2002年06月17日

2ヶ月ぶりにアメリカへ行ってきました (前編) 〜安選手(千葉ホークス)とのアメリカ珍道中

 みなさんこんにちは。 ちょーーー、久しぶりの体験記です。Jは日本に帰ってきてから何故かこの“体験記”を書く気にはなれずにいました。理由は自分でもはっきりしませんが、多分実際アメリカに滞在していた時のような刺激がなくなっていたので、この画面に向かうパワーが出なかったのかも知れない。しかし、その間に多くの方から「早く更新して!」という内容のメールや声をいただき、本当に嬉しく思いました。また、2週間以上も前に掲示板で「更新予告」をしたにも関わらず、更新が遅くなってごめんなさい!

 さて、今回の話題は5月30日から6月1日にテキサス州ダラスで開催された「デビッド・カイリー、インビテーショナル3on3大会の模様をお伝えします。まず、この大会に参加することになった経緯について説明すると、1、神保が尊敬する元全米代表選手のデビッド・カイリー氏が主催する招待大会で、そのカイリー氏直々に招待を受けたこと。2、招待選手は基本的にアメリカ、カナダの代表選手やアメリカのD1選手を中心に招待されているため、来期のプレー先を決める上でも良い情報交換の場となる。という二つの理由からでした。そして、丁度同じタイミングで千葉ホークスの安選手から「俺もアメリカを知りたい!」という話があったので、急遽カイリー氏に「日本の得点王を参加させたい」と相談して了解を貰い、急遽安選手の大会参加&同行も決まったのでした。

 大会の話をする前に安と二人で始まったアメリカ旅行珍道中の話を幾つか。出発したのは5月27日の午後でした。しかし、出発前にいきなり安が「汗かいたからどこかでシャワーを浴びたい」と言い出したのです。確かに当日は異常に暑く汗もかいていたし、これから20時間以上も風呂に入れないのは辛いなーと思い、ダメ元で成田空港のインフォメーションに聞いてみました。すると、シャワールームがあるではないですか!ただし、出国者専用とのことで、飛行機のチケットを持っていないと利用はできません。二人はとにかく早めに出国手続きを済ませてシャワールームを目指しました。そこは、ちょっとしたラウンジといった感じで、インターネットサービスやテレビもありました。そして、カウンターで利用料金300円を払うと個室に案内されたのです。しかーし、シャワールームへの入り口には3段ほどの階段があり、しかも個室は非常に狭く車椅子の利用は想定されていませんでした。もちろん神保は無理やり利用をしましたが、国際空港だし、この辺は何とかしてもらいたいものだなーと思いました。シャワールームはビジネスホテルの浴室と同じ感じで、入ってすぐ洗面台と鏡がある更衣室になっており、奥に小さなシャワールームがありました。また、タオルや石鹸、ドライヤーに扇風機なども完備されていたので、狭いけど結構快適に利用することができました。海外にお出掛けの際は是非利用したい、お勧めの施設です。

  ところで、安は飛行機に乗って最初の食事タイムから立て続けにビールを3本4本と空けて、気分は絶好調と言う感じだったのですが、途中で「気分が悪い」とトイレに行ったきり、なかなか帰ってきませんでした。後から乗務員が来て、「お連れさんは、後ろの方で寝ています」と言うのです。彼に何が起こったのかは知りませんが、その後3時間も席には戻ってこなかったのでした。また、飛行機は予定通りダラスに到着したのですが、大会参加の前に神保の古巣バーミンガムに行く予定を立てていたので、今回は乗り継ぎだけの予定でした。しかし、ここでもハプニングがありました。もともと乗り継ぎのタイミングが悪く、待ち時間が4時間以上あったのですが、悪天候のお陰で更に1時間以上遅れる羽目になったのです。でも、5時間もの持て余した時間はアメリカン航空の専用ラウンジに行って過ごしました。丁度NBAの試合(東カンファの決勝、ネッツ対セルティクス戦)がやっていたのでテレビ観戦をしたり、空港内を散策して結構時間をつぶせました。そうそう、あまり知られていませんが、空港には誰でも利用できる各航空会社の専用ラウンジなんかもあるんですよ。 


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ダラス空港にあるアメリカン航空の専用ラウンジにて(テレビとパソコンが置いてあり自由に使えます) 



  ダラスを飛び立ち、バーミンガムに着いたのは夜の12時前でしたが、「どうせここまで来たら海でも見ようか!」と話が盛り上がり、そのままレンタカーを飛ばして神保の友人達が住むモービルという町までドライブを決行しました。ダラスでの待ち時間を合わせると20時間近くにも及ぶフライトを経て、そのまま4時間のドライブはかなりハードでしたが、居眠り運転もなく何とか無事ノブさん(モービリアン1号)の家にたどり着いたのです。その後3人で世間話に盛り上がり眠りについたのは朝の7時過ぎでした。もちろん外は明るくなっているし、アラバマは既に夏の匂いがしていました。しかーし、俺達は昼前に起きて早速買い物へ出掛け、その後更に1時間ほど車を走らせてビーチに向かったのでした。タフでしょー?



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ビーチに向かうレンタカーを運転中の安



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白い砂とエメラルドグリーンのビーチで安をパチリ 


 自分達は日中ビーチで焼いた後、またまた急いでモービルに戻りました。実はその夜モービルチームの練習日だったので、それに参加するためだったのですが、睡眠時間4時間で海に行って、帰ってからすぐにバスケなんて信じ難い予定でしょ?でも安は喜んでバスケをしていました。もちろん自分もですが、やっぱり眠かったかな。それと、安のプレーを見てモービルの選手達は一様に「凄く上手い選手だ!」と褒めちぎっていました。特にコーチのステファニーは、「出来る限りのヘルプをするから、是非うちでプレーして欲しい!」と、安のリクルートに乗り出す始末でした。ただモービルは現在D2だし、あまり強いチームではないので彼自身は興味が沸かなかったようです。その後モービルの仲間たちと夕飯を食べて、翌日早朝にはバーミンガムへと車を走らせました。何とも忙しい旅です。
バーミンガムでも練習に参加したのですが、選手達の反応はモービル同様で「素晴らしい選手だ!」と言われていました。特に全米ジュニア代表のジェーミー(17歳)との1on1は面白かった。最初は11対9で安の敗退。安いわく、「子供だと思って手を抜いた」とのことですが、「アメリカではそんな言い訳通用しないよ!」と、神保が一喝しました。そこで、ジェーミーに再試合を申し入れて戦った結果、今度は11対3で安の快勝でした。ジェーミーも「どうして全日本の選手じゃないの?」と、安のシュートセンスと気持ちの強さを絶賛していました。もちろんチームのみんなも「安が入ってくれれば強くなるので是非に!」との声が上がりましたが、ここでも安選手は興味が沸かなかったようです。確かにジェーミー、テディ、神保も辞めたレイクショアは、日本屈指のシューター安選手が興味を示す場所でないことも想像はついていたのですが。そして、練習が終れば足早に体育館を後にして夜の街に繰り出しました。アラバマ最後の夜も本当に色々なハプニングに見舞われたのですが(特に安)、これ以上は公衆の面前に紹介できないので書くのは控えます。(笑)
5月30日木曜日、いよいよダラスに向けてバーミンガムを出発しました。今度は経由でなく、一番の目的である“大会参加”が目的だったのですが、正直言って神保は結構疲れていて参っていました。しかし、安は旅行中ずっと「じんちゃん、もっとバスケがしたいよー!」「俺、腹が減ったよー」ばかりを連発していました。あー若いって羨ましい。でも気づくといつも居眠りをしているのは安の方で、実際のタフさは俺の方が上かもねー?なんて見栄を張ってみたり・・・・。
ふー、キーボード叩くのが疲れたので今日はここまで。次回に本題のダラス滞在記を書きます。


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2002年03月25日

For SALE! 〜愛車よさようなら、アメリカよさようなら

 皆さんこんにちは。私神保康広は、とうとう、いよいよ3月25日をもって、日本へ帰国をいたします。現時点では、来期以降のことも全く未定なので、これが一時帰国になるのか、完全帰国になるのかは定かでないのですが、今回は最低でも半年は日本に留まるため、車をはじめ家財道具等全てを処分しての帰国となります。そこで、今回は引越準備で経験した車の売却に関して書いてみたいと思います。

  まず、日本で中古車は、通常中古車ショップを通して買うのが一般的なスタイルです。しかも、車検や登録手続きなどで結構な時間を要するし、車両代以外に諸費用なるものがバカにならない。でもアメリカでは全く違うし、とても簡単に済みます。例えば、中古車の売買は“個人売買”が主流で、中古車ショップの数も日本に比べれば少ないように思います。では何故か?というと話は簡単で、車が「高く売れるし、安く買える」からです。もっと分かり易く言えば、個人売買ならショップが儲ける中間マージンを省くことができ、売買者双方にメリットが得られるのです。しかも、ショップから買えば消費税(モントゴメリは8%)まで納めなければならいけど、個人売買はそれもなし。合理的なアメリカ人なら、個人売買を選ぶのは非常に良く理解できます。そのため、車の年式やグレードで調べる“中古車相場”の本や、インターネットでも、年式や走行距離、装備等を入力すると、その車の相場価格が計算できるシステムもあり、多くの個人売買で利用されています。ただし、事故車や程度の悪い中古車に当たることもあるので、個人売買はそれなりにリスクも覚悟する必要はあります。

  それでは今回の帰国に際して、神保の車を売却するまでを例にして、詳しい流れを説明しましょう。まず、販売の意思を示す方法には、大きく分けて3つ。一つ目は新聞に広告を出して、電話でやり取りした後、実際会って車の確認や商談を進める方法。これは手頃な広告費(30ドル前後)と、購読者=利用者数が非常に多いことから反応も大きいのです。二つ目は、デジカメ等で撮った車の写真と値段や装備等の情報をワープロ打ちしたビラを作成して、大学内の掲示板や人が集まる場所に貼りまくるのです。そして最後は車の窓ガラスに「FOR SALE」と、「電話番号」を書いたタグを貼り付けて表示する方法です。今回神保は3つ目の方法のみを使って、販売活動をしました。また、販売者には神保のように車が必要で、そのまま乗りながら販売活動をしている人もいれば、どこかの駐車場や人通りの多い道に面した空き地などに展示しているケースもあり、町中いたる所で「FOR SALE」のタグを貼った車を見かけることができます。話が反れましたが、「FOR SALE」の表示を出した直後から、レストランやショッピングモールの駐車場、時には信号待ちなどでも、たくさんの人から声を掛けられるようになり、そのまま交渉へと入りました。自慢ではないのですが、非常に程度の良い車と、格安なプライスのため「即欲しい」という人は後を絶たなかったのですが、こちらの「現金に限る」という条件のせいで、なかなか買い手が決まりませんでした。


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”FOR SALE”の表示を貼り付けた愛車のエクスプローラー


 そこで、「帰国まで時間も無いし、慌てて売っても損をするだけ」との判断をして、モービルに住む友人に預けて長期戦で販売することを決めたのでした。しかし、モントゴメリからモービルへ向かう日の午後に、一件の電話が入ったのです。彼女は「数日前に追突事故に遭って、自分の車が廃車になった」そして、「大学へ通うのに車が必要だ」と。とにかく、とても急いでいる様子でした。訪れてきて直ぐに試乗をした後、彼女から「素晴らしい状態だし、価格も安い。是非売って欲しい!」と、購入を即決してくれたのです。そして、「現金を持ってくるので待ってて欲しい」との言葉を残して去っていきました。待つこと1時間、彼女は現金を持って現れ売買は成立したのです。何と、最初の電話を受けてから販売までに要した時間は、2時間足らずでした。しかも、神保が「日本にはモービルの空港から発つ予定なので、今からモービルの友人宅に行かなければならない」と告げると、彼女は「車を安く車を売ってくれた御礼に、私が送ってあげるよ」と、快く往復4時間も掛るモービルまでの道のりを、その日の晩に送ってくれたのでした。本当に素晴らしい個人売買の商談が経験できたし、お互いに気分良く売買ができたのでした。

 次に引き渡しの手続きですが、神保は現金と引き換えにタイトル(所有者証)の譲渡欄に名前と日付とサインをして、鍵を渡すだけで完了です。この時ナンバープレートも外して車を渡したのですが、アメリカでは購入直後の一定期間は、特にナンバープレートがついていなくても普通に公道を走れてしまうのです。これも日本とは大きな違いです。彼女は後日、保険に加入してからライセンス取得のためオフィスで登録手続きをすればよいのです。この手続きは、申請書類とプレート代、プレートに貼るシール代(これは年に一度支払う税金で、車の値段によって異なるが神保は1年で70ドルだった)を支払えば、即ナンバープレートを貰えるのです。車検などの制度も一切無いので、いたって簡単に手続きを済ますことが出来るのです。しかしながら、当然古い車や調子の悪い車も多いので、道端には壊れて走らなくなった車がアチコチに止まっています。全ての管理・責任は、個人に任されているというのも、アメリカらしい感覚でしょうか。ちなみに神保が購入した時は、持ち主から1晩借りる約束をして、ディーラーでお金を払って全ての点検をしてもらい、“無事故、極上車”の確認をしてから購入したのでした。そのお陰で、“壊れるアメ車“のレッテルを覆す動きで、故障のトラブルは一切なしで2年間を過ごせたのでした。

 ところで、ナンバープレートも“自由な国アメリカ”らしく、通常の物から各大学のデザインなど様々な種類が用意されており、登録オフィスで確認したら、普通自動車に付けるプレートだけでも約30種類ありました。また、お金を払えば自分のオリジナルナンバープレートも作ってくれるのです。ちなみに神保は普通のナンバーと車椅子マークのナンバーで迷ったのですが、アメリカ生活の記念になると思って、後者のハンディキャップナンバーを取得しました。これは記念に日本へ持って帰ります。



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神保の車はハンディキャップ専用の
ナンバープレートでした。 
アラバマ州標準のナンバープレート


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アラバマ州立大学デザインの
ナンバープレート



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アラバマ州立大学デザインの
ナンバープレート 


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アーバン大学デザインの
ナンバープレート 




 それと、その他の家財道具ですが、これについてはモービルの仲間たちへ“引越しセール”のEメールを送ったところ、殆どの品物を販売することが出来ました。“遠くの親戚、近くの他人”ということわざもありますが、買い取や処分に協力してくれた、モービルの仲間たちに感謝です。特にモービリアン2号には、彼の不要なものまで買い取ってもらったので感謝2です。夏以降に新しい留学生が来て、それらの品々が処分できることを願っております。

 とにかく、そんなこんなで荷物の整理も全て終り、スッキリした気持ちで帰国を迎えることができました。気づいてみると全ての事(物)が、タイミング良く、きれいに片付いたのです。例えばダスキンの奨学金を得て、成田空港を出発したのが、丁度2年前の3月25日でした。そして、年掛けの海外旅行保険も切り良く切れたし、車や家財道具もきれいさっぱり処分(販売)できた。また、バスケの方も、1シーズン目がD2のベスト8、昨年がD2で全米優勝、そして今シーズンがD1参戦で、惨敗に終ったけども着実にステップアップをしてきたと思えます。そして、帰ったらすぐに風呂屋での活動も始まる。身体の故障や精神的な疲れから、全日本は辞退するという結果になったけども、今となってはとても納得がいく決断だったと思える。今は何もかもスッキリとした気持ちで、少しずつ次のことを考え始めることができている。果たして次のステップは・・・・。まだ自分でも想像がつかん。

 今日は最後にちょっとかっこつけて、「友よ、アメリカよ、ありがとう!」   そして、「早く、居酒屋に行きてーーー!」


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2002年03月18日

2001〜2002シーズン終了 〜最終戦の報告とシーズンを振り返って

  みなさんこんにちは。前回の更新から2週間が経過してしました。カキコ板には「週1回以上を目標」と書いたのですが、やはり厳しいですね。特にこの2週間はシーズン終盤の大事な時期だったし、何せ遠い所への遠征が続いて大変だった。でも実は先週の前半に更新できるように原稿を書いたんですよ。熱く語った原稿を! しかし、保存の手前でパソコンがフリーズしてしまいオジャンでした。結構時間と気合いを掛けて書いただけにガックリで、しばらく気合抜けしてたんですが、最後の力を振り絞って?書いています。

  まず3月1日から出かけたカリフォルニア州のサンノゼ遠征ですが。ここで報告したいのは2点のみです。一つ目はシーズンランキング2位のゴールデンステート・ウォーリアーズに5度目の挑戦で勝利をしたことです。彼らとの試合は初日も接戦の末8点差で敗退したのでしたが、翌日の試合では残り8秒で同点の状態から神保が決勝ゴールのランニングシュートをミス!!リバウンドを拾ったチームメイトが、フリーの選手にパスして、試合終了のブザーと同時にゴールが決まり、2点差での勝利でした。ヒーローは見方の選手に持っていかれましたが、この試合は今年一番の高ゲームだったかも知れません。

  二つ目は、半端じゃなく遠かったことです。バーミンガムからアトランタを経由してサンノゼまでは約8時間半。しかも、その間に中部・東部・西部時間と3つの異なった時間帯を経験したことです。それでも行きは昼過ぎに出て夜に着いたので、まだ良かった。帰りはもっとひどくて夜10時過ぎのフライトでサンノゼを出て、バーミンガムについたのは翌日の朝8時過ぎでした。実際には8時間程度なのですが、時差で2時間進んでいる関係で8時過ぎとなるわけです。とにかくゴールデンステートに勝った事と、長いフライトに疲れたことがサンノゼ遠征の思い出です。まあ、それでも夜間や最終日の午後は、サンフランシスコやサンタクルスビーチなどの観光名所にも足を運び、一応の旅行気分を味わったのですが、丁度カメラの電池が無くて、きれいな景色などの写真を撮り損ねたことは残念です・・・。

  翌週末は、シーズンランキングを元にタスキがけをした、最終トーナメントが全米各地で開催されたのです。日本の場合は全国各地のブロック予選を勝ち抜いた20チーム前後のチームが一同に会して“日本選手権大会”を戦いますが、アメリカでは各地区の上位から更に予選で4チームまで絞るのです。そしてD1及びD2の各4チームだけが“全米選手権”への切符を手に出来るのです。その代わり、大変名誉なことになりますし、選手の扱いも普段とは全く違います。例えばホテルもハイアットなどの高級ホテル。また、開催地主催のウエルカムパーティから始まり、観客席付きのメインコート1面のみで試合を展開。更には、全試合終了後はホテルに場所を移し、選手やスタッフはスーツやドレスに着替えて、バンケット方式のディナーパーティーとなります。また、その席で表彰式が行われるのですが、神保は昨年D2でこの大会に出場して優勝したので、本当にラッキーな経験をすることが出来たのです。

  話がずれましたが、この最終トーナメントでストームが乗り込んだのは、ノースキャロライナ州のシャーロットでした。ここへはチームバスで約7時間の旅でした。まず、1ラウンドは下位決戦でシャーロット・バズとの試合でした。この試合に勝てば次は大御所、便米ランキング1位のミルウォーキーと、全米選手権を掛けて戦うことが出来るのです。シャーロットのエース選手は、試合序盤から3Pシュートをバンバン決めて、前半は終始リードをされる展開でした。ストームもシューターの選手が踏ん張り、常時10点差くらいでゲームは4Qに突入しました。なかなか差が縮まらずに苦しんでいる状況を一変したのは、若干17歳の若きエース、ジェーミー選手の活躍でした。彼の3Pシュート2本を含む連続5ゴールで、一気に同点、逆転に成功したのでした。その後も接戦を演じて最後までもつれたのですが、残り8秒で“事件”が勃発しました

 相手チームが試合時間を止めるために、ファールゲームに出てきたのですが、ある選手がジェーミー選手に汚いファール行為をしたことで、もみ合いになったのです。しかも相手の選手がストームのスコットに向けてボールを投げつけたのですが、見事顔面にヒットしたせいで、乱闘状態となりました。スコットは口だけで決して手は出さなかったのですが、相手の選手からはパンチを受けて出血。会場は一時騒然としました。結局審判の判断でゲームは終了し、ストームの勝利となったのですが、何とも後味の悪い試合となってしまいました。また、この乱闘のお陰でスコットは次の大事な試合で出場停止処分となり、大きな代償を払うことになったのです。日本は審判に比べてアメリカの審判は非常に威厳があり厳しいのも特徴です。例えば選手が審判のジャッジに対して「マジかよー!」とでも言えば、すぐにテクニカルファールを取られます。また、今回のような乱闘でも、非常に厳しい措置を取るのです。

  次に挑んだのはミルウォーキー戦ですが、この試合は1Qで試合が決まりました。あっという間にダブルスコアーにされてしまいました。特にオールコートプレスを引かれると、高さもスピードも上のミルウォーキー相手では、シュートまで行くことが出来ないこともしばしば。神保も途中で集中力が切れ掛かったのですが、最後の試合になるかもしれないことと、ゲーム中に相手選手のウィル選手が、戦いを挑むようなチョッカイを出してくれたので切れずにプレーできました。ただ、後半ストームは全員参加型の“お情け“バスケになったので、神保は4Q途中からベンチで見学でした。結局60−118のダブルスコアで敗退し、ストームのシーズンが終了したのです。それと同時に神保もストームを去る日ことになったのです。アメリカはシーズンが終れば基本的に選手とチームの関係はなくなります。また来シーズン前の選手登録締切日までに”書類“を交わしたチームでプレーをすることになるのです。殆どの選手は基本的に同じチームとの更新ですが、神保は先に「断り」を入れてあるのでした。

  最後に今シーズンのD1初参戦を振り返っての感想なのですが、正直言ってアメリカ人の底力を思い知った感じはします。特にジュニアの活動が非常に素晴らしい結果をもたらしてることは確かでしょう。前にも書いたUTAで活躍する十代の選手については、あまりに大きな衝撃でした。神保は実際アメリカでのバスケを体験してみて、高さの無い日本でも勝つ方法はあると実感しました。しかし、それにはつくづく乗り越えるべき壁の多さも痛感しています。自分の年齢や環境のせいにはしたくないのですが、基礎をしっかり学ばずに育ってきたバックグラウンドや腰痛などの故障を抱えている現時点での状態では、一個人として限界感すら感じています。正直言って日本でプレーしているときに、自分の限界を感じたことはありませんでした。しかし、アメリカでの体験は自分を成長させてくれたことと同時に、大きな限界の壁を見せつけられたようにも思います。このような時、人間はどのような選択をしていくべきなのだろうか? 

  野茂選手がメジャー挑戦した翌年に出版している自伝にはこう書いてありました。「多くの選手(打者)はプロに入ると、自分の限界を知って、学生時代のスラッガースタイルを変え、バントや犠打に徹してでも、プロで生き残れるよう試行錯誤している」。しかし、彼は「自分のスタイルにポリシーを持っている」と。そして、彼の目から観て、「その精神を貫いているのがイチロー選手」とも書いています。それは、自分のバッティングに自信を持って、バットを振りぬいてくるスイングをしているからだそうです。だから彼は、どの投手から見ても非常に怖い存在なのだそうです。そして、昨シーズンはメジャーで大活躍をした・・・。

  話は脱線ばかりしていますが、神保は今、この限界ラインに対しどのように対処すべきかを悩んでおります。プレースタイルを変えてみるのか?全く同じ状態のままで少しずつ上り続けるか?はたまたバスケをやめて新たな目標に向かってチャレンジするのも一つの手段か??ただ、風呂屋で活動するのに心配は要らないと思います。若い選手もたくさんいるし、他にも出来ることや、しなければいけないことはたくさんあると思うから。でも世界進出(アメリカ活動や全日本)は・・・・?かな。この2年の米国生活は自分の人生において、確かにプラスになったと思うのだけど、大きな試練を抱えることになりました。これからしばらくの間は、身体のケアと今後のことについてじっくり考えていこうと思います。

 追伸
  これから帰国をしたら体験記はどうなるのか?と、心配してくれている人がいるかなー?(笑) でも心配はいりません。多分更新回数はぐっと減ると思いますが、続けていきたいと思います。例えば「第2弾ここが変だよアメリカ人」や、移籍問題に関わる途中経過、その他アメリカ生活での思い出などを、覚えている範囲でどんどん書いていこうと思います。もちろん今後の進路についても書きたいと思います。 でも、実は次回の内容は決まっているのですよ。きっと帰国前にはもう一度くらい更新できると思います。


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2002年03月05日

ここが変だよアメリカ人! 〜アメリカの良いとこ・悪いとこ・変なとこ

  さーて、今回も少しバスケやスポーツの話題から離れ、「普段の生活で感じるアメリカ」を書いてみたいと思います。得に今回は、その中でも神保が感じる“変だなー”という部分を中心に書きまくってみようと思います。

 まずはトイレの話題です。日本では“車椅子用トイレ”として別に用意してあるけど、まだまだ十分な数だとは言えません。だから日本だと未だにトイレが無くて困ることは多々あるのです。しかし、アメリカは基本的に一緒です。例えば、ガソリンスタンドや食堂のトイレはたいてい一つしかないけど、その一つがおおきくて車椅子で入れるようになっているのです。これは俺たち車椅子利用者にとっては、非常に助かることです。日本では携帯用トイレ(ビニール袋)と、お漏らしした時用の着替えが手放せなかった神保も、アメリカでは人並みのトイレ生活?が、送れていることは非常に大きな喜びの一つなのです。


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一番奥が車椅子対応で広くなっています。



 しかーし、それだけでは変な話にはならないのです。本題はこれから。通常男子は“大便“と”小便“で使う便器が違うのでが、アメ人はよほど自分の”モノ“に自信がないのか?小便器がたくさん空いているにも関わらず、個室に入って小用を済ます人が非常に多いのです。しかも、男は立ったままで用を足しますが、丁寧に便座を上げる人も少ないので、どういうことになるかは想像がつくかと思います。使用後はビチャビチャ・・。ということで、神保はいつもトイレに入ると、まず紙タオルを引き出して水に濡らして個室に入り、便座周りをお掃除してから使用するのです。この件で、ある日トイレの盗撮をして、チームのみんなに画像を見せながら質問をぶつけてみたところ、みんな「きっと”モノ“が小さいから見られたくないんだよ!(笑)」と、予想通りの答えが返ってきました。ところで、アメリカのトイレって、どこでもペーパータオルが付いているのです。 これに慣れるとハンカチいらずで便利なのですが、日本に帰った時に少々不便を感じます。が、紙の無駄使いになるので本当は無い方がいいかもしれないです。



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激写!個室で立ちションをする人です。
       ※つま先の方向を見ると、立っていることが分かりますよね?



 次は小銭を拾わないアメリカ人の話です。例えばスーパーのレジやフードコートなどで、支払いを済ませたあとに、お釣りなどの小銭を落としたとします。すると、日本人は例え1円でも落とせばたいていの人は拾いますよね?“1円を笑うものは1円に泣く”ということわざもあるくらいだし。しかし、米人の多くは気づいても拾わないのです。神保はこの2年で少なくても7回くらい目撃したのですが、拾った人は一人しかいませんでした。しかも、他の誰かが拾うのでは?と思い、しばらく床に落ちた小銭を観察していたのですが、とうとう一度も拾う人を見たことが無いのです。その理由は未だに解明されていません。きっとアメリカ人は太っている人が多いので、しゃがむのが面倒くさいのかも知れません。または、落ちたお金を拾うのはセコイと思うのかも知れません。日本には無い不思議な光景です。

 使い捨ての国アメリカの悲劇。実はアメリカに来て一番驚いたことが、この使い捨て社会です。正直言ってこの国の使い捨ては異常です。上で書いたトイレのペーパータオルもそうですが、キッチン用ペーパータオルの消費も半端じゃない! 日本のように布巾を洗って何度も使う人なんて皆無に等しいですから。それに買いもの用の紙袋やファーストフードの紙 or プラスティック食器なんて、何でもかんでも使うし、食べ終わるとそのままゴミ箱行きです。それだけなら日本でもあることですが、彼らの生活は家でも紙食器だけという人が少なくないのです。ある米人の友達宅では、普通の食器と使い捨ての食器を併用しており、毎日数十枚の紙食器を捨てています。理由は「食器洗いが面倒なのと、使い捨て食器が安いから」だそうです。例えば200枚入りの使い捨て食器(紙や発砲スチロール製など)で3ドル程度なのです。彼らの言い分は分かります。「皿洗いで毎日10分費やせば一ケ月で4時間になる。もし4時間働けば最低でも20ドルにはなる。皿は洗うより使い捨てた方が楽でお金を節約できる」というのです。考え方は理解しますが、この国にリサイクルとか環境問題なんて言葉は存在するのでしょうか?この国はとにかく物を消費し続けて、成り立っている国と言うのが実感です。合理的といえば合理的だけど、とにかく無駄が多い社会です。しかも、州によって多少の法律は違いますが、アラバマは電池もカンもビンも全て同じゴミ袋で捨てることができてしまうのです。そのせいか?川の水はどこも茶色く濁っていて、汚いし臭いです。

 さーーて、次は日曜日にお酒が買えない話です。これは州によって法律などが違うので、一概には言えないのですが確かジョージア州は日曜日にお酒類が買えない州だったと思います。ここアラバマは、州の法律では特に定められていないのですが、カウンティー(ある地域・郡)によって決まりがあり、買える所と買えない所が存在します。前に住んでいたバーミンガムは買えたんだけど、今住んでいるモントゴメリは買うことができません。店に商品は普通に並んでいるのですが、もしレジに持って行っても説明をされて引き上げられてしまいます。お願いすれば売ってもらえるかと思いきや、法律や決まりに対しては厳しい国で、絶対に売ってもらえないのです。では、何故売ってもらえないかというと、禁酒法やキリスト教徒の教えに対する名残りなどのようです。しかし、レストランなどで高いお金を払えば飲めるという逃げ道もあり、そこら辺がフェアーじゃないと思う部分です。

 次はちょっと良いことを書いておきましょう。ボランティアの国を象徴するアメリカの話です。例えば買い物などで、荷物を抱えて歩いていると「大丈夫?車まで運んであげようか?」と、声をかけてくれる人などはとても普通です。もちろんお願いすれば快く手伝ってくれるし、断ればすぐにその場を去っていくので、とても自然だし親切の押し売りも無いのです。また、デパートに入る時の大きなガラスのドアなど、日本では目の前に人が歩いていても、開けて待ってくれる人は少ないのですが、アメリカでは自分で開けることの方が少ないと思います。必ず見ている人や近くの人が開けて待っていてくれるのです。 アメリカ人ってこの辺は、とても自然でスマートな印象を受けます。

 最後にドカーンと書いてしまいましょう! 神保が2年間アメリカで生活をしていて感じた、本心で思う“アメリカ人”に対するイメージです。アメリカ人は普段周囲に対してとても親切で笑顔を絶やさず、一見素晴らしいと思うのですよ。が、心の中では自分さえ良ければそれで良いと思っている人が非常に多いし、日本人に対してはどこまで行っても最後は“ジャップ“なのですよ。ニコって笑って話しているからと言って、全てが本心ではないし信じてはいけないということも学びました。もちろんそんなのは日本でも同じかもしれません。でもアメリカではそれを強く感じるんです! ただ、アメリカを良く知る友人は「南部は保守的で差別感覚が強いし、特にアラバマはひどいから、この州を基本に考えない方が良いよ」と言っていました。確かに一部だけを見て判断するのは危険かもしれません。もちろんとても素晴らしい人達もたくさんいるし、一概に「アメリカ」と、ひとまとめにしてはいけないのかも知れないなーー。まあここで書いている事は、あくまでも神保の私的な考えであるということを書き添えたいと思います。出来ればみなさんも実際アメリカで暮らして、自分自身で感じて欲しいなーと思うわけです。
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2002年02月25日

交通違反で切符切られました 〜アメリカの交通違反の処理システム

 哲さーーん、チームTシャツを作製するため、ダウンタウンのショップで打ち合わせしてる間に、駐車違反で切符切られちゃいました。チームの経費で払ってくださいよ!(笑) まあ、路駐した俺のミスなんですが、たった10分くらいの間だったのでガッカリです。金額はたった10ドルなので、日本に比べればかわいいものなんですけど・・・。と、言うことで今日は交通違反やお巡りさんについて書いてみます。

 神保が2年間の生活でお巡りさんに捕まった回数はというと、ざっと数えて6、7回。全てスピード違反だったのですが、まずはその方法を説明します。アメリカでは、日本のようなオービス(自動取締用カメラ)は無く、殆どがパトカーによる現行犯の取り押さえです。例えば夜の高速道路で路肩にライトを消して止まっていたり、何か障害物に隠れて待っていたりするのです。また、ときどき覆面パトカーなるものも走っております。

  確か一番初めに捕まったのが、渡米して3ヶ月とたたない頃に、ケンタッキー州内の高速を走っていた時でした。制限速度が70マイル(112キロ)の道を82マイル(131キロ)で走っていたんですよ。いや厳密に言うと、走っていたと勘違いをしていた時のことです。その時、ふと前方の路肩を見ると誰かが捕まっているのが見えました。「かわいそうに、覆面パトカーに捕まってるよ」と、独り言を言いながら快調に走っていると、そのお巡りさんがあわてて車に乗って走り出すのがバックミラーで見えたのです!「まさかなーー」と思いつつ減速して走っていると、神保の真後ろに追走してきて「車を止めろ」と合図をしてきたのです。お巡りさんが何と言っているのかイマイチ聞き取れなかったのですが、どうやら制限速度が50マイル(80キロ)の道だったのです。交通量の多い街に近づいて、制限速度が70マイルから50マイルに変っていたようなのですが、その標識を見逃していたらしい。神保は下手な英語と身振り手振りで「制限速度が70マイルだと思っていた」と、説明したのですが、その警官は「コート(裁判所)で話しなさい」と、呼び出しの日付を書いた書類を一通渡して去っていきました。32マイル(51キロ)オーバーは、もはや違反切符では済まない重罪だったのです。

  その書類を持って、アラバマへと帰ってきたのですが、周囲の人に相談すると「かなりの罰金か刑務所行き」と言われ、絶望しました。そこで、少しでもきちんとこちらの意思や話が伝わるようにと、近所でお世話になっていた日本語を話せる牧師さん(彼は宣教師として日本に住んでいた経験がある)に通訳のお願いに行ったのです。すると彼から戻ってきた言葉は「間違っただけだから、多分許してもらえるでしょう」とのことでした。えーーー、うそーーーーーと思いながらも、その書類を牧師さんに託して連絡を待ちました。すると、数日後に彼から電話が入り、「裁判所に電話して説明したら許してくれましたよ」と言うのです。最初はその言葉を疑ったのですが、その後、書類を裁判所に送り返して一件落着となったのです。彼いわく「アメリカは事情を話せば、結構許してくれるのです」とのこと。「アメリカって寛大な国だなー」と、驚いたの同時に、日本の厳しさとは違う対応に「国が変るとこんなにも違うのかー」と感心したものです。また、そんなアメリカがとても好きになりました。(笑)

 その後も何度となく高速道路や郊外の道路でパトカーに追いかけられて捕まったのですが、あまり言い訳はしたくないので(捕まったくせに偉そうですが)、素直に謝って反省の意を示すと、いつも「気をつけて走りなさい」と許してくれるのです。また、「レイクショアでバスケをしている」というと、「あそこはバーミンガムでも有名だよな!」と、バスケの話で盛り上がり、簡単に許してくれるのです。そんな経験をしていくうちに、「アメリカのお巡りさんって想像していたほど怖くも、汚くなくもないな」と思うようになりました。多分、神保の場合はかなりラッキーが続いたのだと思いますが、これまで罰金を払ったことは一度もなかったのです。

 が、しかし冒頭でも書いたように、帰国を一ヶ月後に控えて、とうとう切符を切られてしまいました。しかも路上駐車の違反なので、知らぬ間に切符を切られてワイパーに挟まれていたのです。まあ、残念と言えば残念ですが、アメリカ生活の記念にもなるので、しっかりデジカメに収めておきました。(笑) ところで、罰金の支払方ですが、チェック(小切手)を罰金分書いて、違反切符と一緒にオフィスへ持参するか送れば完了です。もし、お金が無いとか不服があって支払わない時は、指定された日時に裁判所へ出頭することになり、有罪ならば刑務所行きの可能性もあるのです。 実は神保の違反切符を見ると、呼び出し日が“3月20日”となっているのです。しかし、日本のへの帰国は3月19日です。もう二度とアラバマに住むことはないでしょうし、これはどういうことになるのか・・・・・、もしかして“バックレ”がきくと言うことでしょか?(笑) しかも、神保は帰国の前に車を売る予定ですし、更にはタイトル(車の名義証)にある名前が、タイプミスで一文字間違っているのです。これは払わなくても絶対に分からないし、その後の問題もないことでしょう。



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COURT DATE 03/20/02と書いてあるのが、
裁判所への呼び出し日ですが、罰金は支払うので
裁判所へは行きません!


その話を何人かの米人の友達に話したら、みんな一様に「お前は最後の最後までラッキーだな!」と言って笑っていました。というのも、日頃からよく彼らに神保の「波乱な人生談」を語っていたのですが、これまで本当にいつもラッキーの連続だったのです。例えば、バイクで140キロのスピードでブロック塀に突っ込んで生きていたことから始まり、英語もろくに出来ないのに、渡米前ダスキンの奨学金を得たこと。アメリカで事故ったけど相手が親切で許してくれたこと。良く壊れると言われるアメリ車の中古を買ったにも関わらず絶好調なこと。遠征で一人だけ飛行機に乗り遅れたくせに、違う飛行機に代えてもらった関係で乗り継ぎがなくなり、予定より早くついてしまった話。度重なるスピード違反に対して一度も切符を切られたことがなかったことなどなど、いつもそんな話をすると「ジンボはラッキーな奴だ!」と言われていたのです。

 ところで、今回の違反切符はどうするかって?? まあ、最後の最後に切られたのも何か運命かもしれません。アラバマにお世話になった恩返し?の意味も含めて、しっかり支払ってから帰国をしようと思っています。もちろん、違反したのですからきっちり支払うのが当然と言えば当然の話ですね。そうそう、最後にもう一つ、アメリカの面白いところで、自分の住んでいる州(自分の免許が発行された州)以外で捕まって切符をもらったとします。しかし、そのまま払わなくても州外まで追いかけて書類がきたり、逮捕しにくることはないと言うことです。しかし、万が一そのままにしておいて、また同じ州に行って何かの拍子でバレたり違反して捕まると、即刑務所行きや重罪で罰せられるということです。要するに州が一つの国と同じような働きをしているのです。これは日本とアメリカ合衆国との大きな違いです。なんにしても、罰金は払わなければいけないのです!自分で違反を犯したのですから・・・・。 

 予断ですが、前回の記事で書いた“変なボリビア人”アレックス君は、ニューオリンズの“Mardi Gras”に行って、立ち小便の現行で捕まったらしく、12時間刑務所に拘束されたあげく、保釈金?として500ドル(約6万5千円)を払ってきたそうです。その後、裁判所にも呼び出されて、数日後に再びニューオリンズへ行き裁判を受けたようですが、まだ判決等の結果は聞いていません。現在は刑務所にいないことを祈るばかりです。この件に関しては「たかが立ちションで!」と思ったのですが、所変れば考えや扱いも全く違うということです。みなさんもアメリカへお起こしの際は、くれぐれも”立ちション“をしないように気をつけてくださいね!!

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2002年02月21日

ラスベガス遠征のレポート〜“試合のための練習“が重要かなー

 今日は年に1度のお楽しみ? ラスベガス遠征のレポートです。先週15日(金)に地元バーミンガム空港を出発したのですが、まず、ここで日本の遠征や集団行動と違うのは、各自で空港に行き、各自で勝手にチェックインを済まして、飛行に乗り込んでいく所です。ですから、早く来てお茶をしている人もいれば、時間ギリギリに来て駆け込んでくるような人もいて、結構その人の性格が出ます。普段神保は余裕を持って行く派なのですが、実は2年前のラスベガス遠征で笑える思い出があるのです。この時は、ある用事があって、一人遅れてラスベガスに向かったのですが、途中で2度ほど乗り継ぎがあるにも関わらず、1度目の乗り継ぎ地、ヒューストンで飛行機に乗り遅れたのです。焦りながらカウンターに行って事情を説明すると(単なるミスなんですが・・)、意外と簡単に他の航空会社の便に振り替えてくれたのです。しかも、無料だし直行便のため、当初の予定よりも2時間早くベガスに到着したのでした。もっと驚いたのはベガスに着くと、ホテルに到着しているはずのチームメイトたちが、空港のロビーでたむろしているではないですか! なんでも話を聞くと、彼らの飛行機は大幅に遅れて到着したらしいのです。何はともあれベガスの空港でみんなと合流できたのでした。 考えてみると、この頃から「ジンボはラッキーな奴だ」と言われるようになったような気がします・・・(笑) 少し話がそれましたが、今回はバーミンガムから直行便でベガスに到着しました。



 いつもホテルは観光地のど真ん中だったのですが、今回のホテルは少し離れた所で静かな感じでした。しかし、何人かの連中は到着したその晩から街へと繰り出していたようです。翌日話だけを聞くと、やれストリップショーやカジノへやらと、夜な夜な遊びまわっていたようです・・・。今回のルームメイトはスティーブだったのですが、彼は非常におとなしく個人行動が好きなので、アメ人からも“変わり者”呼ばわりをされています。ただ、真面目で夜遊びもしなければ、酒もタバコもやらないし、とてもキレイ好きなので、ルームメイトとしては最高のパートナーです。そんなスティーブがルームメイトだったせいか?今回のベガス遠征では、3泊したにも関わらず、夜は全て部屋でゆっくり彼と映画や冬季五輪を観て過ごしました。というか疲れて殆ど寝ていました。結局ネオンの街には行かずじまいでしたが、あまり行きたいところもなかったので後悔もないです。


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ホテルの前から撮った郊外の画
      (この時は時差の関係で、間違って2時間も早起きしたので散歩をしました。)


 さて、試合の方ですが今回は通常のリーグ戦のような位置づけの試合で、ダラス、ゴールデンステート、カナダのクラブチームの3チームと試合をしました。内容的には少しずつですが、良くなっている兆しが見えたかなーーという感じです。ダラス戦は後半の後半まで10点差前後で進みましたが、最後の最後で乱れて結局20点差くらいでの敗退です。続いて戦ったゴールデンステート戦は、一時3点差まで詰める好ゲームを展開して、最後は8点差での敗退でした。しかし、どちらの試合もプレーしていて選手の頑張り度が、いつもより感じられて“良くなっている!”という雰囲気を感じながら行けた気がします。まあ、この調子が今回限りでないことを祈るばかりです。(笑) それから、カナダのチームが意外と強いのには驚きました。というのも、カナダ代表選手の多くは、米国でプレーしているので、対戦したチームにはそんなに目立った選手はいなかったのです。しかし、戦ってみると非常にタフでシュートも確実性があり、最後まで接戦を演じたのでした。結局最後は15点差くらいで勝ったのですが、決して楽勝という試合ではありませんでした。これから、ファイナルに向かって、一試合一試合が大事な戦いになってくるので、とにかく前の試合より次の試合の内容を良くして、少しでも勝利に結びつく戦いをしていくことが重要なのです。

 今回の遠征では色々な選手と交流を持ち、車椅子の試乗や情報収集を積極的にしました。今まであまり人の車椅子に乗らせてもらうことが無かったのですが、今回の遠征では6人の選手にお願いをして車椅子に試乗しました。これが意外といい勉強になり、各選手がどのようなセッティングで、どのようなプレーをしているか?ということが理解できました。また、練習方法なども詳しく聞いたのですが、基本的に米国のD1選手は普段個人で練習を積んで、シーズン中の試合で合わせていくというスタンスらしいのです。そう言われてみると、彼らの試合を観ると、どこのチームも勝敗を気にしつつも、チームプレーの確認や新しいプレーを試しているといった光景が良く見られます。この辺も日本が吸収すべき点のように感じました。“練習のための練習”ではなく、“試合のための練習”。もっと言えば“試合で練習する”くらいに考えてプレーする感覚が、実践で通じる力を養っていくのだと感じました。ちなみに、ダラスの数選手は、いつもUTAの選手と一緒に練習をしているそうですが、ほぼ毎日30分くらいの走りこみと、スポットシュートの打ち込みに時間をかけているそうです。

 それと、余談ですがカナダのエース、パトリック・アンダーソン選手が試合を見学に来ていたので、今、何をしているのか聞いてみました。彼は「今年だけバスケは休んでいる」とのことで、それ以上の多くは語ってくれませんでした。また、ベガスへは車椅子アメリカン・フットボールの大会に参加するため来ていたらしく、「優勝すると賞金もでるんだよ!」と笑っていました。一応「夏の世界選手権で北九州には来るのか?」と、質問したのですが「もちろん行くよ!」と答えてくれました。是非多くの人に、世界選手権で彼の生のプレーを観てもらいたいです。彼は若干21歳ですが、たぶん世界一の車椅子バスケットボールプレイヤーです。

 最後にチームディナーでの話です。我がストームは、いつも遠征に行くと“チームディナー”と言って、スタッフ全員で夕食会をするのです。が、今回ディナーの前に、たまたま誕生日の話題になって「俺の誕生日は6月16日なので、日本で迎えることになる」と言ったのです。すると、ディナーの途中でウエイターのお姉さんが、ウサギの耳とバケツを持ってきて神保に渡し、「今日はあなたの誕生日!みんなでバースデーソングを歌うから、これをかぶってバケツでリズムを取ってね!」と、言うのです。神保は「この人なにを言ってるのやら?」と、思いつつも既にウサギの耳を付けさせられていたのでした。少し酔っていたせいもあり、「まっ、いいか」と思って、そのまま祝ってもらいました。(笑) 後で聞いてみると、チームメイトの一人が、「俺たちはジンボの誕生日を祝ってあげられないので、今日(2月16日)に、4ヶ月早いバースデープレゼントを計画したんだ」と言うのです。なんて素晴らしい仲間たちなんだーと、彼らの心使いに感動してしまいました。しかも、普段のチームディナーだとお酒だけは自分持ちなんですが、今回は飲み代も含めて全てチーム(スポンサー)持ちとなったのでした。ラッキー!


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チームディナーでのお粗末な一コマ
       (結構酔っていたので、ヤバイ顔してます)


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同じくチームディナー
       (初めて紹介する?我がストームの面々)
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2002年02月13日

楽しいモービルの仲間たち 〜 モービルと”Mardi Gras“(お祭り)のレポート

 みなさんこんにちは。今日は「ここ変アメ人」や「ベガス遠征記」ではなく、神保が昨年夏に数ヶ月間住んでいた、モービルという街と、その仲間たちの紹介をしましょう。まず、場所から説明するとモービルはアラバマ州の最南端にあり、メキシコ湾にも面していて、アラバマでは数少ない海に面した街です。ここはアラバマ州で2番目に大きな街のため、一応一通り何でもあるし、生活の利便性は高いです。しかも、気候は暖かく海もあり、隣接してフロリダ州とミシシッピー州があるので、海水浴や観光・ギャンブル場など多彩で、住むには非常に良い所かもしれません。ただし、夏は非常に雨(スコール)が多くて日本以上に蒸し暑くなるので、そこが難点といえば難点です。

この街には、USA(University of South Alabama)という州立大学をはじめ、幾つかの大学があり結構日本人の学生さんも住んでいます。また、某大手日本企業の海外工場(事務所?)があり、その関係でも日本人の方々が住んでいるので、街の規模からすると日本人は多いように思います。まず、ここで最初に紹介をしたいのがモービルのドン?として有名な“モービリアン1号”こと「のぶさん」です。実は彼、神保と同じ車椅子の身で10年以上も前に単独で留学し、その流れで車椅子バスケもしているという神保の先輩的存在です。彼とは‘97年に、たまたま神保が全日本の一員として参加したデンバーの大会で知り合ったのですが、その後は友達として留学の件などで相談にのってもらったりしました。また、留学先が同じアラバマだったこともあり、渡米後は大会で会ったり週末を利用しては遊びにきたりして交流を深めています。それと、下の写真にモービリアン“2号”、“3号”もしっかり写っています。“2号”のヒントは「学生時代に慣らしたというマージャン狂で、時折周囲の人が驚くほどの大きなくしゃみをする人」です。(笑)みなさん写真から想像してみてください。それと、最近我がHPのカキコ板に度々登場している“3号”。彼は「身体を鍛えることに命を掛けており、プロレス好き」というのがヒントです。なんとなく想像がつくのではないでしょうか?彼は料理がとても上手で、さばの煮付けやどら焼き、アンパンまで自分で作ってしまうのです。他にもモービルには、全国のアチコチから集まってきた個性的で楽しい人たちがたくさんいて、いつ誰が訪れて来ても、みんな喜んで歓迎してくれます。


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モービルの仲間たち
     さあ、誰がモービリアン1,2,3号でしょうか?


以前、神保はバーミンガムという街に住んでいたのですが、昨年の夏にこの街へ引っ越してきて生活をしました。何故モービルに越してきたのかと言うと、この街にあるSpring Hillという大学に、ESL(留学生用の英語クラス)があり、そこに通うことを決めたからでした。ここで知り合ったのが、変なボリビア人のアレックス君でした。彼は若干19歳にも関わらず、偽の身分証明書を作って酒場に忍び込むクセモノで、寮のルームメイトだったこともあり、良く一緒に飲みに行きました。(注;米国では21歳からお酒が飲めます)  モービルの仲間は彼に対して「アナタワ オカマデスカ?」という言葉を覚えさせて、神保に向かって言わせたために、それが定着して、今ではメールの挨拶文も「Hey Okama!」と神保を“オカマ”呼ばわりしてくれます。(笑) まあ、そんな話はさておき、 昨年夏はここの大学の寮で生活をしながら、モービルの仲間たちと色々な経験をすることができました。例えばフロリダへドライブを兼ねて海水浴に行ったり、釣りに行ったり、週末は大勢でホームパーティーをしたり・・・・と。ここでの生活は約2ヶ月半という短い期間でしたが、本当に色々な経験が出来きたし、とても素晴らしい仲間がたくさんできました。


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昨年夏に大学の寮にて
     写真の右側が変なボリビア人のアレックスですービルの仲間たち


さーーて、次に紹介するのは掲示板でもモービリアン3号が触れていた、“Mardi Gras”というお祭りです。掲示板にも説明がありましたが、ニューオリンズスタイルでは、男がプラスティックで出来た色とりどりのネックレスをジャラジャラさせて、それが欲しい女子はその場でオッパイを見せるというフザケ祭りです。しかも、この“オッパイシーン”を一挙に収録したビデオまで販売されているのです。タダ撮りのオッパイビデオを販売するなんて商売上手ですよねー。少し話が脱線しましたが、最後は飲めや歌えやのお祭り騒ぎが夜通し続くらしいのです。

今回神保は、ニューオリンズの半狂乱的なお祭りは避けて、友達数人とモービルで開催された“Mardi Gras”を見学して来ました。ここでのスタイルは少し違います。残念なことにオッパイを見ることできなかったのですが、簡単に説明すると、ディズニーランドのエレクトリカル・パレードみたいなものが連日繰り返されるのです。ダウンタウンにある中心部の道路を全て封鎖して、ここに色々な乗り物に乗って仮面をつけた人たちが、例のネックレスやお菓子、ピーナッツ、フリスビーなどの品々を沿道に群がる見物人にばらまくのです。別にどれも特別欲しいと思えるような物ではないのですが、なんとなく「タダならくれー」という感じでオネダリをしてしまいます。ふと我に気が付くと、沿道のサクにはりつき、日本語で「くれーーー!」と叫んでいる自分に気が付きました(笑)。 そんなパレードが昼夜数回にわたり1週間ほど続くそうなのですが、考えてみると結構くだらないお祭りです。 そうそう、モービルの名誉のために付け加えると、現在このお祭りは、ニューオリンズがメッカのようになっていますが、「発祥の地はモービルである」と、モービリアン1号が言っておりました。ところで、沿道にばらまかれる品々の量と言ったら半端じゃないのですが、それはどこに行くのか?というと結局祭りが終れば熱も冷め、殆どはゴミ箱に行ってしまうようです。今、神保もGETしたネックレスの処分に困っているところです。だって本当に何の利用価値も無い物ばかりなんですよ。



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”Mrdi Gras” の様子
       沿道には手を上げてアピールする人々の群れが・・


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2002年02月09日

ブルーグラス・インビテーショナル in ケンタッキー 〜若き勇者たちにアッパレ!

 皆さんこんにちは。先週末は遠征でケンタッキー州のレキシントンを旅してきました。通常は飛行機での遠征が多いのですが、今回の遠征はチームバスで約6時間の旅でした。移動時に選手はバスの2席を貰い、移動中は読書をしたり、ビデオを見たりとリラックスできるので、あまり大きなストレスにはなりません。ちなみに神保は大半を寝て過ごし、あとの時間はパソコンをしました。レイクショアはチームバスを3台所有しており、遠征や大会での送迎に使えるようになっています。今回は、チームバスの後ろに車椅子や荷物用のレンタルカーゴをけん引して、ケンタッキーに乗り込みました。ちなみに米国では選手が車を運転したり、交通費を自分で払う必要はないので、この辺は日本と大きく違うところかも知れません。また、聞く所によるとテネシーのチームは選手9人とスタッフ数人のためだけに、遠征用のチームバス(リフト付き大型観光バス)を購入したらしく、ある選手が「プレステをしながら、非常に快適な移動が出来た」と誇らしげに言っていました。レイクショアのバスはスクールバスに毛が生えた程度です・・・・。羨ましいなーーー。


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レキシントンに向かう車中での一コマ。
ちょうどこの時は、友達からのe-mailに返事を書いていました。


 このブルーグラス杯は、地方のトーナメントでも一番大きな規模の大会で、毎年D1全チームとD2の上位10チームくらいが参加する大会です。ただし、D1とD2は分かれていて、D1はD1のチーム、D2はD2のチームとしか戦いません。もちろん優勝チームも2チームとなります。この大会の面白い所はトーナメント表です。通常のトーナメントは負けた時点で終わりですが、この大会は“表”と、負けても敗者用の“裏”トーナメント表が用意されているのです。したがって、負けたチームは負けたチーム同志で戦います。そのため、仮に優勝候補同士が“表“の1,2回戦で当たったとしても、負けたチームは”裏“で勝ちあがれば決勝に進める可能性もあるのです。また、”表“で勝ち上がったチームは、決勝まで3試合でたどり着くのですが、1回戦で負けたチームが”裏“で決勝に進むには、計算上7,8試合を戦う必要があるという過酷なスケジュールなのです。その代わり、色々なチームの対戦が実現するし、必ず実力のあるチームが勝ち上がれるので、どの試合も接戦が多くとてもレベルの高い試合が展開されるのです。

 我がストームの1回戦はイリノイ大学でした。今年はカナダのエース、パトリック・アンダーソン選手がいないので、勝ち目があるかなーと思ったのですが、甘かったようです。前半は3点差で折り返したのですが、彼らのタフな動きに我がオールドチームはいつものように崩れ、終ってみれば91−63で退廃しました。大学のチーム全般に言えることは、彼らは技術的な未熟さを情熱と若さ(スピードやスタミナ)でカバーしているのですが、これが結構凄くて対戦相手の選手は切れたり諦めてしまう人が少なくないのです。敗者として望んだ“裏”ではテネシーと当たったのですが、大接戦の末、残り6秒で逆転ゴールを許し2点差で敗退したのでした。まあ、この試合は全米ランク4位のテネシーを相手に良くやったのではないかと思います。通常は2回連続で負けるとそこで終るのですが、今回は順位決定戦も用意されており、3試合目にデンバーと戦いました。この試合に勝てば7,8位決定戦に進め、負ければ最下位決定という試合でしたが、20点以上離されて、あえなく3連敗となりました。この試合でちょっとしたトラブルがあり、神保は後半試合に出ませんでした。残念ですが、我がチームは最下位で大会を終えたのです。

 今年は毎試合非常に厳しい試合が続き、勝てない中でのストレスがチームの状況を悪化させています。年配の選手は相手の厳しいDFに切れて、暴言を吐いたり手を出して度々テクニカルファールを取られるし、必ずと言って良いほど、前半が良くても後半に崩れて大敗するのです。この中で神保は「どうすればチームが良くなるのか?」と言うことを考えるのですが、コーチと話したり、気合を入れたプレーでアピールしてもなかなか改善は見られません。自分自身には「良い経験をしているのだ!」と言い聞かせているのですが、正直いって車椅子バスケを始めてから、14年間で初めて味わう長く苦しい敗者の屈辱感とストレスの日々です。


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ダラス対デンバーの試合風景。
ダラス5番ウエルチ選手、42番ビーク選手、デンバー24番のナイト選手は、ともに北九州ゴールドカップの全米代表選手です。


 ところで、この大会で信じ難い事実を目の当たりにしたのです。というのも優勝をしたのは順当に全米ランク1位のミルウォーキーだったようですが(先に帰ったので決勝戦は観てない)、彼らは全米代表選手5名とカナダ代表選手2名で構成されており、そうそうたるメンバーを揃えているのです。その他でも、ダラスやテネシーなどは各国の代表選手がひしめくプロ集団で、試合を観ていても質の違いを感じました。が、しかし、このダラスやテネシーをなぎ倒し、ミルウォーキーでさえも手こずらせたチームがあるのです。それはUTA(テキサス州立大学アーリントン校)。ここには唯一全米代表の若きエース、ポール・ショルティー選手がいるのですが、その他の選手を見ると高さ的にも神保より高い選手は一人もいないし、よく見ると昨年はジュニア(18歳以下)の大会で活躍していて、「将来が楽しみだなー」なんて思っていた選手が中心となっているのです。彼らの多くはまだ18、9歳ですが、試合を観ていて感じたのは、とにかく速いしスタミナがあるし、イージーシュートは落とさないということでした。正直なところ戦略的には、あまり見えてこなかったのですが、とにかく走り続けて、ボールを追い続けているのです。点差を気にすることもなくひたすら全力でプレーしている姿は、とても気持ちが良いものです。2回戦で戦ったミルウォーキーとは、一時30点近く話されたにも関わらず、最後には一桁差まで縮める勢いを見せて、相手の選手を慌てさせました。敗者戦で当たったダラスには、スピード、スタミナでは誰もが認める世界トップクラスのスティーブ・ウエルチ選手でさえ、後半はバテたようで元気がありませんでした。結局ダラスはその他の選手も疲労からかシュートが入らなくなり、20点近く離されてUTAに完敗したのです。

 それは神保にとって信じられない光景でした。高さもなく技術もままだの選手たちが、ここまでやるとは感動に近いものがありました。これを全日本に当てはめて考えてみると、やっぱりアメリカを倒すことは決して無理なことではないと感じました。もちろん、アメリカの選手は層も厚いし上手い選手は山ほどいます。でも、UTAの選手たちはその強いチームの勝ち方を見せてくれました。もちろん日本には課題もたくさんあります。それは選手自体もそうだし、組織の部分にも当てはまります。それでも、もっと自信を持って前向きに考え、行動していけば面白くなるような気がしています。 おっと、その前に風呂屋で勝つためにどうすれば良いかを考える必要があるかも知れないなー。春に帰ったら、まずは“声だし”から始めよう!(笑) そうそう、数チームと移籍の話しもしたんだけど、今はタイムリーな次期ではないので、またそのうちに裏事情も交えて書きたいと思います。

最終結果
優  勝 ミルウォーキー・バックス
準優勝 ゴールデンステート・ウォーリアーズ
3  位 UTA

以 下  ダラス・マーベリック、イリノイ大学、ミュージックシティ・ライトニング、デンバー・ナゲッツ、シャーロット・バズ、そして我がレイクショア・ストームで、テキサスのオースティン・ワーカースが急遽辞退で不参加でした。
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2002年01月31日

車椅子ラグビーでちょこボラ?〜観ているだけで首が痛くなる激しさ!

 前回の記事でも少し触れましたが、この間車椅子ラグビー(以下:車ラグ)の大会で記録等のボランティアをしました。大会の前の週末には、ジョージア州で車ラグの国際大会があったらしく、その流れでオーストラリアとカナダも参加していました。 

今回はめずらしく選手ではなく運営で携わったのですが、感想はというと「観ているだけで首が痛くなったので、自分でプレーしたいとは思えない」です。でも、本当に激しいぶつかり合いを観ていたら首が痛くなったんですよ。それをみんなに話したら、気の利いたジョークだと思われて大ウケしましたが、マジなんです。(苦笑) それと、ちょっと不満だったのが、車ラグはバスケのように、シュートクロック(ゴールクロック?)が無いので、勝っているチームがボールを持って逃げ回り、いつまでも時間稼ぎができるのです。結構そのシーンが多くて、バスケのようなスピード感が無かったのは残念です。ただ、終ってみれば32分の試合時間(8分間の4クオーター制)で、1ゴール1点計算にも関わらず、40点前後取るので結構得点は入っていました。

まず、驚いたことから書くと、とにかく車椅子が壊れること壊れること。基本的にファールは相手を手で押さえ込んだり、引っ張らない限りは殆ど何でもありで、車椅子にくくりつけた身体ごとガンガン相手に突っ込んでいきます。車椅子も戦車のように、分厚いアルミ板で全体を覆い、フレーム自体を強化しています。それでも壊れてベンチに下がる人は少なくないし、特にホイールはスペアが常時10本以上用意してある状態で、こちらもパンクや壊れて、バンバン交換していました。と言うことで、オ・カ両国のチームは専属の技術者(修理班)を連れていました。


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ラグビー用車椅子
 ※車輪用カバーもアルミ板で、ボコボコになっているのが分かりますか?


カナダのコーチは何処かであったような記憶がしたのですが、彼の方から話しかけてきてくれて、昨年までフロリダの車椅子バスケチームでプレーしていた人だったことが判明しました(アメリカ人です)。試合をしたことも1度ですがあったのです。彼にどのようなプロセスでカナダのコーチになったかを聞きました。でも神保の貧しい英語力のせいで詳しくは理解できなかったです。確か、最初は「自分の方から経歴書などを出して売り込んだ」というようなことは言っていました。また、カナダからは給料が出ていて、「他の仕事をしなくても生活していける程度の報酬」だそうです。日本の選手やコーチには、うらやましい限りですね。しかし、このコーチは少々マナーが悪かった。試合中は怒鳴ってうるさいし、汚い言葉でモンクは言うし、周囲の人達からは冷ややかな目で見られていました。

 ちょっと気になったのが障害の程度に応じて決まる、“クラス分け“です。というのも、このラグビーは上半身にも障害を持つ、主に頚椎損傷者(首から下の神経麻痺者)のスポーツなのですが、上腕の筋肉バリバリで車椅子バスケの選手より速いのでは?と思うような選手もいるのです。まあ、そのために”クラス分け“があるのですが、きっちりと障害のレベルを分けることが困難で、若干公平性に欠けるところが、全ての障害者スポーツの問題点でしょうか?

 その中で神保の目に止まった選手は2人。一人は我がレイクショアのクリフ選手で、彼はレイクショア財団でも殿堂入りを果たしている、米国車ラグ界のスターです。身体の状態も悪くて、手のひらは殆ど動かないのですが、肘下から指先までをテーピングでぐるぐる巻きにしてプレーしています。しかし、彼は速いのなんのって、半端じゃないです。しかも、大抵の選手は楽をしてコートの中央を行ったり来たりしているのですが、彼はコートいっぱいを使ってジグザグに走り回ります。また、ボールを追うときの目は野獣と化していて、とても素晴らしいアスリートだと思いました。もう一人はオージー車ラグ界のトロイ・サックス、ブレッド・ドゥローリー選手です。(トロイは車椅子バスケで有名なプロ選手ですが、ブレッドはトロイと雰囲気が似ているので勝手に神保が名づけました)彼は、見た目もトロイに似ているけど、ワンマンなプレースタイルもそっくりなのです。ちなみにオージーは彼がチーム得点の半分近くをGETしていました。彼に話を聞いたら、そんな彼でもプロではなく普段は仕事をしているそうです。彼のスポンサーは車椅子メーカー1社のみで、お金のサポートはないそうです。 更に話すと彼は日本の車ラグ大会に招待されて、日本に行ったことがあるそうです。しかも、神保の古巣、庭だった千葉! そんな彼は杖もなしに歩ける、かなり状態の良い選手でした。彼いわく「でも俺は頚椎損傷で、上半身にも機能障害が残っているだ!」とのことです。


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オーストラリアのエース、ブレッドとのツーショット(会場はモントゴメリ)


 日曜日は決勝までの順位決定戦があったのですが、同じ会場のレイクショアでジュニアバスケットボールチーの合宿がありました。両方から手伝いを依頼されたのですが、ラグビーの手伝いを断ってジュニアとバスケをしました。当たり前のことですが、ボランティアにしても優先順位はバスケが一番です。興味のあるバスケの方がやっていて楽しめるし、充実感も得られるから。ところで、そのジュニア選手の中に大学進学を控えている選手が3人いるのですが、我がレイクショアは全米ナンバー1のジュニアチームだけに、それぞれ幾つもの大学から奨学金等も出る好条件のオファーがきているそうです。まず、エースで全米ジュニア代表選手のジェイミー君。彼は車椅子バスケチームを持つ、全米中の大学からオファーを受けていたのですが、「本命にしていたイリノイ大学は、学力レベルが高すぎて勉強がきつい」との理由で断り、ウィスコンシン州立大学に決定したそうです。次にクラス1の有望株で、神保が思うに近い将来必ずや全米代表選手になりそうな、ジョシュ選手は学力も高いらしく、順当にイリノイ大学進学を決めたそうです。あとの一人は問題児だから・・・・・。



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レイクショアとカナダの決勝戦(会場はレイクショア)
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2002年01月28日

地元大会“パイオニアークラッシック”レポート〜それでも勝てない理由(わけ)

 みなさんこんにちは。今週末は遠征が無かったのですが、クワドラグビー(車椅子ラグビー)の大会が、モントゴメリとバーミンガムにまたがって2会場で開催されているため、モントゴメリ会場でタイマーやスコアの手伝いです。オージーとカナダのチームも来ていて、そこそこ盛り上がっているのですが、やっぱり見るのもバスケの方が面白いかなーなんて思いながらやっています。

さあ、今日は先週末に開催された地元大会“パイオニアークラッシックと、その前夜にアトランタのウエスト・ジョージア大学で開催されたダラスとの試合を報告です。

まずはアトランタ。アメリカに戻って翌日の木曜日(17日)、当初相乗りで現地に向かう予定でしたが、集合時間を間違えて一人で行くことになってしまった。しかも、情報は大学の名前と試合開始時間だけです。日本だとちょっと不安になるのですが、ここはアメリカ!道に迷うこともないだろうと、慣れっこの神保は一人で車を走らせた。案の定3時間ほどで無事到着し、体育館に入ると驚く事に観客がいっぱい。聞いてみると毎年恒例の行事らし、会場にはく千人ほどの観客とテレビ局が待っていたのでした。

アメリカではどんな試合もたいてい国歌斉唱が行われるのですが、この試合も例外ではなかった。日本人に比べると、アメリカ人の祖国や国旗に対する愛情は異常なものかもしれない。以前読んだ本に、日本人は天皇行事やマラソン大会などで、日本国旗をたくさん振って騒ぐくせに、行事が終るとゴミ箱に捨てて帰ってしまう。その光景を見た外国人が「いったい日本人は何を考えているのか?」と言ったそうだが、確かに日本には愛国心なんて存在するのか疑問かも。神保は大会で何度か日の丸を背負わせてもらったけど、特に最近はその喜びを表現するために、車椅子も髪の毛も日の丸を意識しているし、必ず日の丸のステッカーも入手して貼りまくっている。我ながら結構愛国心の強いこと気づく。

試合内容を書くのは辛いので、下のパイオニアークラッシックレポートでまとめて書きます。とりあえず、スコアは確か94対76だったと思います。得点を見ても分かるように、今シーズンから採用されたNBAルールのお陰で、試合時間が40分から48分に延びて、試合によっては100点ゲームも珍しくなくなったのです。

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さーて、あまり触れたくないけど今シーズン初の地元戦となった、“パイオニアークラッシック”のレポートです。実はこの試合、日本代表チームもエントリー予定だったために、各チームにもその案内が行っていました。最終的には世界選手権の選考合宿と近かったことから、時間や金銭的な問題でキャンセルになったのですが、会う人会う人に「何で日本は来てないんだ、楽しみにしていたのに!」と言われました。結構みんな興味があったみたいです。その代わりと言っては何ですが、掲示板の書き込みにもあったように、モービルという街から日本人の友達が3人応援に来てくれました。この場を借りてありがとう!

試合の方は、初戦で角上のテネシーを10点以上話して楽勝したんです。この時はみんな良く声も出ていたし、それなりに頑張って走っていたので、当然と言えば当然の結果が転がり込んできたのですが、正直なところ個人的には「やれば出来るくせに、毎回しっかり走ってくれよ!」と、ちょっと不満でした。というのもアメ人は勝手で、試合の展開も全く気にせず、自分の調子でポンポンとシュートを放っては、「ジンボー、リバンド!」、「ジンボー、ヘルプ」と、お願いばかりしてくるんです。(笑) それでもチームに良い兆しが見えてきたので、翌日の試合が楽しみでした。
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2回戦はダラスとの試合でした。が、しかし1Qで30点以上取られて試合が決まりました。みんなダラスということで緊張していたんだと思うのですが、DFも戻りが遅く前日とは偉い違いです。何本の速攻を許したことか・・・・。また、相手チームの選手は体つきからして違います。まさにアスリートという感じの筋肉質で無駄のない身体です。目的や目標の高さが全く違う感じです。残念ながら太刀打ちできる相手ではないのでしょう。また、以前から我がチームのコーチはシュートが入る選手や自分の好みで選手を使う傾向があったのですが、地元戦のせいか、この試合では更にそれがはっきりしていました。そのせいか、神保もベンチにいる時間が長くなったのですが、数人の選手には理解できないことでした。D1で勝負する最低限の条件として、走れること(スタミナ・スピード・パワーを合せて)が必要だと言うことは誰もが理解すべきことです。結局50点取っても80点取られるという悪循環が続き、ダラス戦では120点近く取られて大敗したのです。敗者復活戦のアーカンソー戦でも、接戦こそ演じたものの敗退しました。誰が見ても勝てるゲームを落としたという感じで、正直言って腹が立ちました。が、多分自分はシュートが良くないという理由でベンチの時間が長かったと思うので、何も言えません。もっともっと練習するしかありません。

そして、ついにはこんな問題まで起こってしまったのです。多分神保が思うに、我がチームでD1の選手に一番ふさわしいと思われるテディー選手が、シーズン半ばでチームを去る決断を下したのです。とても残念なことですが、「試合に出られず生き地獄にいるよりは、家族とゆっくりしたい」と、いう彼の言葉に反対することは出来ませんでした。また、その問題に絡んだチームミーティングでは、「テディーはわがままだ!」とか「オフェンスをどうしたら勝てるか?」などと検討はずれのことばかりで、正直言って呆れました。神保は「もっと一生懸命DFしないと勝てないよ!」と言い放ったのですが、今後もどうなることか・・・・・。だからこそ思うことは、勝つという言葉を口にする前に、もっと走れ!練習しろ!!と言うことです。我がチームはとても良いチームです。しかし、練習や走ることを嫌う選手が多いのです。いかにチームワークが良くても、シュートが入っても、これでは限界が容易に見えてしまいます。多分我々はD2にふさわしいチームなのでしょう。

今週は木曜日から4日間、ケンタッキー遠征が入っています。実はパイオニアークラッシックの時に「何故今期移籍しなかったの?」と、他チーム数人の選手に聞かれました。そして、来期の移籍話を持ちかけられたのです。また、昨日は「今週末のケンタッキーで、移籍の話をしたい」と、違うチームの選手からE-mailを貰いました。今のところ来期のことは全く考えていないのですが、そろそろ考える時期になってきたのかも知れないーと思う今日この頃です。

つづく


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