に残りました。もしかするとこれこそが勝利への”カギ”なのかも知れません。

 また、今大会で感心したのは多くのボランティアの存在です。日本からも、主婦や学生、定年退職したリタイヤ組などいろいろな人が来ていて、村内の食堂やランドリーで働いていました。数人の日本人ボランティアと話す機会があったのですが、「無償だけど、今世紀最後のスポーツの祭典に関われて光栄です!」と語っていた食堂の学生さんの話しを聞いて、多くの人の手助けを得て競技に専念できる幸福と感謝の気持を強く感じました。

 閉会式では満員の観客席に沿って場内を4周も回り、老若男女、多くの人たちと握手やタッチを交わすなど、ほんの一瞬の出会いに熱いものを感じてしまいました。これまで出場した3回のパラリンピックの中で、最も人間同士の関わりを感じられた大会だったと思います。
posted by J's Page at 00:00| 神保康弘の夢チャレンジ