2003年01月16日

運命の物語(読者メール)とミシガン遠征

  今回はまず、ちょっと面白い話しを紹介します。体験記の番外編とでも思って読んでください。それから、2話でミシガン遠征記をお伝えします。2本仕立てで長くなりますが、最後まで読んでください!



第1話  運命の物語

 昨年の北九州ゴールドカップを観戦した方は、覚えている方も多いと思いますが、全米代表のウィリアム・ウォーラー選手(9番)が、予選の4試合目くらいから「日の丸一番」ハチマキを頭に巻いて試合に臨んでいました。実はあのハチマキ、Jが彼にプレゼントしたものなのです。 そして、あのハチマキに関する面白し出来事(出会い)があったのです。



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北九州ゴールドカップの全米代表ウィル選手です。



 例のハチマキは、Jが予選3試合目のオージー戦を観戦した後、久々にウィルとの再会を果たした時に、彼とアメリカチームを応援する意味で渡した物なのです。そして、「これは“ナンバーワン”という意味のヘアーバンドだから、きっとウィルやアメリカチームに幸運を引き込んでくれるよ!」と、激励したのです。 しかし、その時は彼が本当に試合で使用するとは夢にも思っていませんでした・・・・。

 しばらくして、試合会場で再びウィルとすれ違った時に、彼がJに向かって質問をしてきました。「もし、俺(アメリカ人)が、このハチマキをして試合に出たら、日本の人は怒ったり不快な気持ちになるか?」と。 そこでJは「そんなことは無いと思うし、問題ないよ」と、答えたのです。すると、彼は確か次の試合から、本当にハチマキをしてプレーをしていたのです。 これにはJも驚いたし、思わず笑ってしまいました。(笑)

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 その後は皆さんも知ってのとおり、決勝リーグでアメリカは宿敵のカナダを下し、決勝でも予選で敗退したイギリスを下して優勝を果たしたのです。もちろん、優勝したのは、彼らの実力に他ならないのですが、決勝戦終了後に、ウィルとハグをしながら勝利を称えた時、「やっぱり、ハチマキのお陰?」と聞いてみると、彼は「きっとそうだ、Jに感謝しているよ!」と、笑顔で返してくれたのでした。


 そして、時は流れ・・・ 2003年1月1日、念願の「J’s Page」が公開したのですが、
以下はメールのやりとりを掲載(抜粋)


<1月2日 Yさんからのメール>

今日 掲示板からHPを知り遊びにきました。
はじめまして・・・私はごくごく普通の主婦です。
去年の夏 『Gold Cup』にはまって毎日見に行ってました。

車椅子バスケットボールの事はそれまで全然知らなかったけど
はじめて見た時は すっごく・・すっごく感動しました。

ウィルと友達なんですねー♪ うらやましいー
私の息子(9歳)はウィルの大ファンだよー私も・・・

もしHPとか知ってたら教えてほしいです。



<1月3日 Jの返事>

はじめまして、こんにちは!
そして、メールありがとうございました。

ウィルとは4,5年前から友人していますが、とてもフレンドリーで
面白い奴です。そう「日の丸一番」ハチマキもJがあげたんですよ。

ところで、彼のHPは無いと思うのですが、来週末にミシガン遠征で
彼に会うので、彼に了解を得た上で、メルアドをお教えしましょうか?
頑張って英語でファンレターを書いてみますか!?



<1月4日 Yさんからのメール>

今 すっごく運命を感じています。
何故なら・・・『日の丸一番』のハチマキは決勝戦の後
私はウィルからもらいました。
試合が終わって私達親子が『ウィル!一番、一番』『No1 No1』って
叫んでいたら あなたにハチマキあげるね!っ感じのジェスチャーで私に
なげてくれました。 それですぐにサインを書いてもらったんですよー!

すごくうれしかったんだけど・・・よーく考えたらこんなおもみのあるもを
私なんかがもらってもよかっのかなーって思っていたんです。
Jがウィルにあげたんですねー!私が持ってていいの?

メルアドですが・・是非お願いします。きゃー♪
めちゃめちゃがんばって書いてみます。
よろしくお願いします。



 そして、この後もYさんと何度かメール交換をしたのですが、あのハチマキはY家の家宝として大切に保管していただけるとの連絡をいただきました。また、Yさん一家はゴールドカップがきっかけで車椅子バスケファンになり、「これからも車椅子バスケのことを勉強したり、活動に注目していきたい」とのことでした。 また、こうした一般のファンが増えていくことは非常に嬉しいし、喜ばしいことですので、Jもこれからもたくさんの車椅子バスケファンを作れるように、様々な活動を展開していきたいと思いました。

  そうそう、先週末のミシガン遠征でウィルと会った時に、この話を彼にしたところ、彼は「へーーー!」と笑っておりました。そして、Yさんにメルアドを教える件も、彼から快く了解を得ることができたのです。きっと今頃Yさん一家は辞書でも引きながら、頑張ってウィルにファンメールを書いていることでしょう。それにしても、とんだハチマキにまつわる運命の物語でした。(笑) それとYさん、Jの応援もよろしくお願いします!HPとか


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彼は普段ミルウォーキーバックスでプレーをしています。


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「ファンサービス版を撮りたい」とリクエストしたら、上半身裸になりました。「この写真は日本で高く売れる?」とか言ってました(笑)



第2話  ミシガン遠征

 先週末のミシガン遠征も本当に色々なことがありました・・・。 まず、金曜日の朝、空港に向うため車のエンジンを掛けようと思ったら、バッテリーが上がっていて掛からない。 しかも、最近は時間ギリギリに出発しているので、この瞬間にみんなと同じ飛行機には乗れないことが決定してしまったのです。 とりあえず、コーチの携帯に電話をして遅れることを伝えたのですが、彼曰く、「今回はデトロイト空港から1時間も離れた場所なので、空港からの無料シャトルバスもないよ」とのこ・・・。Jはタクシーでホテルまで行くと言ったのですが、「これは自分のミスだから、きっと自費だろうし高くつきそうだなー」などと考えながら、4時間遅れで一人飛行に乗ったのでした。

 デトロイト空港について荷物を取りに行った時、遠くの方から「J!」という声が聞こえたのです。まさか自分とは思わないので、最初はシカトしたのですが、更に大きな声で「J!」との声が聞こえ、振り向くとコーチのエリックが立っていました。Jは思わず日本語で「あれ、なんでー?」と言ってしまったのですが、彼らに聞いてみると、「デトロイトに着いてからレンタカーの手続きや、レストランで夕食を取っていたら、この時間になったので、ついでにJを待っていた」とのことでした。 でもそれはJを気使っての嘘だということが、すぐに分かりました。 彼らは最初から待っていてくれるつもりだったのです。 本当に素晴らしい仲間たちのお陰で助かりました。 でもホテルまで向かう車中でエリックは「今夜の飲み代は全てJ持ちだぞ!」と言っていました。(笑) そして、実際にホテルのバーで「おごるよ!」と彼に言ったら、笑いながら「あれはジョークだし、俺達はチームメイトを待っていただけだよ!」と言ってくれたのです。 本当に感謝でした。

 翌日の試合もとんだことになりました。 と言うのも、今回はシューターのタズが私的な事情により不参加だったのですが、当日1試合目が始まった途端、もう一人のシューターであるマークがお腹を壊して(脊損特有の症状かな?)抜けてしまい、シューター不在のチームで試合は進められたのです。 しかも、実はJもお腹の調子が悪く、あまり動けない状態だったのです。 そして、他に代えも居ない状態だったので、そんなことも言えずにプレーを続けたのです。 いつも接戦を演じるミシガン相手に、この状態ではどうにもならず、一時は15点近くリードされる展開に苦しみました。そして、Jはハーフタイムにトイレに駆け込み無事スッキリしたのですが、マークは依然コートには戻ってきませんでした。

 それでもみんなが踏ん張って3Q終了時には6点差まで追い上げ、4Q途中でマークが戻ってきてから残り1分を切った時に、何とか同点まで追いついて、今シーズン初の延長戦へと突入しました。そして、一進一退の展開が続いたのですが、最後は残り数秒でマークのミドルシュートが決まり、82対80で逆転勝利となったのです。ミシガンは地元でたくさんの観客もいたので、大いに盛り上がりましたが、これで今期の対ミシガン戦は5連勝となりました。ただし、Jは自己管理に課題を残す結果となりました。

 次の試合は、今期初の顔合わせとなったミルウォーキー戦でした。
この試合は久々にスタメンで出場したんですが、シュートチャンスこそ少なかったけど、DFやOFのバックピックやスクリーナーとして、かなり貢献できていたので結構充実していました。また、他の選手の調子も良かったので、前半はリードをする展開でした。 しかし、ハーフ以降、Jはなぜかベンチに釘付けの状態で出番がありませんでした。 しかも、逆転されて得点差は開いていく一方。 また、エディやボブを起用しているところを見ると、この試合は捨てているかのように思えたのです。 かなり納得が行かなかったし、他の選手も非常にストレスを感じていているようでした。 Jは「明日もまたミルウォーキーとできるだろうし・・・・。」と思って、何も言わず我慢したのです。結局試合は65対78で敗退したのです。

 しかし、そこからが大変だった。早速チームミーティングが始まったのですが、みんな凄い勢いで討論が始まったのです。 正直に言うとうちのミーティングはいつもかなりエキサイトするのです。 Jの意見としては、「コーチの起用方法には納得いっていないが、コーチの決断には従うし、コート上ではベストをつくす」と伝えました。 また、戦略的に疑問を感じる部分を2点ほど伝えたのですが、コーチや他の選手も同意し、Jの希望を聞き入れてくれたのです。 そして、今週末のアラバマ遠征で、空き時間に全員でセットプレーの確認やビデオを取り入れてのチームミーティングを開くことになったのです。やっぱり団体競技は非常に難しい部分が多いと感じます。特に上を目指していこうとすればするほどに・・。しかし、このチームは、いつも本当に色々な事を真剣に話すのです。そして、全員がきちんと消化できるように解決案や妥協点を見出すのです。また、答えが出たらすぐに行動へ移すという部分も非常に好きなところです。 だから、トラブルが起こっても後腐れなく、次のステップへとへと進めるのだと思います。このチームにいると、常に向上していることが実感できるのです。(前回の体験記で書いた“民主主義”の理想のようなチームです) だからこのチームは“最高!”なのです。

 3試合目のテネシー戦は、ミーティングの効果があったのか? かなりみんな集中していた感じで、1Qで34対8と圧倒的な強さで勝利を決定付けました。 JもOFはイマイチでしたが、DFはかなり厳しく相手選手をチェックして切れさせました(笑) まあ、それでも個人ファールは2つと、チームでは一番少ない方でしたが(笑)

 翌日のミルウォーキー戦(決勝)は、ダブルスコア以上での敗退でした。 まず、Jはベンチスタートだったのですが、ベンチから観ていても絶句です。というのも、うちの選手達は本当に調子が悪かったようで、シュートを落としまくっていたのです。 シュートの不得意なJが言うのですから相当なものです(笑) しかも、相手のシュート確立は70%以上で、1Q終了時に33対6という点差でした。 そこで、Jの出番も1Qの4分後くらいから巡ってきたのですが、不思議と気合が入り吠えまくりました。 そして、シュートはミドルもゴール下も安定して決まっていたので、珍しく良くボールも回ってきたのです。 後で思ったんですが、こんな状況は滅多にないから、もっともっとたくさん打っておけば良かったかなー? なんて(笑) 



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ミルウォーキー戦(さて、この中にアメリカ、カナダの代表選手が何人いるでしょうか?
答え 元代表やジュニア代表も入れると8人です)




 ただ、ダブルスコアという結果ほど、落ち込むものでもないです。 というのも、悪かった部分はみんなが分かっているし、それに対する改善案も確認(または宿題に)したので。 多分コーチのエリックが、今頃宿題に追われて一番大変な思いをしていると思います。彼はいつも選手の疑問や意見をノートに取り、必ず次回までにその改善案や自分なりの考えをミーティングで答えているのです。 といのも、日本と違ってクラブチームでも選手から信頼の得られないコーチはクビになるからです。 エリックの前のコーチは、とてもいい人だったそうなのですが、4シーズンコーチをして結果が出なかったので、その能力を問われて昨シーズンの途中でエリックに交代になったそうです。 でも、今のところエリックは選手全員から信頼も得ているし、結果も出ていると言えます。 それにしても、試合後はホテルのチェックアウトを無理矢理延長して、上記の問題について2時間近いミーティングをしたのです。 まあ、その結果は今週末のバーミンガムで導き出されると信じたいです。

 今週は古巣バーミンガムでの大会に出場してきます。また、後輩の安直樹もいるので1週間ほど滞在して一緒にトレーニングもしてくる予定です。 それらを元に「独り言」、「体験記」ともに更新しますので、乞うご期待!




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2003年01月07日

民主主義ってなんだろう? 〜とんだことから議論は始まった

  コトの発端はコーチのエリックから来た、チームメンバー宛てのE-mailでした。主題名は、その名も「CAPTIN」だったのですが、彼からのメールを簡単に説明するとこうです。「既にシーズンは始まっているけど、チームのキャプテンを決める必要があると思う。ここは一つ投票で決めたいので、各自が私宛にメールで推薦して欲しい。 追伸 秘密は守るので他の選手を気にせずに書いてください」と言うものでした。

 最初にJがこのメールを見たときに気に掛かる点が2つありました。まず、1つ目は主題の前に「re:」という文字が入っていたのです。これは、E−mailをする人なら分かると思いますが、誰かから貰ったメールに対して返事を書くときにつく文字です。ということは、このメールはコーチのオリジナルではなく、チームの誰かからこの話を持ちかけられて、それにコーチが答えるべく、全員宛てに投票を要求するメールを送ったことが推測されるのです。次に気に掛かったのが、メールリストにボブの名前が無かったことです。彼はチーム登録の際に、コーチが最後まで悩んだ末に入った選手で、実力的にはD1での活躍は難しく殆ど試合には出られない状態の選手でした。しかも、本人も自分の立場をよく理解していているようで、チームの中では応援係に徹している感じの選手なのです。しかし、チームの一員として登録がある選手にはかわりないのです。

 正直言って怪しい臭いがしたのですが、Jは悩んだ末にある選手を推薦するメールを送ったのです。しかし、やはり数人の選手からクレームが入ったのでした。まず、エディがボブの名前が入っていないことを抗議するメールを皮切りに、リーダー論や聖書まで用いて、このやり方のマズさや、キャプテンとは何ぞや!という意見を書いた長いメールなども届いたのでした。また、ポールからは、彼も既に投票を済ませたらしいのですが、彼自身がその投票を後悔して訂正したいと、反対意見の10か条なるものまで書き添えて、この投票への反対を求めたのでした。さすが教職者であるポールらしいメールでした。 そして、駄目押しでマークからは、上記の怪しい2点を指摘した上で、「投票で何かを決める場合、時としてそれは人気投票と化し、本来あるべき目的が達成されないことがある」というメールが届いたのです。その後も2日の間に15通以上のメール論議が続いたのです。

 そして、最後に決着を見たのはマークのメールでした。「今週末に大事な試合がある上、今後厳しい戦いが増えていくはずだから、俺達は全員で飛躍していかなければならない。練習回数も増やしたいし、出来るだけ多くの選手が参加すべきだ!」と。そして、「一人のキャプテンを決めるよりも、その試合で精神的にもプレー的にも信頼できる選手をコーチが判断して決めればいいのでは?」という提案に選手達が賛成するメールが届き、いつの間にかチームメールの話題が一変して、練習や試合日程などの話に変わったのでした。

 ところで、最初にコーチと密会のメールをした人は誰か??という疑問がでてくるのですが、みんなはそれを知った上で、彼に対する非難、批判は一切メールに出てこなかったことが素晴らしいと思いました。また、このメールのやり取りは非常に難しい言い回しや、スラング?慣用言葉がたくさん出てきて、直訳しても意味不明で理解できない部分が非常に多く、Jも困り果てたあげくにコーチの職場まで行って事情を聞いたりしました。ただ、最後はみんなの意識や協調性が増したように感じ、“雨降って地固まる”というようになったみたいです。

 最後にJの考えとしては、「投票」というのは、さも民主主義的で正しいような感じがするけど、実は投票が必ずしも民主主義的ではないし、正しいと言うわけでもないという気がしてなりません。逆に言えば投票で済ませることは非常に安易で適当なのだということです。まあ、それでも投票制度を使わなければ済まない問題があることも理解しますが・・・・。 一見「投票」=「民主主義」と思いがちですが、何でも投票で決めれば正しいと言う考えは非常に危険です。そして、数が多ければ正しいと考えることが民主主義であれば、それは単なる多数派のエゴになってしまうように思うのです。 しかも、今回のように事前にネゴがある場合はもっての外です。 また、少数派には少数派の考えや意見があっていいし、そういう全ての人や物が理解、妥協、共存していける環境を作り出すために、最善を尽くして考え、話し合うのが本当の民主主義なのだと思いました。

 今日はなんだか当選を目指す政治家みたいな意見になってしまいましたが、本当の民主主義ってこんな感じかなーーーーと、思えるような経験をしたので書いてみました。
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2003年01月01日

Jのホンネ 〜全日本代表の選考辞退とアメリカへの想い

  明けましておめでとうございます。新年最初となる体験記の内容は、少々重い話題になるかも知れませんが、Jのホームページ公開や新たな出発を誓いつつ、自身のバスケに対する想いを書いてみようと思います。 と言うのも、昨年夏に開催された北九州ゴールドカップの選考を途中で辞退した件について、その後、多くの方々から「どうしてなの?」という質問を投げかけられました。また、以前風呂屋の掲示板でMさんからも鋭い指摘を頂いたことがあり、いつかJの本音を書いてみようと思っていたからです。
第一章 「日本代表選考の辞退」

 Jはゴールドの選考合宿が本格的に始まった2001年の冬頃、アラバマのレイクショアでプレーを続けていました。幾度と無くコーチや関係者からメールで、全日本についての意識調査がありました。もちろんJの答えは「可能な限り全日本を目指したい」でした。 そして、選考合宿の日程や案内などが送られてくるようになったのです。ただし、Jはその頃幾つか問題を抱えていました。大きな理由には経済的な問題がありました。もし、合計で5回以上もあった選考合宿に、全て参加し日米を往復すれば、その度に国際線の飛行機代と日本での移動及び合宿経費など諸々で20万円くらい費やすことになります。また、その間アメリカでのバスケはおろそかになるし、時差ボケ調整や疲労など体調面での不安も抱えていました。 そして、何より持ち病の腰痛が悪化していたので、日米のバスケを掛け持ちすることも心配だったのです。

 確か昨年1月の合宿に参加したときです。スタッフに「今後の合宿も全て参加しなければならないか?」と相談しました。答えは「YES」でした。もちろん、バスケは個人競技ではないし、一人だけ特別扱いが出来ないことも理解できたので、特に身体の故障や経済的なことなどは相談しませんでした。そして、再びアメリカに戻って活動を再開したのですが、Jは日々色々なことを考え始めたのです。多分、一番毎日のように考えたのは「今、自分は何をしたくて、今後どういう選択をしていくべきか?」ということです。もっと簡単に言えば、全日本の活動を取るべきか、それ以外の活動を取るかということでした。

 この頃Jはアメリカの実情をより深く理解しつつあった時期でもあります。というのも、ある遠征でポール・ショルティ(ゴールド・カップでMVPを取ったアメリカの選手)引き入るテキサス州立大学の車椅子チームが、高さでも実力でも上回るダラスやデンバーのチームに、ことごとく勝利するという光景を目にしました。その時ポールはスリーポイントを10本近く決め、毎試合40点以上取っていたと思います。そして、キッズ(学生選手)たちは、有り余る体力と無心のアタックで、毎試合オールコートプレスを48分間(D1はNBAルール)続けていたのです。しかも、彼らの中には昨年まで高校生でジュニアのチームに所属していた選手もいました。 また、その一人に当時高校生だった彼とJが1on1対決をして、Jがブッチギリで勝利した選手もいました。彼はたった一年間で、とてつもない成長を成し遂げていました。きっと数年後にはポールのようになり、全米代表として出てくるに違いないだろうと直感しました。正直言って、その時Jは何か目に見えない糸が、プッツリ切れてしまったように思うのです。 多分、自分に自信を失い、世界で戦う自信を失ったのでしょう。
昔、相撲会の大御所、千代の富士が引退の記者会見で「体力、気力の限界・・・」と言っていた言葉を思い出し、Jは“気力”の限界がきているように感じたのでした。 そして、余りにも違いすぎるスポーツにおける、日米のバックグランド(背景)も痛感したのです。

 もう一つ、書かなければならないことに、Jの価値観というものがあります。 例えば「何故Jはバスケにハマっているのか?」と問われれば、スグに「好きだから、楽しいから、自分の欲求を満たせるから」と答えることができます。非常にありきたりの答えですが・・・・。しかし、これは非常に重要なことなのです。 そして、Jの価値観は昔から一貫して変っていません。それは、『自分が本当にしたくて(欲しくて)、夢中になれることだけしたい』と言うことです。 しかし、バスケに関して「糸が切れた自分」には、全てを掛けてまで全日本に入ることは出来なかったのだと思います。 多分、一生懸命頑張っている振りをして代表に入ることは出来たかも知れません。 でも、それでは全日本や全日本を目指す選手達に対して失礼だと思いました。そして、自分にはもっと他にすることがあるように思えたのです。 例えば若い選手が育つ環境を整えるために、車いすバスケキャンプに力を入れたり、もっとアメリカでの情報を得たり・・・・・。 また、自分の欲求を満たすために、引き続きアメリカでプレーしたりすることです。一つ言だけ言いたいのは、それだけJにとって「日本代表」と言うのは、特別であり名誉であり、神聖な場所だと言うことです。

  “全日本代表”という言葉には誰もが憧れます。Jだって例外ではありません。やっぱりJAPANのユニホームだって着たい!(笑) しかし、その当時、全てを掛けても獲得したいものだったかと言えば、「NO」でした。理由は上に書いた通りです。自分のプレーに自信が無くなり、体調に不安を感じ、それが分かっていて日本代表という看板は背負えなかったのです。まあ、「それじゃ負け犬だ!」とか言われても、返す言葉はありませんわ。 でも結果的にはJの決断は良かったかなーと。 というのも、そのお陰で夏の間は全国を回ってたくさんの選手と交流を持つこともできたし、国際大会という大舞台を客観的に観る事ができたことも滅多にないチャンスだった。しかも、それらはJにとって本当に色々とプラスになりました。 そして、考えが変ったこともあるし、物事を違う角度から捕らえるようにもなったと思います。もちろんJのバスケット人生は、このままフェードアウトして終る筋書きなんかじゃないことだけは書いておきます。
第二章 「アメリカへの想い」

 まず第一章で、「日本代表に自信を失くしていた」と書いたにも関わらず、引き続きアメリカでプレーをしたいと思った理由について触れます。一言で言えば、「アメリカには(例え自分が下手で自信がなくても)楽しめて、夢中になれる“何か”があるから」です。Jがアメリカ学んだ言葉に「ポジティブ」というのがあります。「前向き、プラス」という意味ですが、多分それこそが全てを楽しめて嬉しむ秘訣だと思うのです。

 例え話を2つほど書きます。 まず、始めたばかりの選手がゲームに出て、ボールを受け取ったらどうすると思いますか? 多分、日本的な選手なら「焦ってミスする」とか、「慌てて見方にパスする」とかでしょ? でもアメリカでは明らかに違います。 殆どの人が、ひたすらシュートを狙って打ちまくるかな。呆れるほどに(笑) では、そこで周囲の反応は・・・・。日本だと「パス回せよ!」とか「下手クソなくせして何やってんだよ!」でしょう? でもアメリカでは「ナイストライ」か、ちょっと意地悪な人でも「オフェンス同様にディフェンスもガンバレよ!」くらいかな。 決して否定はしないのです。 時々、日本で生活していて、自分がやっていることを否定されない日ってあるかなー?なんて考える時があります。 「あっ、それダメ」、「違うだろ」、「何やってんだよ!」、「お前の考えは間違ってるよ!」みたいに。

  最近、チームではマークと絡むプレーが多いのですが、Jはあまりシュートが得意ではないので、Jが打つよりもはるかに確立の高いマークに対してピックにいったり、アシストのパスを送ります。すると、彼はそのたびに必ずJに笑顔でタッチを求めながら、こう言ってきます。「Nice pass J! Good job J! But you take it, If you want!」  だからJは次のチャンスに自分で打ってみる。 すると、入れば「sweet!」(甘いという意味ですが、スラングで誉め言葉に使う)と言いながら、タッチを求めてくる。また、外しても必ず「good try!」という言葉が戻ってきます。アメリカでプレーしていると、シュートにあまり自信の無いJでも、シュートへの迷いが無くなって積極的になれます。 逆を返せば「If you want」の言葉に象徴されるように、「自分がどうしたいのか?」という自主性を常に問われている感じで、自分が積極的にならなければ何も始まらないことに気づくのです。いつまでも試合でパスをし続けるJならば、きっといつまで経ってもシュートは上手くならない。 でも練習では毎日たくさんの打ち込みをしています。 それは何のためにしているのだろうか?? それは試合でバシッと決めて活躍するため、更には精一杯楽しんで、満足感や充実感を得るため!! アメリカはその事を教えてくれました。 本当に当たり前のことだけど、これに気づけたことは大きな収穫だし、アメリカっていう国に感謝です。

  つまりは大好きなバスケが大好きなままでいられる。または、もっと好きになれる環境があるのです。別にアメリカを特別視する気も無いし、イヤな部分もたくさんあるのだけど、スポーツに関しては寛大な国だし、実際に来て見れば、きっと誰でも感じることが出来ることだと思います。だから32歳になっても素直に学びたくなるし、いい刺激を受けながら何とか上を目指して充実した生活が送れるのです。

 最後に、「夢を叶える前に、まず“やってみる”を叶えることだよ by 純くん」 友人がくれたこの言葉、Jは大好きです。頭の中にある夢じゃ絶対に叶わないし、何も変わらないけど、やってみることが第一歩。 “やってみる”を叶えられない人は、残念ながら夢を叶える事もできいでしょう? Jは夢も大志もたくさんあるから、とりあえず今、“やって”みているのです。アメリカでプレーしているのは、ただそれだけのことです。「やってみる」を叶えるため、そして、自分の人生を楽しんで嬉しむために、借金こさえてまで?アメリカに戻ってきてしまうのです(笑) 好きなことに夢中になれる人生って最高に幸せだと思います。 自分が決めた道を自分で切り開いている人生は最高にエキサイティングで、満足感に満たされている。 Jは決して人より優れた才能を持つ特別な人間なんかじゃありません。 ただ、いつでも自分に素直でいたいし、そういう自分を好きでいたい。 バカみたいな話だけど、それがJのホンネです。

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2002年12月18日

サンホゼ遠征 〜結果報告と退部騒動?の結末

 今回のサンホゼ遠征(12月7,8日)は、順位を決めるトーナメント形式の大会ではなく、D1のリーグ戦という位置付けだったのですが、今期初めて上位チームが勢揃いすることもあり、どこのチームも非常に力が入っていたし、今期を占う上でも興味深い対戦ばかりでした。

 まず、第一試合は昨年デンバーが最終戦(決勝トーナメント2回戦)で敗退しているダラスでした。ダラスは4,5年前まで無敵のチームを築いていたのですが、ここ数年は選手の引退や移籍などが相次ぎ、優勝からは遠ざかっているチームです。しかし、今年はモンスターが2人加入していたのです。 最初に紹介しなければならないのは、今年の北九州ゴールドカップでMVPを獲得したポール・ショルティでしょう。彼はまだ20代前半という若さですが、技術、体力、メンタルのどれを取っても世界トップクラスの選手です。そして、2人目は3シーズンぶりのカムバックをしてきたレジー・コルトン選手。彼もまた過去に全米代表を経験している素晴らしいセンタープレーヤーなのですが、最近は個人的な事情でしばらくバスケからは離れていたらしいのです。 ダラスは経済力にものを言わせ? どの選手も有名でトップクラスの選手を揃えてシーズンに挑んできました。日本で言うなら、プロ野球の「読売ジャイアンツ」みたいなものかなー?

 さて、試合の内容ですがダラスは選手が全部で6人(2人欠場)しかいないにも関わらず、試合が始まると同時にオールコートプレスを引いてきました。しかも、ボールを保持する選手やキープレーヤーのタズやマークに対して厳しいチェックで、思うようにシュートすら打たしてもらえない状況でした。また、センター陣もダラスの方が高さで勝っているため、楽には打たせてもらえず、最初から苦戦を強いられました。しかし、それ以上に特筆したいのがダラスの得点力です。正直言って信じられないほどの高い確率で、インサイド、アウトサイドともに取られまくったのです。 インサイドをケアすればポールやラウーのロングシュート。アウトサイドをケアしてジャンプすると、ゴール下が手薄になりやられる。 しかも、全員が持久力とスピードを持ち合わせているので、ダラスを止める手段が無いのです。 



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北九州GCのMVP選手、ショルティ選手率いるダラス対ゴールデン・ステート戦


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得点ボードに注目(4Q残り9分あまりで得点が102点も入っています!)カナダのエース、パット(40番)率いるミシガン対テネシーは僅差でミシガンの勝利。



前回の敗戦を見事にリベンジし、対戦成績を1勝1敗のタイに持ち込んだ。

 この試合でもポールは7本中5本の3Pを沈めるという安定感で、正確には確認していないけどトータル40点前後は取られました。また、ダラスのスピードに圧倒されてか、普段イージーシュートは確実に決めるマーク、タズ、ポールらがミスショットを重ねたのです。Jも彼らの、あんなに苦しそうな姿を見たのは初めてでした。結局タンノーバーなどのミスも連発して、終わってみれば100−68で惨敗。Jも20分くらいのプレータイムを得ましたが、2得点に終わりました・・・・。ただし、試合後冷静に自分達のプレーを振り返ってみれば、ダラスに対する苦手意識が大きく働いて自滅したようなもので、ミスを減らして全員がいつものプレーをすれば、もっといい試合ができるような気はしました。コーチのエリックも試合中に「なにを、そんなに怖がってプレーしているんだ!もっと自信を持ってプレーしろ!」と激を飛ばしていたけど、Jもベンチで観ていてそれは思いました。

  ところで、この試合にダラスのスティーブ・ウエルチ選手が居なかったのですが、ダラスの選手に確認すると「ゴールドカップを途中で放棄して帰ってきてしまった罰則として、NWBAよりシーズン最初の5試合は出場停止処分になった」そうなのです。また、彼はこれが2度目の“放棄事件“のため、さすがに今後の全米代表入りは難しいらしく、みんな口々に「多分、代表入りは2度とないだろう。自業自得だろうな」と言っておりました。まあ、自分でまいた種ということなのでしょうが、実際本人はどう思っているのか? 今度会ったら聞いてみようと思っています。

 初日はダラス、ミシガン、ナッシュビルとの3ゲームをこなしたのですが、ここでJは選手の起用について、コーチのエリックについて大きなストレス感じることになったのです。まず、その理由を説明する前に確認なのですが、デンバーは全部で9人体制を引いています。しかし、エディとボブは自からも力不足を認めており、ほとんど試合には出ない状況の選手なのです。しかし、彼らはチームの応援や雑用を買ってくれているし、ムードメーカーとして役割を果たしてくれているのです。後の判断は彼ら自身がすることなので、Jは良いとも悪いとも思いませんが。(もし、Jがチームにとってそのような立場の選手なら、チームを去るでしょう) ですから、実質は7人で回しているのですよ。前にも説明したとおり、大抵の場合選手は、自分がチームに不要な人間だと判断すれば、もっと活躍できるチームに移籍をしてしまうし、逆にチームも経済的な理由から不要な選手を抱えないため、通常D1チームは、どこも8人前後で構成されているのです。でもD1の試合はとてもタフだし48分間と長いので、デンバーの7人と言うのはギリギリの数なのですが、それゆえにやり甲斐もあるし、そこに自分の価値を見出せるはずなのですが・・・・・。

 Jが疑問に感じ始めたのは2試合目の後半からでした。センター陣のポールとロブ、フォワード陣のマークとタズ、この4人は常にメインとして出ているのでプレータイムは長いのですが、上でも書いたように1試合目でダラスのオールコートプレスに合い、タフなゲームの後に向かえた2試合目では、4人とも殆ど疲れきっていたのです。特にマークにいたってはエアボールを連発しており、精神的にも参っている様子が観ていても分かりました。その時ベンチにいたJとロスは顔を見合わせながら、歯がゆい思いでチームの苦戦を見ていたのです。しばらくするとコーチのエリックから声が掛かり「ポールと交代しろ」と。 もちろんポールも疲れているようでしたが、それでも一番安定して得点を重ねていたし、マークやタズよりは動けていたのです。 それでも、Jはセンター陣の控えになっているので、ポールとの交代は理解できたのですが、ガード陣の控えであるロスは殆ど出番がなかったです。また、Jも疲れきっている彼らよりは遥かに動けていたし、その間の得点差を広げていったにも関わらず、ほんの数分ですぐにベンチへ戻されたのでした。 その理由も聞かされなかったし、自分でも理解ができなかったのです。 結局試合は接戦の末に、2、3試合とも勝ったのですが、とても後味の悪い終わり方になりました。 

 Jはホテルに帰えるまでの間に色々と悩んだのですが、やはり自分が全てを費やして本気でやっているバスケのことで、疑問を感じながらも黙っていることは出来ませんでした。まずエリックに、選手起用の件でJが疑問に感じた部分を素直に伝えました。そして、「これは単に自分のプレータイムが欲しいから言う訳ではない」と前置きした上で、「もし、コーチやチームがJを必要としていなければ日本へ帰る」と伝えたのです。というのも、常にJはアメリカにいる目的を頭に入れて行動をしています。それは単に優勝チームでプレーするとか、D1の強いチームにいることを自慢したい訳でアメリカに居るのではないのですよ! もちろん強くてやり甲斐のあるチームでプレーはしたいけど、それ以前に自分が充実したバスケライフを送りたいし、色んな意味で楽しめて、アメリカでの経験が成長への糧となり、更には達成感や喜びを感じたいからなのです。でも、自分がチームに必要とされていない選手なら、何の意味も無いのです。 大差で勝っているか、負けている試合に、お情けでプレータイムを貰うだけの選手なら、日本に戻って仕事をしたり、Jを必要としてくれるチームでプレーした方がどれだけ充実した時間が過ごせることでしょう。

 エリックは言いました。「今年は3人の新しい選手が入ったけど、まだ試行錯誤の段階で選手を使い切れていないし・・・・・・」と、とても歯切れが悪い。 そこで、Jはすかさず言いました。「もし、スタメン選手の調子が良くて順調に試合が進んでいるなら、Jはベンチで待機するし、心からチームへの応援もできる。また、たった1分のプレータイムでも、それがチームやJにとって意味のある大事な仕事であれば喜んでプレーする。しかし、他の選手があんなに悪い状態でも使ってもらえない選手であるならば、それは不要と言われているのと同じではないか?」と。そして、「もし、Jの意見が正しならば、コーチはその事を認めてはっきり必要ないと言うべきでしょう?」と。エリックは少し考えた後に、「確かに自分の起用に過ちがあったと思う。しかし、今後もみんなと話し合いながらシーズン最後の大一番に向けて少しでも良い方向へ成長していきたい」そして、「俺もチームもJを必要としているので残って欲しい」と言ってくれたのです。

 その夜、チームディナーの場で、例のごとく話し合いが持たれたのですが、他の選手からも活発に意見が出されました。また、ロブは同じようなことを思っていたらしく、「俺も3試合目はかなりキツかったから、試合の後エリックに選手交代の必要性について、俺の意見も伝えたんだよ!」と。また、ロスもエリックとそのことで何やら長い会話をしていましたが、遠くに座っていたので何と言っていたのかはよく聞こえませんでした。 更に、違う課題や問題点についても論議が持たれ、実に3時間以上もレストランでの話し合いが続いたのです。みんなバスケの事に関しては真剣だし、自分なりの考えを持っているし、こうした話し合いの場ではそれらをしっかり伝えることができるところに感心する訳です。常にチームの全員が信頼関係を築くために、お互いの意見を交換し合うことを怠りません。なんて素晴らしいチームなのだろうか!!

  その後・・・、もちろん2日目のゴールデンステート戦にも接戦ながら勝利を収めました。しかも、昨日の反省会で話し合われた部分は即座に改善され、かなりチームの雰囲気も良かったし、選手の起用やオフェンス、ディフェンスの流れなども良かったのでした。デンバーはスター選手こそ居ませんが、個人の能力が一番大きく引き出せているチームじゃないかと自負しています。それにしても今シーズンのD1は接戦が多いし、同じチーム同士でも勝ったり負けたりの試合が続いているので、ダラスが頭一つ抜け出している以外は、大混戦と言う感じです。ちなみに、今シーズンは現時点でデンバーは11勝1敗(D2チームとの4試合を含む)と好調な滑り出しだしです。 

 翌日Jは例のチームメールで週末の一件について触れ、みんなと話し合いができ解決できたことや、みんなの気持ちに感謝することを伝えました。もちろん、最後までこのチームでプレーを続けたいという思いも書きました。まあ、後のことは想像がつくかと思いますが、これからのシーズンが益々楽しみになってきた次第です。



 最後に、試合結果と数日前に発刊されたスポーツン・スポークス誌によるD1のランキングと、現時点での実ランキン(デンバーナゲッツ選手案)をお伝えします。

 <今週末の結果>

結果
ゲーム1デンバー 68 VS ダラス   100
ゲーム2デンバー 73 VS ミシガン  66
ゲーム3デンバー 71 VS テネシー  63
ゲーム4デンバー 85 VS ゴールデンステート 78

<アメリカD1のランキング>

スポーツン・スポークス誌(11月末)
1、 ミルウォーキー・バックス
2、 ゴールデンステート・ウォーリアーズ
3、 ダラス・マーベリックス
4、 ミシガン・サンダーバード
5、 デンバー・ナゲッツ
6、 U of I(イリノイ州立大学)
7、 UTA(ケキサス州立大学アーリントン校)
8、 ミュージックシティー・ライトニング(テネシー)
9、 UWW(ウィスコンシン州立大学)


現時点の実順位(デンバーナゲッツ選手案)
1、 ダラス
2、 ミルウォーキー
3、 デンバー
4、 ミシガン
5、 ゴールデンステート
6、 U of I
7、 ミュージックシティー
8、 UWW
9、 UTA




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2002年12月01日

初体験の救急車 〜 高速道路で車が・・・・・

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旅に出る日の朝に撮影した愛車のチェロキー。この後すぐに事件は待っていた! 


 先日車でユタ州との州境にあるデュランゴという街を目指して旅にでました。 当日は雪が降っており車の温度計はマイナス7度を指していました。前日までは良い天気が続いており結構暖かかったのに、「さすが、雨男ぶりは健在だなー(雪ですが)」などと思いながら、旅へと出かけたのでした。しかし、高速道路上には、殆ど雪もなく結構走り易かったので、快調に飛ばして南下していきました。

 1時間ほど車を走らせた頃、ガスを補給するためにスタンドに寄りました。 そして、再び高速道路へ戻ったのですが、ふとメーター類に目を向けると、水温計が妙に高い位置を示していることに気づき、イヤーな予感がしていた矢先に「事件」は起こってしまったのです!! な、なんとボンネットから白い煙が立ち上がってくるではないですか!! しかも半端じゃない煙の量で、路上は霧が立ち込めているような状態になっていました。 何だか、とてもヤバそうな気配。 とりあえず車を路肩に止めてボンネットを開けると更に煙が増し、エンジンルームにはクーラント液が飛び散っている状態だったのです。 多分どこかからクーラントが漏れて、オーバーヒートを起こしていることは検討がつきましたが、どこから漏れているのかは検討がつきませんでした。

  ちょうどその日は日曜日で、車の修理工場などは休みのはず。デンバーから1時間も走らせてきた田舎の高速道路上で、どうしたら良いのか?? 途方に暮れていると、ある一台の車が止まってバックしてきたのです。それとほぼ同時に後方からサイレンを鳴らした消防車が近づいてきたのでした。「まさか!」と、思いましたが、その消防車はJの車の後ろで止まったのでした。 きっとJの車を見た通りすがりの誰かが通報したのでしょう。消防車からは4人のお兄さんたちが出てきて、車の症状を見てくれたのです。原因は、あるホースが裂けていたらしく、それさえ交換すれば直るとのことだったので、車の部品が売っている近くのホームセンターまで車を移動するよう進められ同意しました。また、話をしている最中には、もう一台の消防車と救急車まで到着して、とんだ大事になってしまったのです。これにはJも驚いて恐縮しっぱなしでした。

  ここで、日本とアメリカの大きな違いを発見&体験しました。日本で事故や故障を起こした場合、人身事故でない限り警察や消防は全く関与しないのですが、アメリカでは彼らが色々と相談に乗ってくれたり、助けてくれるのです。(これが普通か特別かは定かでないが・・・) まず、消防の人たちはJの車を移動するトラックを呼んでくれました。また、ホームセンターまでは救急車が運んでくれたのです。彼らは「この車にのれば暖が取れるよ」と言いながら、本当に親切な対応をしてくれました。この時Jは故障に遭い、寒い中で途方に暮れていたので、彼らの親切が本当に嬉しかった。 この場を借りて、「助けてくれたみなさん、本当にありがとうございます!!」  ただし、打たれ強いJはその後はすぐ立ち直り、「アメリカで救急車に乗れるとは思わなかった。しかも、怪我もしてないのにラッキー!」などと思いながら、車の中を見回していました。 それにしても、こんな事になったにも関わらず、彼らはJを店まで届けると、名前も聞かず調書も取らずに帰っていってしまったのです。この辺がアバウトなアメリカっぽいところだと思うわけです。

  ところで車はと言うと、雪降る寒い中で手にたくさんの傷を作りながら、ホース交換の修理をしたにも関わらず、違うところからも漏れていることが判明して、結局乗って帰ることはできませんでした。まあ、20万マイル(約32万キロ)も走っている車なので、アチコチにガタが来ていることは承知の上で購入したんですが、残念ながら今回はアラバマで買ったエクスプローラーのように、大当たりにはならなかったようです。 そして、友人であるジェーミーに電話して、お迎えをお願いすると、彼は快く迎えに来てくれたのでした。その後、ロードサービス会社からトラックを呼び、近くの修理工場まで車を移動したのですが、やはり日曜日で店は閉まっていたので、とりあえず手紙とキーをポストに入れて帰ってきたのでした。

  後日、修理屋から連絡が入り、「エンジンに亀裂が入っているので交換する必要がある」とのことでした。 そして、「修理費用は約4千ドル掛かる」とのことでした(涙) が、実は車を購入する際にオプション加入した自動車修理保険が、まだ保障期間中だったので中古車ディーラーへと相談すると、消耗品以外は保険でカバーできるとのこと。 まだ結末ははっきりしませんが、とりあえず最悪の事態にはならないで済みそうです。 まあ、かなりシンドイ思いもしましたが、「体験記ネタ」の貴重な経験もできたし、珍しくオプションの保険に加入していたお陰で、痛手は最小限に留まって良かったです。 なんだかアメリカ生活は本当に色々なハプニングに見舞われていますが、裏を返せばとても貴重で刺激的な生活が送れているということでしょうか。そして、やっぱり最後には「俺ってラッキーだなー」と、いう思いが浮かんでくるのでした(笑)

そうそう、今週末からカリフォルニア州サンホゼで、D1の上位6チームが勢揃いして試合があります。この遠征は今シーズンの順位を占う意味でも大事な試合となりそうです。そこで、次回はサンホゼ遠征の模様を書こうと思います。
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2002年11月06日

2002〜2003シーズン開幕! 〜新しいユニホームとサンディエゴ遠征

 行って来ましたサンディエゴ遠征! 今シーズンのスタートは、まだまだ暖かったカリフォルニア州のサンディエゴからでした。ところで、はじめに何故サンディエゴを最初の遠征地に選んだのかと言う事を説明しましょう。 実は、チームメイトから聞いた話なのですが、マネージャーのラリーがサンディエゴを選んだ理由は、二つあったそうな。 まず一つ目は、この大会がD2チーム中心の大会なので、ウォーミングアップを兼ねつつも、きっちりと勝ってシーズンに勢いをつける遠征にしたかったから。 そして二つ目は、暖かい場所を選んだ最大の理由なのですが、寒さで故障をしないようにと、選手の体調を気使ってのことらしいのです。 我がチームのラリーは、とても仕事が出来る、選手思いの素晴らしいマネージャーなのです!!

 日本ではマネージャーというと、サポーター的な役割が主で、スコア付けや水作りなどの仕事を想像します。しかし、アメリカでのマネージャーはチームをマネージメントする人を指します。したがって、スポンサー集めやお金の管理、チームスケジュールの調整や航空券の手配、選手のリクルートに関わることまで、決定権は全てマネージャーにあると言っても過言ではありません。ですから、その人の働き(実力)次第で、チームの運営や経済状況は大きく変ってくるという重要な仕事なのです。 そこで、今回はシーズンイン直前にあったマネージャーのラリーと、選手でありながらラリーの補佐的役割を果たしているエディにまつわるエピソードを紹介します。

 初遠征を2週間後に控えたある日、エディからチームメールが入ってきました。内容は、「現在新しいユニホームの製作に掛っているが、NBAのナゲッツがフルサポートしてくれるか微妙な感じだ」と言うことでした。そして、「最高の場合は、全てNBAのナゲッツと同じユニホームを無償(サポート)で手にする事ができる。 しかし、最悪の場合はそれらを全て我がチームの経費で購入して選手に支給する形になる」と。 まあ、どの道選手は全て無償で手に入れる事が出来るのですが、最悪のケースだとチームとしては大きな出費となるわけです。

  更に1週間が過ぎた頃、エディから報告のメールがありました。これは英文を一部そのままのっけちゃいます。
 「Ok guys, it is official, we will have new jerseys and they will all be on the Nuggets. Woo Hoo.... We will look good!! Eddy」
 難しい文では無いので、あえて訳は入れませんが、良い結果になったことは分かって貰えるでしょうか? すると、今度はチームメイト達がスグに反応を示したのです。「良くやったエディ!」、「お疲れ様ラリー!」、「スゲー!」、「ヤッホー!」と言った具合です。 選手もスタッフもお互いを気遣いながら、とても良いコミュニケーションが取れているチームだと実感しました。 ちなみに、Jは31番をゲットしました。 なぜ31番にしたか?? それは、なんとなくの思いつきです。 

  そうそう、肝心なサンディエゴ遠征ですが、全部で6試合を戦ったのですが、もちろん大差で全勝しました。 しかし、ここで特筆したいのが、《チームの在り方ってコーチによって全然違うものだなー》と、言うことです。

  というのも、少し話は反れますが、遠征の数日前にコーチのエリックから、選手全員に一冊ずつファイルが配られたのです。 それには、今シーズン我がチームが目指すプレー(オフェンスやディフェンス、選手の心得に至るまで)に関する詳しい資料が収まっていたのです。 そして、選手はそれらを全て予習してくるように言われていたのでした。 試合当日の朝、資料の内容について全員で話し合い(質疑応答)が行われたのです。 もちろん、その後のゲームでは、それら全てを実践で試していったのですが、みんな混乱しつつも、必死に指示通りのプレーができるよう思考錯誤が繰り返されました。 しかも、得点が何点離れようとも、気を抜く選手やプレーが理解できていない選手はどんどんベンチに引っ込められていくという展開で、選手交代も頻繁に行われました。 ですから、選手は常に集中力と緊張感を求められ、自分のプレーに没頭していったのです。 また、エリックは常に選手とコミュニケーションを取りながら、チームをまとめていったのでした。 それから、ある試合中のタイムアウトで、「俺達はこの試合で勝つことを目指している訳じゃない! チームが一つとなり、成長するために学んでいるんだ!」と、言っていたのが印象的でした。 そして、試合後も場所をレストランに移して、チームディナーを取りながら、メンバー全員で本音の意見を交わして、チームが常に一つになるための確認をし合いました。 これぞD1チーム!って感じで、意識の高さがヒシヒシと伝わってきました。 

  例え上手い選手でも、必死にプレーしなければベンチに下げられる。ベンチ入りしている全選手の実力が均衡しているゆえに、チームメイトは仲間であり、常にライバルであることがはっきりと空気で伝わってくるのです。 正直言ってこんな危機感を感じながらプレーしたのは全日本でも無いかもしれない。 もちろんレイクショア時代にも無かった・・・・・。 でもこの緊張感がたまらなくイイ! きっと、こんな環境の中でプレーする事が選手にとって必要なのではないかと思います。 Jは時々この雰囲気に逃げ出したくなりながらも、少しずつバスケに対する情熱が蘇ってきているのを実感している今日この頃です。

  ところでJは・・・・・・・・・、この遠征で結構ベンチにいる時間が長かったので、何となく今の自分が置かれている状況は把握しているのです。 ハッキリ言えば控えの選手という存在。 でも、このままベンチマンで終るつもりは絶対にないし、必ず春までにはコーチにも他の選手にも認められる選手になる! というか、選手全員が頑張って成長し、全員が試合で活躍しなければ、絶対にチームとしての良い結果は得られないって思うから、例えベンチマンになったとしても、与えられたプレイタイムを、自分の仕事をきっちりこなせるよう、常に意識しながら精進するのみです。

 最近、ようやくエンジンが掛ってきた感じ。 なんか久しぶりに大きな刺激を受けて毎日ワクワクしています。練習にも集中できるようになってきたし、少しだけどシュートの感じも良くなってきた。 何よりバスケが楽しくて仕方がない! それと、負けたくないヤツ(外圧的だけど)もでてきたし、目標にできることが一つ一つ明確になってきた感じです。 

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2002年10月29日

引っ越し 〜初めてのルームメイトとデンバーのスポーツ事情

 キャンプが終った日の午後、マネージャーのラリーやコーチのエリックと共に今後のことについて話をしました。何と言ってもまずは部屋探しが急務なのですが、デンバーはアパートの家賃が非常に高いのです。例えばスタジオタイプ(ワンルーム)のアパートで、部屋代だけでも$600(約7万5千円)くらいは掛るのです。しかも、今回は半年間の短いステイと決めているので、家具やベッドを買うのもバカバカしい。と言うことで、ラリーには家財道具が全て揃っている部屋をリクエストしたのでした。そして部屋が見つかるまでは、しばらくキッチン・家具付きのウィークリーホテルに部屋を取ってもらい、デンバーでの生活が始まりました。ちなみに、そこの支払いはチームのクレッジトカードでした。

  まずウィークリーホテルへの移動は、チームメイトとなったロブ選手(96年アトランタパラの全米代表でJと同じ年齢)が手伝ってくれました。しかも、ロブはホテルまでの車中、デンバーの生活に必要な様々な情報を細かく教えてくれたのです。また、当時まだ車が無かったJに対して、「買い物等の手伝いは、チームの人間が交代でするから!」と言うのです。そして圧巻は“チームメール”でした。(チーム関係者のメルアドをグループ化して必要な情報を交換している) まず、ロブがホテルの住所や連絡先をみんなに知らせるために、Eメールを入れてくれたのです。しかもそこには、異国の地に一人で居るJの気持ちを察してか?「なるべくJと連絡を取り合い、ホテルにも遊びに行こう!」と書いてくれたのです。すると、「家に夕飯を食べに来ないか?」とか、「ヘルプが必要なときはいつでも電話をくれ!」といったメールや電話が何人かの選手、スタッフから来たのでした。この時、Jはまだ体調が悪く、胃痛と吐き気に苦しみながら心細い気持ちでいたので、本当に涙が出るほど嬉しかったです。正直なところ、それまではデンバーで日本人の知り合いを作るべく色々と探っていたのですが、「俺には素晴らしいアメリカ人の仲間がたくさんいる!」という事に気づいたら、そんなことはどうでも良くなってしまいました。

  翌日、ようやく体調も回復しつつある中、ラリーから電話が入りました。「ジェーミーの家に住まないか?」というものでした。ジェーミーはデンバー市内に一人で暮らす車椅子バスケの選手です。彼はクラス1(身体の障害が重度)の選手で、もの静かな性格ということもあり、プレー自体は非常に地味なのですが、ピック&ロールやフリースロー、イージーシュートをきっちり決めるところなど、基礎がしっかりできている素晴らしい選手です。しかし、彼は現在手首を痛めており、長期にわたりタフさを要求されるD1でのプレーは無理と判断したようで、今シーズンはチーム練習のみ参加している選手なのです。

 数日後、ラリーに連れられてジェーミーの家を訪ねてみると、「素晴らしい!」の一言でした。 まず、広いリビングには65インチのマンモステレビが置かれており、ベッドルームとバスルームが各2つずつ用意されています。しかも、空いている部屋にはベッドやルームランプ、テーブルなども用意されており、すぐにでも生活が始められる状態でした。また、家はダウンタウンに近いため、とても便利な立地条件なのです。 特にJが最も気にしていたプシセンター(NBA:プロバスケのアリーナ)まで、車で3分という近さなのです。おまけに、日本食料品店やレストランも多いダウンタウンの繁華街へも5分と掛らない近さなのです。もちろんジェーミー自身も素晴らしい人格の持ち主です。彼は31歳と年齢も近く、アメリカ人にしては几帳面で誠実感が漂っていいました。また、Jが一緒に暮らすことについて抱いた、色々な質問に対しても誠実に答えてくれました。そして、「自分の家だと思って自由にやってくれ!」と笑顔で返してくれたのです。
そして、Jは即決でジェーミーの家へ引っ越すことになったのです。 後で知ったのですが、彼はイリノイ大学を卒業しており、在学中には車椅子バスケットチームにも所属していたということです。そして、彼の堅実で素晴らしいプレーは、そこで養われた事が判明したのです。それにしても31歳の若さで家を持ち、ゆうゆう自適に暮らしているジェーミーが羨ましいのはJだけ?。


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マンモステレビのあるリビングにてジェーミーを撮影



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デンバーのダウンタウンを家の近所の通りから眺める 


 ところで先日、ペプシセンターでナゲッツの紅白戦があり、ジェーミーと観戦してきました。まだシーズン前の紅白戦と言うこともあり、この試合は入場料も駐車場も無料で開放されました。多分コロラドの住民に対して、今シーズンのチーム紹介や宣伝も兼ねていたのでしょう。それと、選手の顔ぶれは一人の選手(ジュワン・ハワード)を除いては、知らない選手ばかりで、まさに新チームに改革中という感じでした。ただし、シーズン前とはいえ、試合の内容が余りに悪かったので、観ている人々は口々に「大学生の方がましだ!」とか、「やっぱりコロラドはブロンコス(アメフト)か、アバランチ(アイスホッケー)だな!」と言っていました。まあ、確かに試合内容は、かなりひどかったのですが・・・・。 また、ペプシセンターはオープンして2年目の新しいアリーナで、とてもきれいな施設でした。が、実は97年に全日本の遠征で、Jは一度デンバーを訪れたことがあるのですが、その時に観戦したナゲッツのアリーナは、既に壊されて無くなっていたのです。(ちょっと残念です)

ここで、アメリカのスポーツ人気を知れる話を一つ。 コロラドは人口350万人程度の州で、約半分がデンバー周辺に集まっていると言われています。しかし、それでもデンバー周辺人口は180万人程度です。(確か名古屋市の人口だけでも300万人くらいはいたと思います)  それにも関わらず、デンバーには4大メジャースポーツチームの全てが存在し、且つ、全てがしっかりと収益を上げているというから凄い!(他にもサッカーなどマイナースポーツのプロやカレッジのスポーツチームも多数ある) しかも、バスケのペプシセンターとアメフトのインベスコフィールドが築2年、そして、最も古い野球のクアーズフィールドでも7年という新しさだそうです。いったい総工費はどうのくらい掛っているのだろうか?? また、選手の給料だけで幾ら支払われているのだろうか?? そして、アメリカの人々はスポーツ観戦に、いったい幾ら費やしているのだろうか?? それらを考えると不思議な思いです。



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ペプシセンター(NBA:ナゲッツ&NHL:アバランチ) 


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インベスコフィールド(NFL:ブロンコス)


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クアーズフィールド(MLB:ロッキーズ) 


日本の人口はアメリカの約半分ですが、プロスポーツチームは野球とサッカーを合わせても、いいとこ40チーム程度でしょう。しかも、閑古鳥状態で経営難のチームも少なくないと聞きます。そして、大学のスポーツもアメリカに比べれば月とスッポン。それに引き換えアメリカでは、4大メジャースポーツだけでも約120チームが存在し、マイナースポーツ&リーグを合わせれば200チームは下らない。それにカレッジスポーツの数や人気を考えると、やはりアメリカのスポーツ熱は“スゴイ”の一言です。 ちなみにジェーミーは年間を通して、全競技で10〜15回程度、スタジアムへ観戦に行っているらしいのですが、Jも既にバスケの試合を中心に、10試合程度の観戦予定を立てております。

  まあ、今回は6ヶ月間という短いデンバー生活なので、できるだけ多くの発見や感動、そして楽しみを見つけて、充実したものにしたいと思っています。 まずは、本業?のバスケで納得のいくシーズンを送ることに集中したいと思いますが、それ以外では、コロラドの素晴らしい自然を堪能すべく、各地への散策を開始しています。また、他にも数年ぶりにチャレンジ予定のスノースキーや、お隣(ユタ州やアリゾナ州)にも、車での旅行を計画中です。 また、それらは実現次第、体験記でお伝えしていきたいと思います。

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2002年10月12日

移籍への道 (後編) 〜苦しんで勝ち取ったD1の座

 渡米を9月26日に決めたJは、ラストスパートで23日に北海道巡業を済ませ、長かった全国巡業の旅を一旦終えました。そして、夜通しフェリーに乗って千葉の本社へ戻ったのは翌24日の夕方でした。その後事務処理と渡米の準備に掛ったのです。翌日も朝から郵便局や携帯ショップへと走り、慌てて諸手続きを済ませた後、本社へ戻って打ち合わせや仕事の引継ぎを済ませたのでした。何せ出発が26日の夕方なのにも関わらず、殆ど何の準備もしていなかったのです。いくら旅慣れているとは言え、ちょっと無謀なスケジューリングだったことは言うまでもありません。それでも、いざ出発直前になってみれば、全て順調に進んでいるという充実感と満足感はありました。

 シカゴへ向かう飛行機の中では夕飯を食べた所くらいまでは覚えていますが、その後は到着1時間前くらいまで珍しくトイレにも行かず、爆睡していたようです。こんなに短い(早い)と感じた国際便のフライトは初めてです。また、少々心配していた入国審査も簡単にパスして、シカゴから乗り継ぎデンバーへと向かったのでした。しかし、デンバー空港で大きなアクシデントに見舞われたのです。何とバスケ用車椅子の背もたれパイプが片側完全に折れていたのです! 明後日からのキャンプに参加しなければ「選手登録はない」という言葉を思い出してかなり焦りました。いや切れました! というのも、実はこれが初めてではなく3度目だからです。最初もバスケ車の背もたれで、2度目は普段車のホイルを曲げられ・・・・・・。とにかくアメリカの航空会社は荒いのです。ただ幸い出迎えに来てくれたタズ選手の知り合いの修理工場を紹介してくれたので、翌日には乗れるようになったのですが、その時は本当に焦りました。

  その後ホテルに入ってからは、週末のキャンプに備えてゆっくり休養をとっていたのです。 が・・・・・・・・。なんとここでも最悪の事態が起こったのです。実は渡米前の疲れや時差ぼけ、緊張などからか?珍しく食欲不振に見舞われ少し体調を崩していたのですが、薬を飲んでも症状は悪くなるばかりで、その後頭痛、胃痛、吐き気と体調は最悪の状態に陥っていったのです。特に胃痛と下痢がひどく、また何を食べても飲んでもすぐに吐いてしまという有様でした。

  キャンプ初日、一応コーチのエリックとマネージャーのラリーに相談しましたが、「やれる所までやれ」と言われました。でも、もしプレーが悪かったり、できなかった時のことについては怖くて聞くことができませんでした。腹に力を入れるとヤバイ状態、走って身体を揺らすと吐き気がしてもっとヤバイ状態になりながらも、後がないという気持ちだけで練習に参加しました。休憩時間にトイレで吐き、飯の時間や本当にヤバイ時には申し出てコートサイドで横になる。それでも何とか半分程度メニューをこなしました。練習の内容はチェアスキル(走りこみ)と、ドリル、ゲームといったシンプルな内容で目新しいものは特にありませんでした。

  初日のキャンプには昨年のメンバー7人と、Jを含む新参者が7人の14人で始まりました。新参選手の中には北九州GCでカナダ代表だったロス選手やユタから招待を受けたジェフ選手などライバル選手の実力も高い。また、最終的には7,8人に絞るという話だったのですが、どうみても5人は決まっている感じだったので、残る3枠を9人で争う格好になりました。と言っても3人は誰が見てもD2選手なので、実質は6人で3枠を奪い合うと言うのがJの見方でした。ところでその晩、参加した選手、スタッフ全員でチームディナーなるものがあったのですが、もちろんJはホテルに直帰して休みました。タダ飯を食い損ねたのは残念ですが、その時は食べ物を見るのも辛かったのです。

  翌日ジムへ連れられて行くと、練習開始時間になっても来ない選手が5人いました。コーチに確認すると、どうやら昨日の段階で落とされた様子。その中には昨年デンバーでプレーしていてレン選手もいました。彼は翌日も残ると信じていたようで、バスケ車や荷物がジムに置きっぱなしになっていました。2日の調子は更に悪く午前の練習は見学にさせてもらいました。しかし、どこかでアピールする機会を作らねばと思い、コーチに相談したところ「午後の紅白戦に10分でも15分でも構わないから出てみろ」と言われて覚悟を決めました。ゲームが始まった直後から最悪の状態だったので、シュートやDFで見せることは難しいと判断しパスとピックだけに集中しました。結果、見方のビッグマンに何度となくファインパスを通し、マークからは「ジンボはピックが上手いからマシーンみたいだな!」と褒められました。そして、15分間のアピールタイムは終了しました。こんなに体調が悪い状態であそこまで集中できたのは、きっと後にも先にもないことでしょう。しかし、その後トイレに駆け込んで嘔吐を繰り返したことは言うまでもありません。

  キャンプは想像以上にハードで長かった。初日は朝の8時に始まり夕方5時までみっちり8時間あったし、2日目も朝8時から3時まで約6時間も行われました。また、選手の真剣さも想像以上で、激しいぶつかり合いやののしり合いも多少見受けられました。特に紅白戦ではタズがマークに対する厳しい接触で、マークが切れてファイヤーするという事件も起こりました。でもそれらは真剣にプレーしているからこそ起こるもので、ある意味仕方がないものだと思います。また、選手は練習が終れば皆と握手をして楽しく語り合う友達同士に戻ります。ののしり合うのは見習えませんが、本番さながらの練習姿勢や気迫は日本の選手も見習うべきところだと思いました。

  キャンプ終了後、全員でジムの外へ出てミーティングをしました。外は10月だと言うのに20度以上ありとても暖かかったです。選手はビール(Jはスポーツドリンク)で乾杯しながら、バスケの話で盛り上がりました。そして、Jはコーチのエリックに呼ばれてデンバーナゲッツのウォームアップスーツと帽子を渡されました。そして一言だけ「We need you!」と。渡されたそのスーツはNBAのデンバーナゲッツの物と全く同じもので、Jがとても憧れていたものでした。また、後日新しいゲームシャツやパンツ、練習用のリバーシブルなども支給するとのことでした。ちなみにJが希望した背番号は55番です。(他の選手とブッキングしているので確定ではありませんが) それしにしても、その時の感動を言葉で表すのは非常に難しいのですが・・・・・、でもこんなに苦しんで掴んだD1の座って、本当に何にも変えがたい自分だけの勲章だと思っています。

  この1,2週間を振り返えってみると、無謀なスケジューリングや自己管理の悪さに加え練習不足だったことなど、アスリートとして反省すべき点は多い。しかし、もっと前からの軌跡をたどってみれば、着実にステップアップをしている訳で、あまり悲観的になることもないかなーと思っています。アメリカナイズされてあくまでもポジティブなJでした。 まあ自分の人生ですから自分が良ければ良いのですよ。

ということで、今シーズンの開幕は今月25日からカリフォルニア州のサンディエゴから始まります。この大会はD1,D2混合の大会らしいのですが、マネージャーのラリー曰く「ウォーミングアップを兼ねるつもりで予定を入れた」とのことでした。Jはこの遠征が終ったら国体に出場するため一旦日本へ帰ることにしております。 そして、目指すは国体優勝と来年3月末にアリゾナ州フェニックスで開催される全米選手権(ファイナルフォー)への出場です。

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2002年10月09日

移籍への道 (前編) 〜まず、今オフにあった様々な出来事から紹介します

 いよいよJの季節=米国のバスケットボールシーズンがやって参りました! 一時は日本に完全帰国も考えていたのですが、やはり終わりにすることはできず、再びアメリカにやって来ました。しかし、日本に戻っていた半年の間にも想像し得なかった出来事が多々あり、とても楽しく充実した生活を送ることができたのです。そこで今回は、まずオフの間に日本で起こった様々な出来事を絡めて、移籍までの道のりを紹介したいと思います。また、果たしてこの話の最後に、Jは再びアメリカでプレーするチャンスを手にできたのか?!?!

 まず、昨シーズンレイクショアでD1昇格を果たしましたが結果は惨敗。シーズン後半にその原因について、ボスのスコットと話し合いましたが、彼いわく「レイクショアは財団の一プログラムとしてチームを運営しているので、他のD1チームのようにお金で選手を引き抜くことはできない」との答えが返って来たのです。そして、「田舎のクラブチームとして出来るのは、やはりD2が限界かも・・・」と。 話は良く理解できました。が、Jは全てを掛けてアメリカまで来ているわけで、勝つこと、常に上を目指すチームであること、そして何よりD1でなければ意味がないことを説明して、先シーズン限りでチームから去ることを伝えました。

  2002年3月末に一時帰国したあとは、シーズン途中で悪くした腰と肘の療養も兼ねて、しばらくゆっくりしておりました。良く言えば「療養生活」、悪く言えば「プー太郎生活」の期間です。(笑) そして、風呂屋のキャプテンである哲さんにお世話になりながら、風呂屋での活動を展開したのです。そんなある日、オーエックスの本社で営業部長のO氏と色々な話をする機会があり、再びアメリカに戻りたいという、Jの我がままを許してもらえるのであれば、是非オーエックスで働きたいという話になったのです。社内会議の結果?晴れてオーエックスの社員に迎えていただくことになり、3ヶ月に及んだ長いプー太・・・、いや療養生活にも終止符を打つことになったのです。

  入社数日後に社長より命ぜられた仕事は、「とりあえず九州を回ってこい!」でした。それから数日後には九州へと向かったのでした。また、それ以降も南は九州の熊本から北は北海道の旭川まで全国のチーム練習の会場に営業を兼ねて寄らせていただきました。はっきりと覚えてないんですが、全国約25ヶ所で延べ300人くらいの選手と一緒に練習をさせていただきました。その際どこに行っても大変親切にしていただき、そのほとんどが、練習後にチームの皆さんと夕飯(飲み会?)をご一緒させていただいたのでした。中には自宅に泊めていただき、朝まで飲みながらバスケの話で盛り上がったことも度々あり、「何とも楽しくて充実した仕事を得られたものだ!」と思ったものです。しかし、そのお陰で毎日のように大好きなビールを飲みまくり、3ヶ月でベスト体重より4キロも増えてしまったのでした。 ところで、何より嬉しかったのはバスケを通してたくさん選手と知り合え、バスケを超えて色々な話が出来たことです。それは間違いなく自分の中で大きな財産となっています。必ずまた巡業の旅に出ますので、その節はみなさんよろしくお願いいたします。

 話は反れましたが、移籍に交渉が本格的に始まったのは、前回の体験記に書いた、5月末にダラスであった3on3大会の時からでした。この旅の間に、以前から話があったシャーロットのメンバー数人と移籍希望者とで密会をしたのです。ここにはJが尊敬するデビッド・カイリー選手が居るのですが、彼は身体の調子が悪く来期はプレーできない可能性があることを伝えられました。また、思うようにリクルートも上手くいっていないため、下手をするとD2降格の選択を余儀なくされるとの話もあったのです。そこで、Jは危機感を感じ、シャーロットとの話を続けながらも他のチーム状況についても探りを入れ始めたのです。また、この旅に同行した、千葉の安選手もアメリカ行きを目指していたため、彼のプレー先を見つけるためにも手当たり次第の選手や関係者に接触しました。そして、Jを必要としてくれて尚且つ上位を目指せそうなチームとして候補に上がったのが、デンバーとテネシーの2チームでした。Jはシャーロットを含む、この3チームと平行して話を進めました。

 それと、こぼれ話を一つ。実はD2に降格したシャーロットがリクルートをしていた目玉選手にカナダのエース、パトリック・アンダーソン選手がいました。もちろん何処のチームも彼を欲しいわけですが、その彼がシャーロットを断るために書いてきたメールが非常に興味深かったのです。(このメールは当時シャーロットの一員としてJにも送られてきました) 普段クールでもの静かな彼が、バスケに対する思いを延々と書いている長いメールには、とても誠実に彼の気持ちが書かれていました。特に興味深かったのは彼や友人でカナダ代表のジョーイ・ジョンソン選手をNBAの選手に例えたエピソードが面白かった。彼のバスケに対する深い思いが良く伝わってきました。その後、彼にメールで来期のプレー先を尋ねたところ、ミシガンで彼の親しい選手を集めた新チームを結成したとのことですが、それも彼らしい選択のような気がします。

 8月上旬、コロラドから一通のエアメールが届きました。これはJが最も必要としていたチームからの招待状です。これがないと、米国にVISAを行使しての長期滞在をすることが出来ないのです。この瞬間Jの心は決まりました。そして、8月下旬のGCで来日していたマーク選手と会うことが出来たのです。しかーし、ここに大きな落とし穴?が待っていたのでした。彼との話の中で彼は幾度となく「9月下旬のチームキャンプに参加しなければJの移籍はないと思う」と言ってきたのです。もちろんキャンプは当初から参加するつもりでいたので、はじめは普通に受け取っていたのですが、どうも彼の言い方が不自然なのです。少し心配になったJは「それはただのキャンプか?あるいは、トライアウト(テスト)にあたるものか?」と尋ねました。すると彼は少々困った顔をして「トライアウトにもなっているが、チームはJを必要としていると思うよ」と言ったのです。その「思うよ」って言うのは何さ! この時Jはイヤーな予感がしたのです。結局Jはデンバーにとって絶対に必要な選手ではなく、テストで篩い(ふるい)に掛けられる選手達の一人なのだと。

 自慢ではないが、今まで3度のパラと多数の国際大会を経験してきました。それに加え米国で2シーズンプレーした実績もある。しかし、それにも関わらずやっぱりトライアウト(テスト)かい! しかも32歳、ベテランと言われる選手になっても・・・・・・。正言って悔しい思いと、万が一落とされたときの不安感や悲壮感が同時に込み上げてきた。やっぱりD1の敷居は高いなー(またはJの実力が低いだけ?)と、思いつつ、「それしか方法がないならやるしかないかー」と、独り言を言いながら腹を決めて渡米の日を待ったのでした。

後編に続く いよいよJの季節=米国のバスケットボールシーズンがやって参りました! 一時は日本に完全帰国も考えていたのですが、やはり終わりにすることはできず、再びアメリカにやって来ました。しかし、日本に戻っていた半年の間にも想像し得なかった出来事が多々あり、とても楽しく充実した生活を送ることができたのです。そこで今回は、まずオフの間に日本で起こった様々な出来事を絡めて、移籍までの道のりを紹介したいと思います。また、果たしてこの話の最後に、Jは再びアメリカでプレーするチャンスを手にできたのか?!?!

 まず、昨シーズンレイクショアでD1昇格を果たしましたが結果は惨敗。シーズン後半にその原因について、ボスのスコットと話し合いましたが、彼いわく「レイクショアは財団の一プログラムとしてチームを運営しているので、他のD1チームのようにお金で選手を引き抜くことはできない」との答えが返って来たのです。そして、「田舎のクラブチームとして出来るのは、やはりD2が限界かも・・・」と。 話は良く理解できました。が、Jは全てを掛けてアメリカまで来ているわけで、勝つこと、常に上を目指すチームであること、そして何よりD1でなければ意味がないことを説明して、先シーズン限りでチームから去ることを伝えました。

 2002年3月末に一時帰国したあとは、シーズン途中で悪くした腰と肘の療養も兼ねて、しばらくゆっくりしておりました。良く言えば「療養生活」、悪く言えば「プー太郎生活」の期間です。(笑) そして、風呂屋のキャプテンである哲さんにお世話になりながら、風呂屋での活動を展開したのです。そんなある日、オーエックスの本社で営業部長のO氏と色々な話をする機会があり、再びアメリカに戻りたいという、Jの我がままを許してもらえるのであれば、是非オーエックスで働きたいという話になったのです。社内会議の結果?晴れてオーエックスの社員に迎えていただくことになり、3ヶ月に及んだ長いプー太・・・、いや療養生活にも終止符を打つことになったのです。

  入社数日後に社長より命ぜられた仕事は、「とりあえず九州を回ってこい!」でした。それから数日後には九州へと向かったのでした。また、それ以降も南は九州の熊本から北は北海道の旭川まで全国のチーム練習の会場に営業を兼ねて寄らせていただきました。はっきりと覚えてないんですが、全国約25ヶ所で延べ300人くらいの選手と一緒に練習をさせていただきました。その際どこに行っても大変親切にしていただき、そのほとんどが、練習後にチームの皆さんと夕飯(飲み会?)をご一緒させていただいたのでした。中には自宅に泊めていただき、朝まで飲みながらバスケの話で盛り上がったことも度々あり、「何とも楽しくて充実した仕事を得られたものだ!」と思ったものです。しかし、そのお陰で毎日のように大好きなビールを飲みまくり、3ヶ月でベスト体重より4キロも増えてしまったのでした。 ところで、何より嬉しかったのはバスケを通してたくさん選手と知り合え、バスケを超えて色々な話が出来たことです。それは間違いなく自分の中で大きな財産となっています。必ずまた巡業の旅に出ますので、その節はみなさんよろしくお願いいたします。

 話は反れましたが、移籍に交渉が本格的に始まったのは、前回の体験記に書いた、5月末にダラスであった3on3大会の時からでした。この旅の間に、以前から話があったシャーロットのメンバー数人と移籍希望者とで密会をしたのです。ここにはJが尊敬するデビッド・カイリー選手が居るのですが、彼は身体の調子が悪く来期はプレーできない可能性があることを伝えられました。また、思うようにリクルートも上手くいっていないため、下手をするとD2降格の選択を余儀なくされるとの話もあったのです。そこで、Jは危機感を感じ、シャーロットとの話を続けながらも他のチーム状況についても探りを入れ始めたのです。また、この旅に同行した、千葉の安選手もアメリカ行きを目指していたため、彼のプレー先を見つけるためにも手当たり次第の選手や関係者に接触しました。そして、Jを必要としてくれて尚且つ上位を目指せそうなチームとして候補に上がったのが、デンバーとテネシーの2チームでした。Jはシャーロットを含む、この3チームと平行して話を進めました。

 それと、こぼれ話を一つ。実はD2に降格したシャーロットがリクルートをしていた目玉選手にカナダのエース、パトリック・アンダーソン選手がいました。もちろん何処のチームも彼を欲しいわけですが、その彼がシャーロットを断るために書いてきたメールが非常に興味深かったのです。(このメールは当時シャーロットの一員としてJにも送られてきました) 普段クールでもの静かな彼が、バスケに対する思いを延々と書いている長いメールには、とても誠実に彼の気持ちが書かれていました。特に興味深かったのは彼や友人でカナダ代表のジョーイ・ジョンソン選手をNBAの選手に例えたエピソードが面白かった。彼のバスケに対する深い思いが良く伝わってきました。その後、彼にメールで来期のプレー先を尋ねたところ、ミシガンで彼の親しい選手を集めた新チームを結成したとのことですが、それも彼らしい選択のような気がします。

 8月上旬、コロラドから一通のエアメールが届きました。これはJが最も必要としていたチームからの招待状です。これがないと、米国にVISAを行使しての長期滞在をすることが出来ないのです。この瞬間Jの心は決まりました。そして、8月下旬のGCで来日していたマーク選手と会うことが出来たのです。しかーし、ここに大きな落とし穴?が待っていたのでした。彼との話の中で彼は幾度となく「9月下旬のチームキャンプに参加しなければJの移籍はないと思う」と言ってきたのです。もちろんキャンプは当初から参加するつもりでいたので、はじめは普通に受け取っていたのですが、どうも彼の言い方が不自然なのです。少し心配になったJは「それはただのキャンプか?あるいは、トライアウト(テスト)にあたるものか?」と尋ねました。すると彼は少々困った顔をして「トライアウトにもなっているが、チームはJを必要としていると思うよ」と言ったのです。その「思うよ」って言うのは何さ! この時Jはイヤーな予感がしたのです。結局Jはデンバーにとって絶対に必要な選手ではなく、テストで篩い(ふるい)に掛けられる選手達の一人なのだと。

 自慢ではないが、今まで3度のパラと多数の国際大会を経験してきました。それに加え米国で2シーズンプレーした実績もある。しかし、それにも関わらずやっぱりトライアウト(テスト)かい! しかも32歳、ベテランと言われる選手になっても・・・・・・。正言って悔しい思いと、万が一落とされたときの不安感や悲壮感が同時に込み上げてきた。やっぱりD1の敷居は高いなー(またはJの実力が低いだけ?)と、思いつつ、「それしか方法がないならやるしかないかー」と、独り言を言いながら腹を決めて渡米の日を待ったのでした。

後編に続く 

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2002年06月20日

2ヶ月ぶりにアメリカへ行ってきました (後編)〜ダラスでの3on3大会と来期のプレー先

 さて、後編はいよいよ旅の目的であったダラスでの大会と来期のプレー先選定に関わる交渉活動のレポートです。まず、今回参加した大会名は、“11th P.O.I.N.TExtravaganza”というイベントで、簡単に説明すると年に一度ダラスで開催される障害者関連のサマーイベントです。内容はバスケの3on3大会をはじめ、水上スキー、釣り、乗馬、射撃、ロッククライミング等の体験や福祉機器展示、各種ゲームなど盛りだくさんです。しかも、参加費を15ドル支払えば、全てのイベントに無料で参加・体験が出来るほか、会場となったダラスのバックマン レクリエーションセンターでは飲み物や食べ物も全て無料で振舞われていました。本当は神保も参加費15$を支払うのですが、「このイベントに参加するために、わざわざ日本から来たんだよ!」と言ったら無料にしてくれました。ちなみに安はスタッフに言われるまま15$の参加費を支払ったそうです。(笑) そして、そのイベントの一つとしてデビッド・カイリー主催の3on3の大会があったのです。また、この大会のオフィシャルスポンサーは、米国車椅子メーカーのクイッキー社でした。しかも、イベント全体のスポンサーにはアメリカン航空をはじめ数十社の企業がサポートしており、そのスポンサーからのスゴイ数の商品等が提供されていました。例えば航空券や旅行券、釣り道具に車椅子、賞金(お金)などがクジ引きや大会の商品で出ていました。



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釣りブースにてナマズを釣り上げました



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水上スキーブースを遠めで撮影



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全米代表選手ウィルとのツーショット 


 それでは大会の概要について説明しましょう。まず、デビッド・カイリーに招待された48名の選手のみが出場を許される大会で、クイッキーのサポートを受けるパトリック・アンダーソンをはじめとするアメリカ、カナダの代表選手も多数参加していました。他にもD1で活躍する上位チームの選手が中心に招待を受けているのが特徴です。安については神保の売り込み作戦と参加を辞退した数選手の代わりに、彼の参加を認めてもらうことが出来たのでした。チームの構成は、まず主催者に決められた16人のキャプテン(神保もキャプテンに指名された)が、残りの32人をドラフト方式で一人ずつ引き抜いていくという方式だったのですが、時間の関係から神保がキャプテンミーティングに参加した木曜日の夜には既にチーム編成が決められていました。神保のチームメイトはジョシュ選手(写真右)とヘイスー選手(写真左)でした。ちなみにジョシュは現在22歳で全米のジュニア代表選手です。また、現在イタリアのプロチームから誘いを受けており、来季はそこでプレーする予定だそうです。彼が言うには「イタリアのチームからは車、アパート、給料がサポートされるので、アメリカでプレーするよりも条件が良い」らしいです。彼とは2シーズン前に数回試合をした経験もある知り合いでしたが、一段と上手くなっておりました。ヘイスーは地元ダラスのD2でプレーをしているメキシコの選手ですが、スピードがあるガードなのでバランスの良いチーム編成となりました。ちなみに安のチームは元全米代表のガードとビックセンター(共にD1選手)のチームで、これまたバランスがいいチームでした。



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神保チーム3人で記念撮影 


 次にルールの説明ですが16チームをA.Bリーグに分けて、初日(金曜日)に予選リーグ各7試合のリーグ戦が開催されました。ルールを簡単に説明すると、15ポイント先取方式で最長ゲーム時間は25分間。得点は1ゴール1点で、3Pシュートは2点、シュートクロックは25秒でした。また、ファールは選手の申告制というテキトウな試合ですが、ハイレベルな選手が多いせいか?意外と紳士的に進んでいたと思います。ちなみに神保も安も同じBリーグだったのですが、直接対決の結果は僅差ですが神保チームの勝利でした。初日の結果は4勝3敗同志で神保チーム(B組3位)、安チーム(B組4位)は翌日の決勝トーナメントに進出でした。ここで特筆したいのが安の活躍でした。最初は言葉が通じないのと安の実力を知らない関係で、彼にボールが回っていなかったのですが、時間が経つにつれてパスが回るようになり、最後は安がチームの得点を一番稼いでいました。しかも、物怖じすることなく国際クラスの選手にバリバリ仕掛けている姿は日本人選手らしからぬ光景でした。周囲の選手からも評判は上々で、安選手の可能性の大きさを感じました。ただし、D1では必要としてくれるチームが一つとして無かったことも事実で、いかにD1が選手にとって狭き門かと言うことも思い知ったのではないでしょうか?翌日の決勝ラウンド神保チームはA組2位のチームと戦ったのですが、ここには世界ナンバーワン選手と言われるパトリック・アンダーソン選手がおり、11−9まではリードしていたのですが、その後パットに2点シュート(スリーポイント)を4本中3決もめられて撃沈されました。安チームもA組1位のデビッド・カイリーチームに撃沈されて共に決勝トーナメント1回戦で敗退でした。結局優勝を飾ったのは神保チームを破ったパットのチームで、優勝チームの3人にはクイッキー社よりバスケ車を各1台と優勝賞金が出ておりました。まあ、筋書き通りと言う感じがしないでもないけどなー。



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決勝戦の様子 


 この大会期間中に色々なチームの選手、関係者と来期のチーム体制などに探りを入れつつ、自分のプレー先を考えたのですが、これが非常に難しいのです。というのも、殆どの選手は常時数チームと交渉をしているため、何処のチームに聞いても「多分○○はうちのチームに来るよ!」と、同じ人間について話しているのです。ということで水面下では各チーム同士の綱引きが行われているようで、来期のチーム体制については最後の最後までわからないといった感じです。ちなみにパットは昨シーズン優勝したミルウォーキー・バックスが本命、ウィルはバックスからカリフォルニアのゴールデンステートに移籍予定で、相変わらず米国のD1は移籍組みが多いこと。神保も現在4チームと交渉をしているのですが、その中でも一応チーム状況(実力、経済状態)や環境を総合して2チームに絞り込んで具体的な話し合いをしました。ある1チームはチームマネージャーと直接話をしたのですが、「万全の状況で受け入れる準備がある」という言葉があり、結構現実味が出てきた感じです。現在メールで詳細を確認中なので7月末までには決定したいと思っています。そして、夏のゴールドカップに日本のサポーターとして北九州へ応援に行った後、再渡米をしようかと思っています。この件は決まったら、またこの場で詳しく書こうと思っています。

 そうそう、それからこの旅行の余談として、最終日に安とアメ人の友達と3人でメジャーリーグを観に行ったときの話しです。テキサス・レンジャース対カンサスシティー・ロイヤルズだったのですが、いつもの通り一番安い外野席のチケットを6ドルで購入してから、係員の目を盗んで少しずつ下の階に移動をしました。(笑)そして、野球観戦をしながら一番日焼けが出来そうな1階席のエリアを見つけてたどり着いたときのことです。丁度カンザス側のブルペンを見ると何やらアジア人らしき人がいるではないですか。後姿を確認すると「SUZUKI」と書いてあるのです。そう、彼こそマック鈴木投手でした。最近有名な日本人選手がたくさん海外進出を果たしている関係で影が薄くなりましたが、マックはあの野茂投手よりも先にメジャー挑戦したチャレンジャーなのです。だから神保は以前から結構マックのファンでした。そこで、即行売店に行ってサイン用ボールとマジックペンを購入。マックにサインを求めると、「ごめんなさーい、試合が始まった後はダメなんですよー」と、つれない返事が返ってきました。「頼むよーーー」とねだってみると、控えのキャッチャーらしき人が来て「ボールとペンを寄こせ」と言うのです。そしてマック鈴木選手からサインを貰って着てくれたのでした。また、テキサスにいる伊良部投手は最後の最後まで見ることはできませんでしたが、どっちのチームにも日本人がいるってところがスゴイ時代になったなーっと実感しました。



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野球場でマック鈴木のサインを貰ってニッコリ 


 今回の旅はとにかく慌しくて疲れる旅でしたが、9日間バッチリ楽しめたように思います。世界のトップアスリート達もオフシーズン中に開催されたこの大会では、みんな和やかなムードでいつもとは違う顔を見せてくれました。それから、なんと言っても安との2人旅!きっと、もう2度とないことでしょう。と言うか、そう願っております。だって無理な注文が多いんだもんなーヤツ。(笑)

おわり 


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