2004年01月15日

毎日新聞の記事掲載 〜熱い記者さんとの出会い

  さーて、2004年第一発目の体験記は、1月4日付けの毎日新聞に掲載された、Jについての記事を紹介したいと思います。 読んでくれる人によっては、「何で新聞の記事が体験記なの?」って思う人もいるかな? まあ、別の枠を作って掲載しても良かったんだけど、ちょっと書きたいこともあったから、あえて体験記の場所で紹介することにしてみました。 まずは新聞の記事を読んでよ。


平成16年1月4日付け 毎日新聞 社会面(30頁)掲載記事

 ◇俺はもう逃げない

 ゴムの焦げたにおいがする。車椅子のタイヤがコートを「キュッ」と鳴らす。バスケットボールの競技用車椅子にブレーキはない。素手で車輪を握って回転を止めるたび、ふくらはぎより太い腕の筋肉が浮き上がる。  昨年暮れ。大阪市内のスポーツセンターに、秋のアテネ・パラリンピックを目指す全日本男子チームの代表候補20人が集まった。ゴール下の密集で神保康広さん(33)がリングにはじかれたボールをつかんだ。187センチの長身。75キロの握力はリンゴを握りつぶせる。 00年から3年半渡米し、日本人として初めてNWBA(全米車椅子バスケット協会)のトップチーム入りを果たした。それでも、「JAPAN」のユニホームが約束されたわけではない。

  ■   ■

 「すぐカタログを送ります」。携帯電話の相手に頭を下げる。神保さんは車椅子メーカー「オーエックスエンジニアリング」(千葉市)の九州支店長。福岡県飯塚市で一人暮らしをしている。 各地の販売店を車で回り、夜は地元チームの練習に飛び入り参加する。若手の指導を兼ねた営業で、バスケット用車椅子の売り上げを前年の3倍に伸ばした。 幼いころ、プロ野球選手にあこがれた。中学時代、内申点で生徒を抑えつける教師に反発した。テストの答案用紙を丸めて投げ捨て、学校に行かなくなった。 バイクのスピードメーターの針が140キロを指した時、ブロック塀が目前に迫っていた。接触して投げ出され、地面にたたきつけられた。下半身が動かない。「俺(おれ)の足がねえよ」。大声で叫んでいた。16歳の冬だった。 脊椎(せきつい)脱臼骨折。自力で歩くことはもうできなかった。リハビリを拒否して外出の誘いを断るうち、たくさんいた友達は3人に減った。18歳で車椅子バスケットを初めて見た。強豪チームの練習に参加したら、ベテラン選手が軽く出したパスを顔面で受けた。失われた2年間を取り戻そうと、のめりこんだ。

 21歳の時に知り合った2歳下の彼女が「やっちゃんはすごいんだから」と励ましてくれた。所属チームのマネジャーにもなった。25歳で結婚した。練習や遠征が続く。独りで家に残された彼女は寂しがった。けんかばかりになった。理解してたんじゃないのか。2年後、彼女は泣きながら去っていった。それでもどこかで見ているはずだ。 振り返ればずっと中途半端だったと思う。アメリカに行きたかったが、学歴も資金も、勤め先の市役所を辞める勇気もなかった。「できない理由ばかり並べて逃げるなよ」。親友の一言が背中を押した。 渡米後、食事が合わず、半年で6キロやせた。毎晩、独りで野菜炒めを作って食べた。コーチの言葉を忘れない。「絶対正しいと言い切れるプレーの選択はない。ベターな答えを探すんだ」。シュートが入らなくても声がかかった。  「ナイストライ」

  ■   ■

 「スピード重視でお願いします」。神保さんは東京の若い選手に新しい車椅子作りを頼まれた。「じゃあ今のより3センチ低くしよう」

 体とプレースタイルに合わせて、寸法を1センチ単位で変える。腕の見せどころだ。「何色にする?」。神保さんが聞く。チームメートも寄ってきた。「ピンクにしろよ」。「でも、赤が目立つか」  4年に1度のパラリンピック。今度が最後のチャンスかもしれない。 昨秋、見知らぬアドレスからメールが届いた。「あなたが活躍していてよかった」  あのひとからの、6年ぶりの便りだった。 【木戸哲】

mainichi_b.jpg

(クリックすると拡大します)


 この記事が掲載された後、数人の友人知人に「あの記事を読んで、本人はどう感じてる?」って質問された。Jが「なんで?」って質問し返すと、「あら筋だけ書いている感じがした・・・」とか、「気持ちが入っていない記事って気がする」とか言われました。もちろん逆に「あんな短い文で、良くあれだけの事を表現してるよね!」とか褒めてくれる人もいた。 で、J自身の気持ちを素直に書けば、“非常に満足している!”かな。 ただ、最初の見出しである「俺はもう逃げない」という言葉には多少異議アリ。 たぶん渡米する前(4,5年前)の記事ならば異議は無いと思うんだけど、今のJにはマッチしない言葉だよね!? なぜなら、今の自分は何からも逃げてないからさ!(笑)

 ところで、この話しがあったのは全日本の合宿を間近に控えた12月の中旬。Jが勤務するOXの本社を経由して取材の依頼が来ました。記者の名は木戸さんと言って、電話での声が人一倍大きな方でした。なーんて、Jも人のこと言えないくらいデカイ声で喋るんですけどねー(笑) で、木戸さんは東京から大阪まで合宿を見学にきたいと言いました。 しかも、フェリーで大阪に向うという予定を告げると、早朝に南港(大阪のフェリー埠頭)まで、Jを迎えに来てくれると言うのです。でもね、フェリー埠頭なんて何にも無い所だから、公共の乗り物で来るには結構大変な場所なんですよ。 待ち合わせをするだけなら大阪市内とか、合宿先の体育館でもいいのに、「ちょっと変わった人かなー?」なんて思いましたよ(笑)

 初めて会った木戸さんの印象は、絵に描いたようなサラリーマンでした(笑) それにしても木戸さんとは、初めて会ってからずっと喋りっぱなしでした。車の中でもそうだし、マックにも行って朝食しながら話し尽くめでしょ。 また、木戸さんはJ本やHPもチェックしてくれたらしく、初めて会った方にも関わらずJの色んな事を知ってるんですよ! ほんとオドロキ! なんて驚くことでは無いかも知れないけど、何だか変な感じでした。 それから、ストーカーのごとく?携帯電話に幾度もの連絡が入りました(笑) 本当にシツコイくらい色んな事を聞かれたし、とにかく「ずいぶんと熱心な記者さんだなー」って。 それから「仕事姿を見てみたい」というリクエストに応じる形で、年末に東京で採寸した仕事現場にも来て頂きました。 本当にJの色んな事を知ろうとしてくれていたし、色んな部分を見ようとしてくれたのが木戸さんです。

 だからこそ、今回の記事は“満足“なのです。 新聞の限られたスペースと文字数の中で、木戸さんは「少しでもJのことを伝えたい」という思いで書いてくれたのが上の記事。 たぶん、あの記事だけでは理解できないことや、知り得ないことってあると思う。 でもJは実際に木戸さんと会って、たくさんの話をしたからこそ分かる。 何より木戸さんのような熱心な記者さんに「神保の記事を書きたい」って、思ってもらえたことが光栄だし、実際に書いてもらえたことが嬉しい。

 余談ですが、この前色々とお世話になった木戸さんにお礼のメールを送ったんだけど、その返事が返ってきました。

「頑張ってください!」 という大きく簡潔な一言でした(笑)
木戸さんありがとうございました!



注意
※このサイトに掲載した毎日新聞の記事をはじめ、体験記の内容について転載・転用、複写等を堅く禁止します。



posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年12月10日

久しぶりの国際マッチ〜俺は高さでも勝負できる!

 えーと、最近「独り言」に関しては順調に更新が出来ているんですが、体験記を更新するのは8月以来となりました。その間に体験記で書きたいと思った出来事が幾つかあったのですが、結局書けずに過ぎてしまいました。でも、チャンピオンズカップの話題は外せないよ!? だって、バスケマンJのJによるJs−pageで、この話題を取り上げなきゃ「何について書くんだよ!」って、ことになってしまうから。  大会終了後、少し時間は過ぎてしまったけど、じっくり考えるための時間になりましたよ。また、バスケ仲間のOさんが試合のビデオをコピーして分けてくれたんで、じっくり観て自分のプレーを振り返ることも出来ました。この場を借りてOさんにお礼させていただきます。

さて、いきなり核心に触れるのですが、2年ぶりに全日本へ復帰して、交流大会ではあるものの国際マッチを戦った、J自身についての評価や展望ですが、一言で言えば「俺は高さで勝負もできるし、まだまだ世界で戦える!」ということ。 正直言って全日本の復帰に際して、やる気や気力はあるものの不安材料があった。 だって、昨年ゴールドカップの前後は自分が世界でやる自信を失っていたし、日本が世界と対等に渡り合えるようになるのも、きっと今のジュニア選手達が、より良い環境を手に入れて成長した頃になるだろうと思っていた訳だからね・・・。

韓国戦、ベンチからのスタートだったのですが、気持ち的には非常に充実していたし集中出来たと思います。声も出ていたと思うし、チームメイトの活躍を素直に喜べた。 そして、何よりもそんな中で「俺もプレーに参加したい!」って、強く思っていた自分自身に安心した。そう、その頃の「独り言」でも書いたけど、実は練習不足での調整不足は否定できない状態だった。でも、そんなこと言っても始まらないから、とにかく「今出来ることを精一杯頑張ろう!」と思って大会へ望みました。しかし、仮に交流大会でも全日本のユニホームをきてプレーするにあたり、“練習不足・調整不足”は大きく反省すべきポイントです。だから、これが一つ目の課題。 それから、シュートにしてもパスにしても思い切りが欠けていた。それは試合のいたるところで自分自身が感じていたんで、“積極性“が二つ目の課題。
イタリア戦、この試合も気持だけ?は充実してたね(笑) それに自分の中では「積極性を持ってプレー!」と、思って挑んだけどそれも出せたと思う。  序盤追い上げている場面で積極的にシュートを2本ネジ込めたのは大きい。それに、シュートこそ落したけど、ゴール下で周囲を3人の敵(うち2人がビッグマン)に囲まれながらも、ポジション取りが良かったせいでカットせれずにシュートが打てた。しかも、かなり冷静にそれらの状況を見ながら、「やっぱり俺も高さで勝負できるじゃん!」って思いながらシュートを放ったんだけど、あれはかなり自信につながったプレーだった。それにシュートを落した理由もはっきりしていて、やっぱり片手でのシュートはぶれるし苦手。でもねーーー、言い訳に聞こえてしまうかも知れないけど、ここがクラス3センターのツラさなんですよ。 下(車輪等)で敵の選手に押し込まれたりすると、状態を保つことができないのですよ。

32-5.jpg
 だから片手で車椅子に捕まりながら打ったんだけど、結果は外れた。 もちろん、それでもネジ込む気合と練習が必要なんだけど、あの時は全て一連のプレーが自分で理解できていたので、かなり納得できました。 ただ・・・・・・・・、この試合は出場時間が長かったことが原因か? DFで流しているシーンを幾度と無くビデオで確認したんで、精一杯プレーしていなかった自分にムカつく。外から見ると良く分かってしまうんですよね(苦笑) この“怠慢DF”が、三つ目の課題。


オーストラリア戦 4・3・3・3・1(大島、是友、三宅、神保、京谷or杉浦)でのパターンで、機能しなかった部分の時間帯が一番印象に残っています。このパターンは、クラス1のパートを除くとアトランタパラの頃からやっているシステムで、ある意味一番機動力があって穴が少ないシステムではないかと思うわけです。高さもそこそこで、全員が動けるしシュートも狙える。しかし、時にはそれが仇になるというか・・・・。 このシステムだと誰がキーマンになるのかが不明確になり、役割分担でのバランスが悪くなるケースがある。 うまく噛み合えば爆発力もあるし、凄く魅力的なシステムだと思うのですが、なかなか難しいよね。 みんなの年齢も近いから、もっともっとコミュニケーションを取っていけば、きっと機能するようになると思うので、これは次の合宿にでも確認したいと思っている。 この試合の最終的なスコアでは3点差での敗退だったけど、今は勝敗とか得点差で何かを判断することよりも、チームの方向性やシステムの確認を出来たことが一番の成果だと思う。 


32-1.jpg

総評 冒頭にも書いたけど、この大会で自分の気力と課題が明確にできたことが一番の収穫です。アメリカでプレーした経験から、自分より大きな選手とやり合っても変なプレッシャーを感じなくなっていることも分かった。それ以上に余裕を持ってプレー出来ている自分に驚いた場面もあった。 ただし、本当にOFもDFも課題は多かった。細かく書けばキリが無いくらいの反省点があるよ。 その中でも、何より身体を作り直さないと世界では戦えないと実感したんで、やっぱり基本に戻ってトレーニングを積んでいこうと強く思いました。 また、日本チームの実力が上がっていることも実感できたことが嬉しい。 それは今回メンバーに入っていた選手はもちろん、周囲で見守ってくれていた多くの選手や観客の方々にも感じて貰えたのではないかな?

去年の夏にJは仕事で北九州を訪れて、連日ゴールドカップを観戦しました。 あの時は複雑な気持ちで全日本チームの試合を観戦してたこと想い出します。 そして、今回チャンピオンズカップに出場することが決まった時から、本当に色んな思いを巡らせてました!(苦笑)  でも、だからこそ、今のJがあるのだと思っているし、皆さんにもそう思ってもらえると嬉しいかな。 充電期間をおいて復活したJは、自分の気持ちに偽りがなく、より自分らしく充実した気持ちの中でJAPANのユニホームに袖を通すことができました。 まあ、多くの課題は残したものの、まずはそのことが嬉しい。



32-2.jpg
ゴールドカップ2002,全日本を観戦するYASUとJ


32-3.jpg
全日本として復活、チャンピオンズカップに出場



最後に、北九州ってスゴイし、有り難いよねー。こんなに素晴らしい大会を開催してくれるでしょ。 しかも、信じられないくらいの観客が入るから、自分自身も参加できることに誇りを感じるし、世界中の車椅子バスケ選手に対しても自慢できる大会だと思う。 多分昨年のゴールドカップを成功させたことが大きいのだろうけど、北九州市って本当に車椅子バスケに理解と興味がある市だなーって感じる。 また、奇遇なんだけどJは今年の9月から北九州に、ほど近い飯塚市へ転勤で引っ越してきたので、一応地元開催ということになりました。そして、応援してくれる人も多かった!! 確かチャンピオンズカップは、少なくてもあと2年は続くと言うことだし、Jの転勤生活も2年くらいは続くと思うので、毎年この大会に日本代表で出場することを目標に掲げて頑張っていきたいです。そのうち“にわか九州男児”も本物になるかも知れないよ(笑)



32-4.jpg
とりあえず復活。そして、アテネに向けて発進!
posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年08月18日

イベント講義&講師2連チャン 〜バスケはOK!でも講話は何度やっても・・・

第一話 ミスタードーナツ・フレンドシップフェスティバルin神戸

Jは数年前、ダスキンの企業集団が支援する財団“広げよう愛の輪運動基金“から、奨学金を受けてアメリカに研修留学したことは多くの方に知ってもらっていると思うのですが、皆さんはミスタードーナツ=ダスキンということを知っているでしょうか?ミスドの事業を展開しているのがダスキンなのです。Jは海外研修終了後も、ダスキンや財団との友好な関係があり、何度かダスキンのイベントに参加させていただきました。イベント会場も北海道、東京、三重、大阪、福岡など全国区です。旅好きのJにとっては、全国を回れるだけでも嬉しいことなのですが、イベントを通して多くの方々と出会えることも喜びです。とにかく、一件無関係と思えるダスキンとミスドが同一企業集団と言うことで、今回はミスドのイベントで講話をさせて頂く機会を得たのです。

 のじぎく大会が終った直後から関西地区の巡業に入りましたが、その合間を縫って大阪にあるダスキン本社へ伺いました。Jはダスキン本社に訪れるのが好きなのですが、一番の理由は最上階にある“クラブイレブン“の存在。ここは喫茶店のような雰囲気になっていて、打ち合わせや休憩などに使われるのですが、ミスドのドーナツが食べ放題!コーヒーやジュースをはじめ、カップメンなども全て無料。更には公衆電話も無料でかけ放題と言うサービスなのです。(セコイかな?) しかも、アメリカ留学前に開催していただいた壮行会が、この場所で開催されたこともあり、Jにとっては思い出の場所でもあります。 ところで、ダスキンはなぜ?これら無料サービスをしているかというと、会社の方針により「地方から来られたお客様などがリラックスして過ごせたり、家や家族に対して無事に到着したことを連絡していただくために無料電話を配置した」そうなのです。このような気配りはダスキンという会社の特徴です。

 少し話が反れますが、ダスキンの初代社長は、あのような大企業を作り上げながらも、生涯借家の小さな家で過ごしたという話があります。多分、その方は単にお金が欲しいとか、偉くなりたいという欲望で起業した訳ではなく、事業を通して少しでも世の中の役に立ちたいという気持ちから起業されたのでしょう。だからこそ、世の中をきれいにする仕事=ダストコントロール(ホコリ掃除)業を選択したのでは無いでしょうか。ちなみにダスキンとは、ダストコントロールの“ダス“と、ぞうきんの”キン“を合わせて名づけられたそうです。また、この会社は感謝する気持ちを表現した社訓などもあり、毎日の朝礼と終礼時には全員でお経を読み上げるなど、かなり変わった社風を持つ会社です。この企業集団と長いこと関わって、Jが感じたのは「感謝」という二文字がとても似合う会社です。



31-1.gif
イベント会場に掲げられたダスキンの社訓



 さて本題ですが、まず「フレンドシップフェスティバル」とは、どのようなイベントかと言うと、ミスドで働く方々の年に一度の慰労会みたいな感じかな。今回は近畿地区のお店から約800名のスタッフが参加していました。でも、ここに参加できる人は、多くのスタッフの中でも一部の特別な人たちなのです。例えば、普段の勤務態度が良好なことは言うまでもありませんが、ドーナツを作るスタッフは「ドーナツ作りテスト」を受けて高い評価を得なければならないし、接客スタッフも日頃からサービス向上に関してのアイディアを提案したり、常に向上心を持って勤務にあたる優秀な人たちなのです。しかも、このイベントではただ楽しむだけではなく、初日に筆記試験なども行われて最優秀スタッフが決定&表彰されることになるのです。

 今回会場となったのは神戸市内のポートピアホテルでした。2日間に分かれて開催されたのですが、初日は筆記試験やスポーツ大会があったそうです。Jの講話は2日目だったので、初日のイベントには参加していないのですが、その日の夜にはホテルの大ホールでパーティーが開催されたので参加しました。パーティーは「夏祭り」をイメージしたものだったので、中央に盆踊りのやぐらがあり、壁に沿った周りには屋台風の食べ物ブースやゲームコーナーが並んでいました。しかも、参加者の多くは浴衣姿であり、本当のお祭りっぽい雰囲気が漂っていました。Jは車椅子になってからというもの、あまりお祭りには行ったことが無かったので、その雰囲気だけでもかなり楽しめました。しかも、食べ物はさすが高級ホテルという感じで、何を食べても美味しかったです。

 この「夏祭り」の最後のイベントが、例の表彰式でした。 で、これが感動だったのです!! 10位から一人ずつ名前を呼ばれてステージへ上がって行くのですが、名前を呼ばれた人たちは本当に素晴らしい笑顔で喜びを表現していたし、中には思い余って泣き出す人もいたのですが、見ていてとても感動的でした。最初は一番遠くで見ていたJも、その場の熱気と感動的な雰囲気に思わずステージの目の前まで近寄って見入ってしまいました。確か「独り言」でも書いたんだけど、この種の表彰が良いとか悪いとかなんて判らないけど、でも頑張った人を誉めたり称える事って大切だと思いました。別に誉められるために頑張っている訳じゃなくても、こういうご褒美があると誰だって嬉でしょ? Jなんて単純なので、誉められたりするとすぐにその気になって頑張ってしまいますよ(笑)



31-2.jpg
表彰式の模様です(表彰された方の表情が印象的でした)



 ところで、2日目の講話なんですが・・・・・、ステージに立つ直前まで全然緊張も無く、心の中で「今日は行けるぜ!」って思ってたんですが、スポットライトの当たったステージに上がると急に緊張が走り、それでも最初は普通に話が出来ていたのですが、途中で話していることが自分でも良く分からなくなり、超パニクッってしまいました。途中長ーい沈黙を2度ほど入れて、支離滅裂な話が続きました。でもね、最後に復活しましたよ! ちょっとバスケ車に乗って、ボールを持ちながらバスケの話をし出したらね(笑) たまたまステージ横に置いておいたバスケ車のお陰で救われました。 Jはこれまで何度も人前でお話をさせて頂いたのですが、ステージに上がって話だけするスタイルって苦手です。何度やっても慣れないなー(苦笑) でも嫌いじゃないですよ!すごく刺激的だし、新たな発見もあるしね。



31-3.jpg
講演中のJ(慣れないスーツを着て奮闘中のJですが、かなり緊張してました)



 今回もたくさんの方々と出会うことができたし、貴重な経験ができました。ミスドやダスキン企業集団の方々をはじめ、お世話頂いたたくさんの方々に感謝です。また、イベントに参加された数人の方々から感想メールを頂きました。Jのつたない講話でしたが、何かを感じていただけたようで嬉しく思いました。ありがとうございます。 それから、みなさんが今度ミスドに行ったら、是非店員さんの対応を見て欲しいです。みんな元気で明るく親切な対応をしてくれるはず! Jはいつもチェックしてるんだけど、どこのお店に行っても素晴らしい対応です。

合掌


第二話 「夏休みふれ愛教」室in新潟

 この前、友人のS平と一緒に新潟へ行ってきました。これは新潟県の肢体不自由児協会というところが主催して、夏休み中の小学生を対象にして、車椅子バスケの体験などをしてもらうイベントだったのですが、このイベントの話を頂いたきっかけが、昨年出演したNHKのテレビ「ようこそ先輩」でした。もっと詳しく書くと、この協会とJを引き合わせてくれたKさんは、Jがアメリカ生活で知り合った女性でした。彼女がJやJの出演するテレビの情報を友人であり協会に勤務するYさんに紹介してくれたことで、このイベントが企画されることになったのです。

 通常は先方の企画したイベントにお邪魔して、お話をしたりバスケを披露するのですが、今回はイベントの企画から全て任せていただきました。決まっているのは3時間と言う時間だけで、あとの内容や進行は全てJに任せていただけるということでハリキリましたよ。しかし、その分不安も大きかったので、今回はイベントやバスケ講師をやり慣れているS平に協力を依頼したのでした。Jがイメージしたのは、まさにNHKの「ようこそ先輩」でやった内容です。


企画内容
 第一部
  1、 車椅子バスケ試合披露
  2、 Jの講話及び夢や目標についての対話
 第二部
  1、 車椅子に乗ってみよう
  2、 車椅子リレー(基本編〜応用編)
  3、 ボールを使った練習
  4、 ゲームにトライ
  5、 質疑応答、総評


 「百聞は一見に・・」ということわざがあるように、まず車椅子バスケを知ってもらうために試合を観てもらうことにしました。そこで、新潟県内にある2チーム(新潟81と長岡ジェッツ)の方々に応援を依頼して来て頂きました。ちょうど4人ずつだったので、S平とJがそれぞれ分かれて加わり、5対5をしたのですが、何だか子供達は少し退屈そう・・・。ゲームの方はS平もJもスリーポイントが決まったり、新潟の選手もいいプレーを見せてくれたお陰で、接戦の高ゲームが展開されたのに・・・。ちょっと心配したJでした。しかし、後で判ったのですが、子供達は実際に体験がしたくてウズウズしていたらしいのです!(笑)

 その後、子供達はJの話も熱心に聞いてくれたのですが、意見や質問を投げかけてみても消極的。そこで、Jは時計を見ながら「話は少し早めで切り上げて体験に進もう」と思いましたよ(苦) しかし、二部に入ってからというもの雰囲気は一変しました。まず、最初に4チームに分けて、彼らにチームワークを求めました。何かを始める前は円陣を組んでの声だしを奨励したのですが、結構大きな声がでてきた。そして、色んな人とのコミュニケーションを目的として、チームには新潟の選手やボランティア数名を含めた混成チームとしました。特に学生のボランティアさん達は「私たちもやりたい!」と言う人が多かったので、盛り上げ役も兼ねて入ってもらいました。また、多くの子供達はミニバスをしているらしく、車椅子の操作もなかなかのもでした。特に車椅子レースに入った頃からは、盛り上がりをみせ、S平からも「つかみはOKじゃん?」と笑顔で声を掛けてもらい、ホッと一安心のJでした。



31-4.jpg
車椅子操作練習集風景
(みんな怖がることなく積極的にトライしていました)



31-5.jpg
チーム対抗レースの風景
(とにかく盛り上がりました!)



 その後、ボールを使ったランニングシュートにトライしました。最初はエアボールの連発でしたが、感覚をつかんでくると殆どの子供がリングまで届くようになったのも驚きです。そして、何よりみんな精一杯楽しんでくれている感じが伝わってきたのが良かったです。Jはいつものように大声を出して場を盛り上げたのですが、子供達も良く声を出してくれたし、学生さん達も手伝いに盛り上げ役に頑張ってくれました。そえと、自分自身が楽しめたことも大きかったな。



31-6.jpg
ランニングシュートの風景
(みんなとても優秀でした)


31-7.jpg
試合の風景
(勝ち負けは別として結構得点が入る展開となりました)



 気が付いてみると、終了時間を大幅に過ぎてしまう計算。本当はまだまだやりたい事がたくさんあったのですが、体育館の使用時間も限りがあるため、後半は大急ぎで内容を消化する形となってしまいました。しかも、最後の総評と質疑応答では次々に意見が出されたのです。Jは彼らの意見を聞きながら、最初の静かだった彼らとは全然違う様子に感動すら覚えました!本当は、もっともっと意見交換をしたり、質問等に対して丁寧にお答えをしたかったのですが、時間がなくてあまり出来ませんでした。それが唯一心残りなのですが、それでも全体を通せば大成功と言って良いのではないでしょうか。終了後、Yさんに「テレビより良かったんじゃないですか!?」って言われたことが嬉しかったし自信になりました。まあ、Jはテレビ出演した後も、似たようなイベントを何度か経験したので学習しましたよ!(笑) しかも、知恵袋S平のヘルプもあって、かなりスムーズに充実したイベントを開催することができました。


31-8.jpg 


 最後に、このような機会を下さったYさんをはじめ協会に皆さん、お手伝いを頂いた新潟の選手の皆さん、ボランティアの学生さん、そしてS平、本当にありがとうございました。また、参加してくれた子供たちにも「ありがとう!」を言いたい。それから、後日参加者のお母さんから一通のメールを頂きました。“掲載不可”ということなので、詳しいメールの内容は避けますが本当に感激しました。このような貴重な経験が数多くできる自分を幸せに思います。ぜひ今後とも機会があれば続けていきたいと思います。
posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年07月06日

北海道深川キャンプ 〜「もっと俺が勉強しなきゃ!」と思った日

 本州のうざい梅雨から抜け出して、行って来ました北海道! なーんて、実は北海道でも雨の日が多くて肌寒い毎日でしたよ。聞くところによると、Jが訪れる前日までは暑い日が続いていたらしいのです。やっぱ雨男は健在かなーって(笑) でもねー、今回の北海道巡業も色んな事があったし、本当に充実した旅となりましよ。だから「書きます!」、久々の体験記“J in 北海道”編。

 今年は東北巡業の時間が取れなかったので、茨城の大洗港からフェリーに乗って北海道を目指しました。今回乗船したバルナという船は、エレベーターや車椅子用トイレもついており、超快適に過ごすことができました。Jの場合、いつもフェリーは2等客室(一番安い雑魚寝部屋)を利用するのですが、今回はシーズン前ということで客室はガラガラ。乗船後は、すぐにパソコンを開いて週末のキャンプに関わるカリキュラムを見直し。その後は会社に戻ってから提出する資料作りやメールの返事書きなんかをしながら過ごしました。翌朝は早起きをして大浴場で海を眺めながら入浴し、昼の到着までは読書三昧。我ながら乗船中の18時間は無駄なく有意義に過ごせて大満足ですよ。でも、船によっては階段しかない場合もあるらしく、車椅子の人が乗船する時は要チェックです。

 苫小牧港からは高速道路にのって一路旭川へ向かいました。高速のインターには同志(ダスキンの奨学金制度でカナダにスポーツ留学した)ミツ君が迎えにきてくれました。その後、2台連ねて市内まで向かったのですが、Jは途中の雄大な景色に目を奪われてしまい、よそ見運転の連発で危なかったー。それにしても北海道は素晴らしい自然がいっぱいあって、多くの場所でコロラドの雄大な景色と重ね合わせながら感動に浸りましたよ。 そして、久々にお邪魔した旭川の練習では、昨年の巡業時に購入していただいたバスケ車を2台見ることができました。乗ってくれているのはキャプテンのタカ(柏川君)と、高校生選手の亨。 実は、当時発売前の新型車椅子だったBWAを、J自身も初めて採寸したのがこの2人の車椅子なのです。だから、とても思い出に残っていたし、2人が実際に使用してくれているのを見て、何だかとても嬉しかったです。 ちなみに練習の後は、みんなで焼肉屋に行って夕飯ですが、お酒は飲んでないかな。

 翌日は札幌ノースウィンドの練習会場にお邪魔しました。このチームにも昨年の巡業でバスケ車を購入してくれている田島さんがいるのですが、この人も素晴らしい!現在51歳という年齢なのですが、バリバリの現役で頑張っておられるのです。しかも、コーチをしている松田君に聞いた話なのですが、「田島さんは、いつも人より早く来てウエイトトレーニングやシューティングをしている」だって。 情熱があれば年なんて関係ないんだなーって、改めて実感しましたよ。そして、Jはそんな熱い人にバスケ車を販売することが出来たと思うと、本当に嬉しいし光栄です。夜は田島さんをはじめ、チームの面々と居酒屋に行って熱く語り合いながら北の味を堪能しました。最後は熟したあまーーいメロンの味が忘れられない。ごちそう様。ちなみにお酒は・・・・・・・ちょっとだけ(苦笑)

 さーて、翌日からはメインイベントのキャンプです。会場は深川インターを降りてすぐの「北海道青年の家」でした。ここは道立の総合研修施設で、宿泊施設や食堂も完備されており、殆どタダ同然で借りることができるそうです。多少利用に関する規則が厳しくて細かいのですが、それでも大変利用価値の高い施設です。

 キャンプは道内5チーム(健常者プレーヤー含む)の、比較的若手の有志が集まって開催されました。全部で20人強の参加者があったのですが、一番遠い人で片道5時間近く掛けて来てくれたことを知って驚きました。このキャンプはミツ君や札幌の松田君など、スタッフも若い人が中心となって北海道のレベルアップを目指して企画されたそうですが、そういう動きは全国アチコチで沸いてきているように思うし、車椅子バスケを愛する人たちがこんなにもたくさんいることを知れたことも大きな収穫です。きっとこの仕事に就いて全国を回ることが無ければ、一生知ることが出来なかった事かも知れません。バスケが縁で、こんなにもたくさんの人達と出会えたり、語り合える機会を得ることが出来ることに感謝。でもねー、本当はもっと話したいこともあるし、話したい人もいるんですよ。でも、時間が無かったり、話せるようになるまで少し時間が掛かってしまう人もいて、まだまだ満足はしてないかな。

 この会場に、特別参加の選手が遥々函館から来てくれました。彼の名前は恵太といって、昨年参加させていただいたバラエティークラブのジュニアキャンプで知り合った中学生なのですが、わざわざJと会いに来てくれたのです。彼は昨年秋の巡業時にも旭川まで来てくれたのですが、今回もご両親と一緒に車で6時間近く掛けて来てくれました。良くJ’sページの「独り言」にも感想を入れてくれているので、知ってくれている人も多いかな。彼のパワーにはいつも感心するのですが、今では彼に会えるのが北海道に来る時の楽しみになりました。夜、彼と一緒に記念写真(デジカメ)を撮ったのですが、メモリーカードが外れていたようで、写っていなかったのが残念でしたよ。Jのデジカメはモニターが壊れているので、その時に写りを確認できないのが・・・。今度こそデジカメを直そ。

 初日のキャンプを始める前に、Jはキャンパーに対して4つの課題(目標)をお願いしました。@基本的なプレーを充分理解する A正確なプレーを意識すること B大きな声を出すこと C思いきりバスケを楽しむこと!です。 また、1日半という短い時間のキャンプなので、@1人で出来るスキルアップの方法紹介 A1対1から2対2までのOFとDFのスキル紹介 Bプレー中の切り替えの重要性について、ポイントを置いたメニューを組みました。 そんな中でキャンプを進めていったのですが、みんな課題を意識しつつ、一生懸命バスケを楽しんでくれたと思います。しかし、一つだけ気になった点がありました。それは“声“です。なぜか声だけが出ていないのです。Jが一人で声を上げて盛り上げているのですが、なかなかついてきてくれない・・・・。思い悩んだJは、初日の晩にミツ君や松田君に相談しました。すると、彼らは「みんないつもよりは声が出ているんですよ!」と。詳しく聞けば、北海道の土地柄のようなもので、あまり闘争心をむき出しにしたプレーや大声を出すことに慣れていないというのです。なるほど。確かに彼らはキツイ練習に文句を言うどころか、楽しそうに一生懸命プレーしているのです。それに、心なしか時間が経つにつれて、声が出るようになってきているようでした。でも、最後にあえて提案しましたよ。確かに土地柄っていうのもあるかも知れないけど、どこでプレーしていようがバスケに変わりは無いし、バスケのようなチームプレーには声のコミュニケーションが必要不可欠なのです。だからこそ「もっともっと声を出そう!」ってね。キャンプ全体を通してみれば、みんな着実に成長していることが分かったし、まだまだ大きくもなれる選手達だと思うので、ぜひ乗り越えて欲しい壁かなーって、思っています。

 それと、このキャンプ中に美唄の病院に勤務する、泌尿器科医の森田先生による講義の時間もありました。講義の内容は排尿や膀胱障害の話、排便機能障害の話、じょく槽(床ずれ)の話、スポーツ障害の話、熱中病の話など、広い分野に渡っての講義がありました。これは、Jが関わるサマーキャンプでも課題となっているのですが、脊損のスポーツ選手にとって非常に重要な部分でありながら、意外と選手の意識が低い部分なのです。例えば床ずれが出来ているのにプレーを続ければ、その後何ヶ月も入院する羽目になったり、最悪の場合は死に至る事もあるのです。また、夏場の熱中病に関しても、今まで何となくの知識しかなかったのですが、先生の講義で予防方法や対処方法を知ることができました。今後は、このような講義もキャンプの中には不可欠な要素となるのではないかと思います。

 キャンプが終った後は・・・、お仕事として注文頂いたバスケ用車椅子の採寸もしましたよ。一応今回はお仕事の旅ということを忘れてはならないのでね(笑) そして、最後の夜は旭川の面々と共に居酒屋へ向かって飲み会となりました。もちろん、楽しい一時を過ごすことができたのだけど、何より嬉しかったのは飲み会の席にも関わらず、みんなバスケに関する質問をぶつけてくれた事です。2次会で場所を移した後も、結局バスケの話で盛り上がることになり、Jと同じ“バスケばか“どもと語り合いました。そうそう、飲み会ではJ‘sPageのメールで知り合った、サッちゃんにもお目にかかることができました。彼女とはいつもメールで互いの出来事や考えを交換しているのですが、今回初めて会って話すことができました。これも面白い経験と言うか出来事でした。 

 それから、どうしても一つ紹介したいことが、健常者のプレーヤーの存在です。彼らは障害の有無を関係なくして、車椅子バスケの魅力にはまり、一生懸命バスケを楽しんでいることです。彼らに同情心やボランティア精神なんて感じませんでしたよ。車椅子に乗れば健常者も車椅子も関係ないし、彼らはごくごく普通に、車椅子バスケやバスケに関わる仲間たちと楽しんでいるだけです。 そろそろ日本も、昔ながらの「障害者に愛の手を!」とか、「障害を乗り越えた感動物語!」みたいなところから脱皮して、それが”普通“になるといい。もしかしたら車椅子バスケが、そんな新しい思想や文化を築くツールになるのかも知れない。北海道の健常者プレーも、非常に熱い奴が多かったです。

 最終日、フェリーの時間まで余裕があったので苫小牧に向かう前に、「北の国から」で知られる富良野を訪れることにしました。当日は前の晩泊めていただいたタカ(柏川君)夫妻の案内で、2台の車を連ねて富良野に向かいました。もちろん目的は北の国からで使われた五郎さんの家やロケ地を訪ねることです。 タカ夫妻は道中「Jのために」と、美瑛という町の美しい花景色が見える場所や、富田ファームというラベンダー畑にも寄ってくれたのです。時間が無くてさっと駆け足で回ったのですが、どれもこれも“北海道らしい“景色や場所で感動の連発でした。しかも、タカは「体験記」を愛読してくれているらしく、Jのポスカ収集を知っていてくれていたので、お土産にポスカを買ってくれたのです。日本に帰ってきてからはポスか集めもしていなかったのですが、「これを機に日本のポスかも集めよう!」って思いましたよ。タカありがとう! また、しっかり五郎さんの家の前で記念写真を撮ることもできたし、バンバンザイと言いたいところなのですが・・・。


 最後にやってしまいました、大失態2連発! まず、レベンダー畑の駐車場で、隣に止まっていた耕運機の下側に長い突起物があるのに気付かずハンドルを切ったら・・・・。中古とは言え、買ったばかりの車に大きな傷がーーーー(涙) なんて、ちょっと悲しかったけど、その位の事でメゲルJではありませよ。アメリカでもたくさんのアクシデントを経験して打たれ強くなったから。でも、修理の見積もりは5万円也。 次に、富良野で長居し過ぎてしまい、フェリーの時間を逆算すると結構ギリギリになってしまったのです。車椅子で利用の場合は1時間半前に行かないと、船内のエレベーター付近に駐車できなくなるのです。それなのに・・・・・・、料金所でシートベルト検問があり捕まってしまいました。しかも、その時フェリー会社に電話中だったので、携帯電話でも注意されました。 「これで終ったかなー」って思ったんだけど、とりあえず言い訳でフェリーに乗るため急いでいる事を話すと、「シートベルトを締めて、急ぎなさい!」と、許してくれたのです。お巡りさんありがとう!!! あなたのお陰でフェリーに乗り遅れることもなく、何とか間に合いました。

 フェリーには一番後の乗船となったのですが、電話をしておいたお陰で一番上階のエレベーター前を確保して待っていてくれたのです。しかも、帰りのフェリーはエレベーターが2等船室まで行っていないらしく、なんと1等個室を無料で提供してくれたのです。また、レストランにも行けないため、食事は部屋まで運んでくれたし、船内クルーの方々は大変親切だったので、快適過ぎる船の旅ができました。でもね、部屋でテレビを観ていたら、丁度ニュースでそのフェリー会社が「経営破綻で会社更生法を申請・・・」と聞いて、素直に喜べませんでしたよ。フェリーの旅は最高だし、貨物の輸送にも絶対必要らしいので、何とか経営が回復されることを祈っています。

 最後に、なぜ副題に「もっと勉強・・・・」って書いたかというと、キャンプの2日目(日)にピック&ロールやDFのスキルを指導したのですが、普段自分でプレーしている時には出来ていることでも、いざ誰かかに教えるとなった時、上手く説明することが出来ないのですよ。しかも、質問されて答えることも出来ないことがあったし。その時に痛感したのは、教える立場の人っていうのは、とても責任があるし、大変なことだということです。そんなこと当たり前かも知れないけど、現状はJを含めて車椅子バスケの指導が充分にできる人って、決して多くはないと思うから。選手の成長や可能性は指導者の影響が大きい訳だし、間違った知識を提供したり、必要な知識や技術が提供できない指導者だと選手は生き殺し常態だよ。だから、もっともっと学ばないといけないなーって痛感しました。Jは選手ですが、とりあえずトップレベルでプレーしている選手の責任として、少なくても正しい基礎を誰にでも紹介できるようになる必要があると思いました。 それは指導者を目指すということではなく、色んな経験をしてきた先輩バスケマンとしての責任と、自分がそうしなければって強く思うことだから。

 最後の最後に、この旅で出会った方々、お世話になった方々全員に対して、本当にありがとうございました。感謝。そして、次は四国と九州です。超楽しみです。久しぶりに会える人もたくさんいるし、初めて会える人もたくさんいるはずです。ワクワク。それと、このページに写真も追加しようと思うので、また忘れた頃に開いてくれると嬉しいです。




posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年05月15日

Jのホンネ Part2 〜アメリカの素晴らしさ、日本完全復帰へ向けて

 Jの体験記をいつも楽しみにしてくれている皆さん、お待たせしました! 約2ヶ月ぶりに体験記を更新することが出来ました。でもね、本当は3月下旬の全米選手終了直後に、大会報告の体験記を書く気満々だったんです。しかし、打っている途中でPCがフリーズしてしまいデータがパーに・・・・。そのあとは来期以降のことなどを考えていたら、なんだかこのページに向かう気にはなれなくなってしまったのかも。 もちろん、単に忙しかったこともあるんだけど、それ以上にJが書けない時って、なにかで壁を感じたり、出口の見えない迷路に入り込んだりしている時なんですねー。 意外と分かり易い性格?(笑) でもね、帰国してから色んな出来事を通して考えたり、風呂屋で日本選手権に出場したことで、一つの答えがはっきり出ました。 だからこそ書ける「Jのホンネ Part2」です。


第一章 アメリカの素晴らしさ

 全米選手権は、予想通りダラスが3年振りの優勝を飾りました。これに関しては素直に“おめでとう!”と言いたいのですが、結果とは別に、Jはこの大会を通して幾つかの揺るがない真実を見たのです。それは、アメリカの大きさと強さ、素晴らしさです。それに、これから日本がしなければならないこと。バスケットボールの奥の深さ。更には、Jにとっての決意も・・・。

 決勝戦でダラスの相手となったのは、大方の予想を裏切ってミシガンが勝ち上がってきました。チームのエースがカナダのパトリック・アンダーソンといえども、彼一人の力では世界最高峰の大会で決勝まで上がってくることは無理でしょう。しかも、その他のメンバーには有名選手は一人もいないのです。前の体験記でも書いたけど、アメリカのD1ではチーム練習が充分に出来ないため、シーズン中のリーグ戦(公式戦)の中で、チームを作り上げていくのです。その中で、ミシガンの成長は敵としてプレーしていても、脅威を感じていました。ちなみにデンバーとの戦績を見てみると、6勝1敗でデンバーが圧勝しているのですが、その内容は決して“圧勝”とは程遠いものでした。シーズン当初の1,2試合は、30点前後離して勝利しているにも関らず、終盤では常に1点を争う試合を展開していたのです。 これはシーズン中に敗戦を重ねながらも、パットを中心にチーム作りをした結果でしょう。 しかも、パットと共にチームを支えていたのは、若干17歳のマット・スコット選手でした。実は彼と2年前に、ある大会会場で1on1をしたのですが、当時はJがぶっちぎりで勝利したのに、正直言って今は彼に勝てるのか・・・? 彼はスゴイ成長を遂げていました。とにかくミシガンは、たった1シーズンの間に、もの凄い変化をしていったのです。

 逆にダラスにはスター選手が勢ぞろいする完成されたチームでしたが、それでもダラスが優勝できた大きな理由にはポール・ショルティの存在があったからでしょう。一緒に試合を観ていた千葉の安直樹は「やっぱりウエルチの活躍が凄い!」と、うなっていましたが、Jは違う一面に注目をしていました。それは、ポールとパットの1on1です。多分、ポールはパットを抑えるように指示が出ていたのでしょう。また、パットもそれを望むかのように、ポールとのやり合いに応じていました。それにしても、パットがあんなに真剣で苦しそうにしているのは、初めて見たかも知れません。その証拠に、前日のスリーポイントコンテストでは10本中9本を沈めたパットも、決勝戦のハーフタイム中に行われた決戦コンテストでは、たった1本しか入らずにチャンピオンの座を逃したのです。しかも、数本のエアーボールもあったのですが、きっとポールとの戦いで疲れきっていたのでしょう。 

 試合の方は前半こそ接戦を演じましたが、後半は実力の差が出始めて大きく離される展開となりました。しかし、観ている人を釘付けにする素晴らしい試合は、ダレることなく最後まで続きました。 その中で、ダラスのウエルチは手薄になったミシガンのDF陣を相手に、速攻やサーカスプレーを炸裂していったのですが、全てはポールがパットを抑えているからに他なりません。世界のMVPを取ったポールでさえ、チームのためにワンマン選手のウエルチに花を持たせるのです。というより、ポールは優勝や個人賞なんかよりも、パットとの対戦を心から楽しんでいるように見えました。間違いなくポールとパットが世界の1,2を争う選手だと言えます。この大会のMVPはウエルチが獲得したようですが、会場の観客はポールの働きを称えていました。そして、Jの目で見たMVPは紛れもなくポールです。



29-1.jpg
決勝戦終了直後のダラス(活躍したセンターのジェイソン・バン・ビーク選手を囲んでの水かけ)


29-2.jpg
こちらは決勝戦終了後のスコアボード(数字では表すことができない素晴らしさい決勝戦でした)




 えーーと、この章で何が言いたかったというと・・・・。多分、これまでにも何度と無く書いてきたことですが、アメリカ(カナダ)の強さは、しっかりとした裏付けがあるのだということです。 もっと言えば、子供から大人までしっかりとしたピラミッド形の環境ができていること。選手がバスケを楽しむためにプレーしていること。そのような環境でバスケができることなどなど。また、パット、ポール、マット、ウエルチなど、今回紹介した選手は全てジュニアのチームでバスケを経験し、バスケキャンプなどで基礎を学んできているのです。 しかし、現在の全日本選手にジュニアでプレーした経験がある人はいません。それはジュニアというカテゴリ自体がなかったからです。 Jが第三者の立場で冷静に日米を比較しても、まだまだ日本は全ての面において遅れをとっています。しかし、日本も欧米に追いつけ追い越せの勢いで、そのような環境作りをしていかないと、いつまでたっても世界との溝は縮まらない。でもね、一方でそういう問題意識を持って改善しようと頑張っている人も沢山知っているし、少しずつ動いていることも見えているから、意外と日本の未来は明るいんじゃないかなーと思っています。

 それから、非常に明るいニュースもあります。J達が主催する“車椅子バスケットボールキャンプ実行委員会”を通して、富山WBCの野沢君、宮城MAXの藤本君、そして千葉ホークスの香西君3人が、7月にイリノイ大学で開催される「ジュニア・エリート・キャンプ」に招待されて、参加することになりました。また、今年のサマーキャンプでも初参加や若い選手の参加が多くいることも嬉しい。これからは、若い選手がどんどん世界に旅立っていくようになってくれれば尚いいんじゃないかな!?



第二章 日本完全復帰へ向けて

 なんで、長いこと体験記を書けなかったかというと、最大の理由は来期のことを悩んでいたから。帰国後も会う人会う人に「来期はどうするの?」とか、「いつアメリカに戻るの?」って聞かれて困ったものです(苦笑) しかも、一応仕事的、全日本的、色んな顔があるから。でも今回の題を「Jのホンネ」としているからには本音で書くけど、もうアメリカではプレーするつもりはないです。未練もない。 心の中では色々と葛藤もあたけど、完全に振り切れたのは選手権の準決勝が終わったあとかな。 

 実は帰国直後、会社には「もう満足しているので、これからは仕事頑張ります!」と言い、身近な人には「とりあえず、来期は全日本復帰を目指して日本に留まる」と言い、それ以外の人には「まだ分からないなー」って言ってごまかしていたのですが、本当のところは結構悩み続けていましたよ。特に全米選手権が終わってから、日本に帰ってきて色々なことがあった先月までは。そして、その間にあいまいな返事を繰り返してきた事、本当ごめんなさい。

 ちょっと話が反れるけど、Jは正直言って千葉ホークスを辞めて、風呂屋に移ってからチームに対して不満を感じていたんです。確かに風呂屋のメンバーも頑張っているんだけど、千葉の選手にある意識の高さや質の高い練習内容なんかと比べてしまうと月とスッポン。しかも、Jは過去に何度もホークスで全国制覇を味わっているわけで、本当はもっともっと頑張りたかったし、日の目に当りたかった。誰だってやる気があれば、勝ちたいし強いチームでプレーしたいよね? そんなところで迷いに迷っていた時期が長くあったんだけど、今回風呂屋にしても宮城MAXにしても大きく変貌しているでしょ? 素晴らしいハートを持った選手、スタッフ達によって、大きな変化を遂げている最中なんだと思う。しかも、そういう人(チーム)は全国にもたくさんいることを、昨年のサマーキャンプや巡業生活を通して感じていたのです。

 話は反れっぱなしですが、昔、千葉でプレーし始めたばかりの頃、ある千葉のOBに「伝統のある、強い千葉ホークスでプレーできることを誇りに思え!」って言われたことがあります。多分、バスケに関わっていく間は、絶対の忘れられない言葉だと思います。ちょっと古いと思われるかも知れないけど、千葉ホークスは本当に素晴らしい伝統を継承している素晴らしいいチームだと思います。そして、Jは長年千葉でプレーできたからこそ、今の自分があるのだと思っています。 でも近年、逆にJはある人に対して「千葉は伝統にあぐらをかいて、動かないチーム」と、言ったことがあります。ちょっと失礼な言い方だったので反省はしているだけど、でもJは伝統の上でバスケをするのではなく、自分の手で新しい伝統を作りたいと思ったのです。

 でもね、当初森本文化風呂商会に移籍したのは、ほんの寄り道というか、日本に完全帰国するまでの腰掛のつもりでした。だって、お遊びのチームだと思っていたから。それが嬉しい誤算というか、風呂屋には熱いハートの持ち主が集まってきてくれたんだよね。しかも、本当に一生懸命バスケを楽しんでいるところがいい。そして、そんなチームに共感して応援してくれるようになった人達もたくさん増えている。いつも練習会場にはマネージャー?お手伝い?見学の?の人が入れ替わり着てくれるし、試合にも応援に駆けつけてくれる。Jもチームの一員として胸を張って、「うちのチームっていいでしょ?」って言えるのが嬉しいよ。まさか、風呂屋でこんな展開になるなんて、2,3年前の移籍時には思いもしなかったもんな(笑) なんて、風呂やのみんなゴメンネ。



29-3.jpg
この素晴らしい笑顔を見てください!みんなイイ顔しているでしょう? 最高のお気に入りショットです!




 選手権手権の準決勝でも、かなりいい試合ができたことは、その証拠でしょ!? Jは不本意ながら、アクシデントにより途中からベンチに下がることになったけど、ベンチで応援していてもチームの一体感が感じられたし、コーチの松本さんが試合を見守りながら、笑顔で「みんな、本当にいい経験をしてるなー」って、言っていたのが印象的でした。俺もそう思った。今まで風呂屋がしてきた結果は、この大会で充分過ぎるほど出たんじゃないかな。まだ、優勝するにはやらなければならないことが沢山あるけど、着実にステップアップしてるんだから、落ち込むこともイジケルことも全く無し。 最後まで一生懸命プレーしたこのチームが最高に好きです。そして、あの時「このチームで伝統を築きたいなー」と思いました。千葉でプレーしていた時のように、チームのみんなが自信や誇りを持てるチームにしたい!でも、それは一人じゃできないことだし、様々な問題も山済みなのは分かっているから・・・(苦笑)

 最後に、昨年夏にバスケのキャンプを開催したり、全国を回って感じたことは、日本にも貪欲にバスケを頑張っている人がたくさんいるってことです。そして、ちょっとチャンスさえ与えられれば、どんどん大きくなりそうな選手もいっぱいいるのです。そんな日本のやる気に、Jも正面から立ち向かってみたいと思いました。 そして、出来る事ならば風呂屋で歴史を作っていきたい。また、本音の本音を言えば、全てを犠牲にしてアメリカでチャレンジすることに、少し疲れたのだと思う。 だから、Jは日本で頑張ることにしました。確かにアメリカでプレーすることは刺激的で楽しいしいのだけど、今となってアメリカとは、バスケを抜きにしてゆっくりと過ごしたい所かなーって思っています。 これからは、また日本での試行錯誤が始まります。きっと大変です。でも楽しみです。これからのJは「日本を生きる!」




posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年03月24日

全米選手権情報 〜トーナメント表を発表

 いよいよ、今シーズンも全米選手権(ファイナル)を残すのみとなりました。 ということで、今回の体験記は最後の大会となる、全米選手権の事前情報を中心に、少しだけ“日本と違う部分”も書いてみようと思います。

 まず、いつもアメリカで感心するところとして、この国のスポーツにおける環境は、地位、解釈と理解、経済面など、どれをとっても日本とは全く違って進んでいるということです。 いつも事あるごとに書いているけど、特に経済面での違いは月とスッポン。 我がデンバーナゲッツを例えにしても、単なるクラブチームの予算で、1シーズンに5,6万ドルもあるのです。また、スポンサーからユニホーム等の支給もあるし、殆どのD1選手はバスケ車もスポンサー契約により無料で支給を受けています。 もちろん、今回の遠征も全てチームが負担するのですが、聞くところによると、遠征は春休みシーズンと重なっていることや、6日間という長旅のお陰で、一人当たりの予算は約1000ドルとの事。それでも選手が負担する費用が一切無いというところが嬉しい限りです。まあ、基本的にはバスケをする上で必要な経費は一切掛からないといって良いでしょう。 

 ところで、今回の全米選手権はシステムが変わった関係で、大会期間が水曜日から土曜日までの4日間になりました。また、火曜日に現地入りして帰宅が日曜日となるので、上でも書いたように6日間の日程になるのですが、これは国際大会並の予定です。 では、なぜ今年の選手権が水曜日から始まるかというと、 D1のみ、通常の全米上位4チーム出場枠から、9チーム出場へと変わったためです。 しかも、全米選手権の重み?というか、この大会では1日に1チーム1試合だけしか試合がないのです。 アメリカの場合、通常のリーグ戦やトーナメントでは、1日に4試合するような事もあるのですが、全米選手権だけは非常に特別です。 しかし、日本選手権が20チーム出場できるのに比べると、アメリカのシステムでは極端に出場できるチームが少ない(通常は全米でD1及びD2の上位、各4チームのみ)という反面もあります。





ここで、面白い話しを一つ。

全米選手権に出場する4チームを決める地区予選での話しです。通常は東・西・中・南の4地区に別れてプレイオフが始まり、各地区で優勝したチームが、全米選手権に出場できるのですが、実はそんなに単純ではないのです。 というのも、実力主義のアメリカゆえ、プレイオフの前に全米ランキングに基づいての“振り分け”があるのです。 例えば、南地区に全米ランク1,3位のチームがいた場合、3位のチームは南地区でプレイオフを戦うと不利になります。何せ同じ地区に全米1位のチームがいる訳ですから。 そこで、3位のチームは南地区以外のプレイオフに出場することができるのです。このように地区というのは、あくまでも目安に過ぎず、最終的には末端からトップを決めるまで、実力に応じて有利な位置が得られるようになっているのです。これは大学のリーグやNBAでも同じようなシステムが採用されています。そうそう、NCAA(大学リーグ)も先日からプレイオフが始まっているのですが、やはりこの“振り分け”がなされているようです。何せ西地区に属するコロラド大学が、南地区のトーナメント表に入っていましたから。でも、実はJも詳しいシステムは分からないので、細かいことは書けません。

 日本選手権では、多いチームだと1日3試合をこなす必要があります。そして、翌日も2試合という過酷さ・・。また、日本の場合は各ブロック単位で、日本選手権への出場枠が守られているので、完全な実力主義とは言えません。例えば、強豪の関東ブロックを見てみると、本戦への出場枠は3つなので、当然のことながら4番目のチームは本戦に出場できません。しかし、そのチームが、もしアメリカのように、他のブロックで予選に出られるとすれば、間違いなく出場権を得られるのです。  ただし、日本は現状のシステムのお陰で、2日間の大会にも関わらず全国各地から20チームもの参加が可能なのです。 もちろん、どっちのシステムが良いとか悪いとか言うつもりは無いのですが、Jが思うに、この違いには日米のスポーツに対する考え方の違いや、“実力での平等”を重んじるアメリカと、“世間的な平等”を重んじる日本文化の違いなどもあるように思います。  多分、どちらにもメリットとデメリットが発生すると思のですが、詳しくは長くなるのでやめておきます。 ※この話を地方ブロックの方々が読んだら怒るかも知れませんが、Jは批難や中傷をしているのではなく、あくまでも事実を紹介しただけですのでご理解下さい。

 とにかく、我がナゲッツはシーズンを通して勝ち取った、全米ランキング3位の場所から全米選手権はスタートするのです。まず1回戦で6位のホウィワイトウォーターと戦い、それに勝てば次は3位のダラス戦が濃厚です。Jの目標は「与えられたプレータイムに全力を出し切ること」と、「チームと一つになって最後まで戦うこと」です。もちろん声出しだけは、誰にも負けない意気込みで望みます。今、最後の大会を目前に控えて、自分の気持ちはとてもクリアーになっています。それは、「勝てない」とか、「試合に出られない」とかでストレスを溜める必要はなく、自分が出来ることを精一杯すれば良いということです。 Jはシーズン中に、自分で出来る限り頑張ってきたし、コーチにもアピールをしてきました。最後の試合でどの程度プレータイムが得られるかは分からないし、チームがどれだけやれるかも分かりません。しかし、Jはチームのメンバーとして出来ることを精一杯するだけです。それはチームの一員としてユニホームを着ているJの義務だと思うのです。今まではコーチとも激しい話し合いを続けてきたけど、それも、ももう終わりです。なぜならJもコーチも、この時を目指してシーズン中に学び、成長してきたわけですから。最後はそれを出し切れるかどうかだけの事だと思います。次のステップをより確実なものとするためにも、最後は悔いを残さないように自分を出し切りたいと思います。

 そうそう、今年は森本文化風呂の仲間達も、厳しい関東ブロックの予選を勝ち抜いて、日本選手権の出場権を獲得してくれました。Jはアメリカにいる関係で、予選には出られなかったのですが、同じチームメイトとして本当に嬉しかったです。もちろん、本戦までには帰国してチームに合流するつもりですが、Jがどのようにチームに対して関われるかは、今のところ分かりません。しかし、ここでも同じことで、自分の出来ることは精一杯やろうと思うし、自分らしく自分の仕事をこなせればと思います。あとは、チームの一員として義務をこなしつつも、自分のバスケットを楽しむだけです。Jがコートに出た時は、入らなくてもシュートは積極的に狙うよ!(笑)


posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年03月10日

初観戦のNLL(ラクロス) 〜感動と興奮!そして、少しの後悔・・・

 まず、ラクロスというスポーツを知っている人が、日本にどれくらいいるのかな? 多分、殆どの人は「名前くらい聞いたことがある」とか、「棒の先にカゴをつけて走り回るスポーツ」くらいの認識なのでは? 実はJもその程度のことしか知らず、つまらないマイナーのスポーツというイメージでした。 ところで、何でサブタイトルに「少しの後悔・・・」と書いたかを説明すると、Jがまだ公務員時代の通勤途中に、良く大学のラクロスチームが朝練をしている光景を見かけたのです。 その頃、少しだけラクロスに興味を持ったので、そのうちどこかで試合を観てみたいと思っていたのですが、結局観る機会を作れずに時は流れてしまったのです。 そして、これが「少しの後悔」につながるのです。

 実は、ラクロスのプロリーグって今年に始まったことでは無いらしいのです。 でもJはアラバマ生活時代、全くその存在を知りませんでした。 そして、デンバーに着た当初、プロのチームが存在すること知って驚いたのです。何せ超マイナースポーツと言う認識が強かったもので。 でも、公務員時代を思い出しつつ、とても興味が湧いたので、ずっと観戦に行きたいと思っていたのでした。 しかし、ラクロスはレギュラーシーズン16試合しかなく、ホームゲームも少ないので、なかなか予定が合わずにいたのです。しかし、とうとう3月1日に初観戦を果たせたのです! 当日は雪が降る中、ルームメイトのジェーミーと、その友達のジョニーと3人で観戦に行きました。

 ラクロスに関する驚きは、チケットカウンターでもありました。 なんと、チケットを求める人々の行列で大混雑をしていたのです。Jが普段ナゲッツの試合を観戦する時には、殆ど並ぶこともないし、窓口が全て開いていることすら少ないのです。 この瞬間からワクワクする気持ちがどんどん大きくなっていきました。 また、チケットの値段も、他のメジャースポーツでは、選手のサラリー高騰と共に、大変高額なものになっていますが、ラクロスは5ドル〜35ドルと比較的安いのです。これもラクロスの大きな魅力になっているのだと思います。 ちなみにJ達は、今回も一番安い5ドルのチケットを購入しました。

 アリーナに入って自分の席に向かう途中、何度となく大きなドヨメキや歓声を聞くことができたのですが、この歓声の大きさも半端じゃないのです。ナゲッツのゲームを10試合近く観戦しているJですが、そこでは聞いたことが無いほどの大音量でした。観覧席について驚いたのも、やっぱり観客の多さでした。多分9割以上は埋まっていたと思うので、ほぼ満員といって良いでしょう。 しかも、マンモスは今年初めてリーグに参加する新チームにも関わらず、チームの成績も良いことが人気に拍車を掛けているみたい。 そして、試合の内容も激しくて迫力があるし、ルールなんか全然知らないJが観ていても面白くて見入って今いました。 




27-1.jpg
ラクロスの試合風景
(観客は3階席の上までビッシリ入っていました)



27-2.jpg
観客席で記念撮影
(左からJ、ジョニー、ジェームス)




 更に、試合を盛り上げているのは、場内のアナウンスや音楽、マンモスダンサー?(チアリーディング)に、何故か特設プールに水着姿のおねえさんたちもいました。他にも色々なショーなどがあって大いに盛り上がっていました。 Jが一番気に入ったのは、相手の選手が反則をしてペナルティーボックス行きになった時に起こる儀式?で、 会場の皆が声を合わせて「GET・IN・THE・BOX!!」(ペナルティーボックスに入れ!)という掛け声です。 もちろんJも大声で叫んで、その儀式に参加しました。チョー笑えたかな。 そして、ハーフタイムショーは笑いすぎて涙が出てきたし、お腹が痛くなりました。 今回のショーでは、コロラドのスポーツチームのマスコット対ライバルチームのマスコットで、ラクロスの試合が行われたのですが、ライバルチームには、これまた何故かスモーレスラー(相撲取り)もいて、みんなで乱闘を交えてのゲームでした。 これが笑えるのなんのって、会場は爆笑の渦で、普通ならトイレなど席を離れる観客も、かなりの人が残ってハーフタイムショーを楽しんでいました。



27-6.jpg
ハーフタイムショーの風景
(ゴールの横で相撲取りとマスコットが乱闘している)



27-5.jpg
コートサイドには何故か
特設プールと水着のおねえさんが応援



 試合を観ていての感想は、ラクロスには面白い要素がたくさん詰まっているということです。 例えばスピード感もあるし、身体の接触も多いので、とてもエキサイティングです。 しかも、適度に得点が入るのでやっぱり興奮します。 アメリカではサーカーの人気が今一つですが、その理由に得点が入らないことを指摘する人は少なくないのです。 また、スティック裁きにもテクニックがあって、バックシュートやビハインドパスなど、観ている人を楽しませてくれます。 この試合では18対12でマンモスが勝利したのですが、マンモスが得点する度に大きな歓声が起こり、逆に相手が得点するとシーンと、静まり返る観客の一体感も非常に良かったです。 何はともあれ5ドルでこれだけ楽しめる娯楽は、他にそう無いんじゃないかなーって思えるほど満足でした。

 ところで、余談があるのですが、この試合が終わった後、エレベーターを待つ間にジェーミーが係員のおばさんと話をしていました。彼女曰く、「ラクロスの試合では警備が厳しくないので、ロッカールームに行って、選手と話したり写真を撮ったりすることができる」というのです。 早速1階についてから「関係者以外立ち入り禁止」のドアを通ってロッカールームへ行きました。 途中たくさんの関係者らしき人とすれ違いましたが、誰一人注意してくる人はいませんでした。 しかし、さすがにロッカールームに入ろうとしたら「ここで待ちなさい」と注意を受けました・・。 しかし、3人とも選手には興味がなかったので、その後アリーナの裏方を回って散策しました。もちろんコートにも出て、コートから観客席を見回したりもしました。 久々に大きなアリーナのコートに立つことが出来て感動でした。 しかも、 帰り際には、なんとマンモスダンサーのお姉さん達と遭遇したのです。 で、話し掛けてみると、とてもフレンドリーで「これからみんなで飲みに行くけど、良ければ一緒に来ない?」とお誘いを受けたのです。 しかも「後から数人の選手も来る予定」とのこと。もちろん3人は大喜びしたのですが、外に出たら大雪だし11時を過ぎていたので、何となく面倒くさくなって帰ってきてしまいました(笑)

 最後に、冒頭で書いた「少しの後悔」とは、こんなに素晴らしいスポーツがあり、しかも興味を持っていたにも関わらず、5年間も知らずに過ごしてきた自分に対する気持ちです。 Jはこれからも色んな事を知ろうと思うし、「知って対処する」(著書にも書いた言葉)と言うことを忘れてはいけないという教訓にもなりました。 まだまだ世の中には面白いことがたくさんあるはずです。 さあ、みんなもそれを探して見ましょう!! で、見つけたらJにも報告をお願いします。 可能なものはトライしたいので。

ラクロスに興味を持った方は、下記のサイトに飛んでみてください。

The National Lacrosse League http://www.nll.com/ 

The Colorado Mammoth  http://www.coloradomammoth.com/



posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年02月27日

ラスベガス遠征 〜やっぱ基本はGIVE&TAKEですかね

 今回も予告どおり、ラスベガス遠征の模様を書いてみたいと思います。ラスベガスの遠征も、毎年恒例となっている感じです。昨シーズンと2シーズン前は、レイクショアのチームで来たのですが、何でもベガスではシーズンに5,6回ものトーナメントを開催しているそうです。 しかも、ベガス(ネバダ州)には車椅子バスケのチームが無い(正確にはあるがD3のチームで、殆ど活動していない)にも関わらず、トーナメントなどのイベント事には熱心です。きっと、ギャンブルの街らしく、行政の組織も経済的に裕福なのでしょう。

今回は土・日が試合だったのですが、金曜日の午前中にコーチのエリックとタズ、Jの3人で゙デンバーを発ちました。殆どいつもこの3人が先発隊となるのは理由があります。エリックはピザ屋のオーナーで、仕事は店員に任せて自分の時間が作れる。タズは無職でやっぱり自由の身。そして、Jもアメリカではバスケが目的の自由人。ということで、いつも3人は早めに出発して、くつろいだり観光をする時間が作れるのです。 また、前の体験記(2月4日更新)にも書いたのですが、基本的にアメリカのチームは個人の意見を尊重するので、誰を連れて行こうが、いつ出発して帰ろうが個人の自由です。 選手はチーム御用達の旅行代理店に直接リクエストを入れれば、それに沿った旅行を手配してくれるのです。 もちろん、最低限の集合時間や連絡の義務はありますよ。

今回は、ちょっと飛行機の中でトラブルがありました。Jはトイレが近いので、いつも航空会社に「トイレに近い席」とリクエストを入れているのですが、今回は後ろのトイレに近い最後尾の席でした。 そして、案の定途中でトイレに行きたくなったのですが、なっ、なんと、このトイレが壊れていて使用できなかったのです。さすがにJも航空会社も、そこまでは予測できなかったのでした。 また、着陸態勢に入る少し前だったので「機内用車椅子を使用して、一番前まで行くのは時間的に無理」と言われてしまったのです! しかも、こんな時に限って満席だし窓側の席で隣の席には若くてきれいな女性が乗っているという最悪(本来なら最高なんですが・・)の状況! うー、助けてくれーー!(苦笑) まあ、それでも何とか切り抜けましたよ。 でも、どう切り抜けたかは秘密。

今回のホテルはダウンタウンの中心にある高級カジノホテルだったし、時間的にも少し余裕があったので街中を散策したり、ちょっとだけギャンブルにも兆戦したりと、観光気分を味わうことができました。また、家族を連れてきているチームメイトも数人いたので、各自ベガスでの時間を有意義に過ごしていたのではないでしょうか。(詳しくは2月14〜16日の“独り言”を参照)


 バスケの方は、当初4チームが来ることになっていたのですが、ゴールデンステートがドタキャンをしてくれたお陰で、3チームとなってしまったので、各チームと2試合ずつを行うリーグ戦方式に変更となりました。また、大阪カップに出場のため、ミシガンはパットが不在だったこともあり、イマイチ盛り上がりには欠けたようにも思いますが、我がチームの目的はいつも同じで、チームのシステムを確認したり、チームとしての成長を目指しているので力は抜けません。

初日の土曜日はダラス、ミシガン、ダラスと3試合をこなしました。特筆したいのは1試合目のダラス戦です。ダラスはベストメンバーだったのですが、いつものように大差を離される展開には持ち込まれませんでした。理由は幾つかありますが、まず、エースのポール・ショルティを徹底的にマークして簡単にシュートを打たせなかったこと。次にスティーブ・ウエルチの逆速攻を許さないよう、OFの時は常にローテーションでトップ(セーフティー)を残すシステムがしっかり取れたこと。3つ目に、Jをはじめデカイ組が相手のセンター陣を、ファール覚悟のハードDFで手こずらせたことです。また、逆にOFでは相手からのシューター封じを交わすために考えられた、ダブルピックを使ったOFシステムを試して、機能したことが多くの得点チャンスを作れたように思います。この試合を振り返っても、チームは確実にレベルアップをしているのですが、覚えることが多くて混乱することもシバシバで、Jはベンチとコートを何度も行ったり来たりしながら、コーチのエリックとプレーの確認をしました。 結果は117−112と、接戦を演じたものの敗退。


ミシガン戦もパットがいないことで勝敗は見えていたのですが、もちろんチームは課題をこなすことに全力を注ぎました。結果、ミシガン戦2試合は勝利を収めつつ、みんなもきっちり仕事がこなせたのではないかと思います。しかし、ダラス戦の2試合目は、OFのローテーションが機能しなくて、ウエルチに逆速攻をなんと14本も与えてしまい、その全て決められる始末でした。また、いつものように、疲れから年配組みのシュートが外れ始めて離される展開に・・・・・・。結局101−84での敗退でした。

ところで何度も書きますが、選手はコーチからは常に全力を尽くしてプレーすることを約束させられています。 Jもフル出場することはないですが、プレーしている時は全力プレーを意識し、ベンチでは応援や観て学ぶことに集中するよう心掛けています。しかしプレー中に、もし力を抜いていると見られれば、コーチは選手を即ベンチに引き戻します。 なぜなら、楽に勝てるチームに勝つためのプレーをしているからでは無いからです。 勝てないチームに、どうしたら勝てるのか??を考えながら実践でシステムを試したり練習しているという感じかな・・・・。 また、チームはこの遠征にも高い授業料(遠征費)を支払っています。 その代わりに選手は精一杯プレーする義務が生じるのだと思います。 これはGIVE&TAKEというやつです。

ちょっと話がずれますが、Jがオーエックスに入社する際も「お前は会社に対して何が出来るのか?」と問われました。もちろん自分なりの考えは持っているので答えましたよ。  また、いつも上司から言われているのですが、「会社にとって必要な人間になって欲しいし、もちろん不要ならクビだ!」と。(笑) でもこの感覚が非常に好きなんですよ。 だからこの会社にお世話になって良かったと思うし、とても素晴らしい会社だとも思うのです。 働いている人たちも、みんな会社や仕事が好きで働いているっていう感じがいい。 だからJも仕事(バスケや様々な活動も含めて)で、会社の役に立てる人間になりたいと考えているし、会社もそれを認めてくれて、Jを必要な人間だと評価してもらえるなら最高です。 そして、これもまたGIVE&TAKEの関係に値するのではないでしょうか? バスケのチームにしても、会社にしても同様で、自分がいても変わらないとか、不要な場所にいたくはないのです。 もちろん、アメリカでの生活は常にこういう意識があるように思います。 Jは「必要とされる場所(もちろん自分も望んで)にいて、必要とされる目的(もちろん自分がやりたいこと)を果たしたい」のです。 それが、「自分らしく、自分のために、自分の人生を生きる」ということなのかも知れません。 

そう考えると、自分で手に入れた環境は、今のところ全て「自分らしく・・・・」に当てはまっているかな。 良く友達やJ‘s pageにメールをくれる方々に「自分の好きなことだけ出来てうらやましい!」と言われますが、一応信念を持って活動をしていることはご理解ください。もちろん、ラッキーな人間であることは否定できませんが(笑) 素晴らしい会社やチーム、仲間達に巡り合え、素晴らしい環境の中で人生を送れていることに感謝。

最後に「ベガス遠征の報告は?」と、Jの怠け状態にメールで活を入れてくれたY・Yさんと、Rさんありがとうございます。 そして、体験記の報告が遅くなったことをお詫び申し上げます! また、これからもご愛顧のほどよろしく! でもチョト本音で、キビシーーー!(笑)

posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年02月16日

レキシントン遠征〜死闘のサバイバルゲーム?

 今日は予告どおりブルーグラス・インヴィテーショナルinレキシントンの模様を書いてみたいと思います。それにしても早いもので、この大会へ参加したのは今年で3回目です。また、昨年の参加報告も、この「体験記」で書いているのですよ。 去年の体験記を自分で読み返してみても、あー、思い出すなー。当時、大学チームの活躍に大きな感動とショックを受けたこと。 そして、全日本辞退や選手生命のことで、毎日悩みに悩んでいたあの頃のことを・・・・(苦笑)

今回は木曜日の昼からデンバーを発ったのですが、当初はジムで軽くシューティングをしてから空港に向かう予定でした。しかし、今回もまたエンスト・・・・。なんで普段は問題無いのに、大事な時に限って問題が起こるのか?と、本当に不思議です。でも今回は遅れずに済みましたよ。というのも、早く家を出る予定にしていたことや、ルームメイトのガールフレンドが仕事休みだったので、彼女に頼んで空港まで送ってもらうことができたからです。しかも、遠征の間に車を動くようにしてもらえたので、デンバーに帰ってからも不便がなく助かりました。 やはり持つべきものは友達です。

今回はシンシナティ経由で約7時間の旅でしたが、この辺はもう慣れた気がします。そして、ホテルについたのは夜の9時前(時差で2時間進んでいるため)でした。もちろん、ホテルに選手が集まった時点でチームミーティング(笑) 前回の試合のビデオを観ながら話し合いをしたのだけど、結局終わったのは深夜0時過ぎ。 そして、ミーティングが終わってすぐ廊下に出ると、そこには到着したばかりの安直樹が立っておりました。グッドタイミングに驚きましたが、彼と約3週間ぶりの再会を果たしたのです。

初戦(金曜日)の相手はバーミンガムで30点差近くつけて勝利した、ウィスコンシン大学のチームでしたが、今回は彼らのスピードとスタミナの前に68−86で気力負けと言う感じでした。 この試合Jはまずまずの調子で、前半は出場することもできたし、20点以上のリードをしていたにも関わらず、後半はあまり出番を貰えず逆転負けでした。 何で?という、もどかしい気持ちを押えつつも、Jは応援を頑張りましたよ。 でも、他の選手が調子悪い時や疲れている時でも、選手交代をしないコーチには理解出来ないし、少しシコリが残ったかな・・・・。

その日の晩は3時間にも及ぶミーティングがあったのですが、正直言って疲れていました。ミーティングが始まったのが夜の8時半からで終わったのが11時半・・・。 しかし、チームは明日以降の対策やチームを入念に話し合っていました。Jも最初は頑張って聞いていたのですが、途中で白熱して会話のスピードも速くなり、スラングらしき言葉の使い回しも増えて、良く理解ができなかったので、しばらくボーーとしていました。 でもこれが後で大事件につながるのです。

翌日の敗者戦はテネシーとでした。久々のスタメンン出場でハッスルしました。しかも、前日のミーティングでコーチから貰った課題も頭に入っていたし、いつもの通り走りまくってDFで貢献して、すぐさま25点近くのリードに。 もう自分では絶好調と言う感じでプレーしていたのですが、1Qの残り1分くらいでベンチに戻されてからは、結局最後までプレータイムを貰えませんでした。もちろんJは頑張ってチームを応援しましたよ。でもベンチで試合を観ていると、疲れからか?数選手の調子がガタッと落ちて、ミスも増える一方でした。また、相手チームのシュートも決まりだして、昨日と同様の展開になり3Qで2点差まで詰め寄られたのです。それでもコーチからは声が掛かりませんでした。結果は98−93で何とか勝利でしたが、正直言って、さすがにJも呆れました。

もう、この件でJはコーチとの信頼関係がズタズタに切り裂かれた感じですよ。 まず、試合後にマークと2人で話し合いをしましたが、マークもJの意見に100%同意をしてくれました。そして、Jは日本へ帰る覚悟を決めてコーチと話し合いました。しかし、コーチはクールな顔をして「昨日の話しを全く理解していないから使えなかった」と。Jはその言葉に驚いたのですが、色々と話し合った結果、Jが昨日のミーティングでボーっとしている間に話し合われたことや、難しくて理解できなかった部分を確認しなかったことが理由で、誤って理解していたことが発覚したのです。 コーチの「成りゆきや、結果オーライで大量リードして勝ったとしても、あとにつながらないし意味が無い!」という言葉が、Jの心にズシンと響きました。そして、この時ばかりは凹みましたよ・・・・。また、改めてチームプレーの大切さと難しさを実感したのです。

敗者戦2回戦の相手は、勝ち上がり2回戦でテキサス州立大学に敗退し、敗者戦にまわってきたウィスコンシン大学でした。我がデンバーは、昨日のリベンジとばかりに盛り上がりました。 今度こそはJもしっかりと自分の仕事をこなし、序盤から大量リードを奪いました。Jはシュートもマズマズでしたが、何よりもDFで相手と走り合いをして、ハードアタックを仕掛けました。学生なんかに負けてられるか!って。(笑) その結果、相手のセンターはシュートを打てずじまいで、かなりイライラしていました。 でも、その仕返し?に、トップスピードで走っているJにブロッキングのファールをかましてくれたお陰で、Jは吹っ飛び肘を強打、膝から流血という怪我に見舞われ、あえなくベンチへと下がりました。 しかも、リヤホイルの車軸も曲がってしまい、その交換にも手間取ったのでした。 あー、調子も良かったし、チームもいい感じなのに!!! 結局96−68で圧勝でした。

次の試合は驚きだったのですが、ミルウォーキーがミシガン相手に2点差で敗退をして、敗者戦に回ってきたのです。Jはコーチに「膝も肘も大丈夫だから!」とアピールをした甲斐があってか、スタメンでの出場となったのですが、肘をかばって走れていないと見られたようで、早々にベンチへ戻され、アイシングをしながら応援に回りました。ミルウォーキー戦は結構いい試合をするのですが、いつも同じような展開で最後に撃ち負けるような感じです。相手には素晴らしいシューターが4人もいるので、押えきれずに最後に離される展開です。  それにしても、何も問題がない時には怪我をしてプレーが出来ない。絶好調でプレーできる状態の時には、何かしらの問題が起こってプレーができない・・・・・・。 くそーーーー、とても不発に終わっている感じで、なんとも言えないフラストレーションが溜まっている今日この頃。

この大会で印象に残ったことは、各試合ともに接戦が多かったことです。 D1は敗者戦も含めると全部で15試合行われたのですが、Jが把握しているだけでも7試合が10点差未満の接戦でした。 また、10点以上離れた試合でも、得点差以上に試合の内容は濃いように思いました。(観ていても飽きないし、勉強になる内容というか・・) しかも、常に同じチームが勝利をしていると言うわけではなく、接戦の末に勝ったり負けたりの連続なのです。この辺は日本に無い面白さだと思います。 今年のファイナルはどこのチームが進むか?本当に検討がつかなくなってきた感じです。 Jが頭一つ抜けていると思っていたダラスやミルウォーキーでさえ、アチコチのチームに敗れているのですから。

最後に、特筆したいのが大学のチームの成長です。彼らは一戦一戦強くなっていることが、観ていて分かります。 多分“ヒヨコ”の時分から、素晴らしい環境(良き指導者や育成プログラムの元)で、思う存分バスケができるからでしょうね。 また、常にナショナルクラスの選手と試合や練習ができる環境も羨まし過ぎます! それから、昨年の夏に福島で開催した「車いすバスケキャンプ」に、講師として来日してくれたイリノイ大学のマイク氏、ダン氏(共にコーチ)と、ジェフとトニー(共に選手)にも再会することができたのですが、あの時Jがまだまだヒヨコだな!と、思っていたジェフ選手でさえ、現在はイリノイ大学の中心選手として、バリバリにプレー&活躍していました。 Jは彼らの試合を観ながら、何度もため息が出てしまいました。



25-01.jpg
イリノイ大学vs G・ステート戦(一昨年の全米チャンピオンを相手に、イリノイ大学チームは圧勝)



25-02.jpg
イリノイ大学のコーチ、マイク・フログリー氏(彼はいつものように爪を噛みながら(癖です)試合を見守っていました)




第25回 ブルーグラス・インヴィテーショナル記念大会の最終結果

優勝ミルウォーキー・バックス
敗者戦からの勝ち上がりだが、実力どおり優勝

2位ミシガン・サンダーバード
パットと共に高校生選手のマシューが大活躍

3位テキサス州立大学
Jより高い選手が一人もいないチームだけど強い

4位デンバー・ナゲッツ
我がチームは色々と課題が残る結果でした

5位イリノイ州立大学
運が悪く?2度もミルウォーと対戦して敗退

6位ウィスコンシン大学
成長という意味では一番のチームかも?

7位ミュージックシティ・ライトニング
年配選手が多いためにスタミナ不足が欠点

8位ゴールデンステート・ウォーリアーズ
エース不在のため実力を発揮できず最下位

 次はベガス遠征のレポートかな。 うーーん、他にも書き溜めている重要な内容の「体験記」があるんだけど・・・・。でも、やっぱり今はタイムリーな話題から優先した方がいいと思うので、次はベガス遠征記にします。
posted by J's Page at 00:00| J's体験記

2003年02月04日

個人の意思を尊重するアメリカ 〜ベガス遠征は奥さん(彼女)同伴で!

 先月中旬からずっと体調が優れずにいたので、後輩の安直樹やユミちゃんとの再会を果たした、バーミンガム遠征の体験記を書きそびれてしまいました。 しかし、3週間も過ぎてしまい、今更書く気分にもなれなかったので、バーミンガムでの話しは、また次の機会ということで、今日はちょっとアメリカらしい話しを書いてみたいと思います。

 以前、日本で聞いた話しなのですが、日本のクラブチームでは、泊りがけの遠征に奥さんや彼女を同伴することは、禁止されているチームがあるということなのですが本当でしょうか? また、同伴するのは構わないけど、宿泊先の部屋割りは、夫婦でありながら選手は選手と、奥さんはマネージャーの女の子と宿泊しなければならないとか・・・・・・。 もし、これらの話しが本当ならば、きっとアメリカ人は驚くだろうし、「Why?」って聞いてくるに違いない。 

 ちょうどバーミンガム遠征が終わった頃(Jは熱で苦しんでいた頃)です。エディからメールが入ってきました。内容は「今度のベガス遠征に奥さんを同伴したい」というものでした。また、そのメールの後に、マネージャーのラリーからも「他にも奥さんや彼女を同伴したい人は、早めに連絡を入れて欲しい。また、試合の前や後にゆっくり観光したい人は、日程のリクエストも受け付けます」という内容のメールが入りました。まあ、Jには関係ない話しだったのですが、ちょっと興味があったので、デンバーに戻ってから数人の選手に話しを聞いたところ、何人かは奥さんや彼女を同伴するとのことでした。しかも、仕事の休みを取って試合の後は2人でゆっくり観光をしてくるという選手もいました。気になる費用ですが、以前は全てチーム持ちという時期もあったそうですが、現在は夫婦(カップル)のホテル代はチーム負担で、パートナーの飛行機代は個人負担ということでした。それにしても、選手の飛行機代は遠征に絡めてチーム負担となるので、費用的にはかなり節約できることになります。

 当然のことですが、選手はシーズン中ほとんどの週末をチーム練習や遠征に費やしています。しかし、中には妻帯者もいるわけで、家族の理解が無ければ活動できない選手もいます。もちろん、シーズンオフになればその分家族サービスも増えるのでしょうが、時にはシーズン中でも、家族と過ごすことを理由に練習や遠征をキャンセルする選手もいますが、これはアメリカだと認められる行為なのです。そうそう、ラリーも、昨年奥さんに子供が生まれたことを機に、チーム遠征には一切同行しなくなったスタッフの一人なのです。 日本の場合は家族を犠牲にしているという観念がありますが、アメリカではあくまでも家族や恋人があっての“バスケ”という観念が強いように思います。そして、チームも最大限に選手の意見を聞き入れ、選手のみならず家族や恋人への配慮もしてくれるのです。この辺は良く日米の大きな違いとして、テレビなどでも取り上げられる部分ですよね? 例えば奥さんの出産に立ち会うために、夫が仕事を休むことも普通のことだし、家族のために仕事を替えてしまう人も少なくないとか。 まあ、Jの場合はバスケを最優先したい人なので、それはそれで自分自身が納得していることなんですが・・・・(笑)

 例え話を一つ。 アメリカ代表で北九州ゴールドカップのMVPに輝いた、ポール・ショルティ選手は、3年前に学生結婚をしました。そして、彼はその次のシーズンを、「奥さんとゆっくり過ごしたい」という理由で全くプレーしませんでした。そして、地元で開催された大会などには、奥さんと一緒に観戦しにきたりして、その仲の良さを見せ付けていたのですが、周囲の反応はいたって祝福ムードでした。もちろんチームメイトから批判が出たなんて話しも、一切聞きませんでした。でも、日本で同じことをしようとすれば、絶対に批難・中傷の的になることは間違いないでしょう。特に強いチームであればあるほどに、中心選手であればあるほどに、そのような行動は許されないはずです。「お前の勝手な行動で、チームに迷惑がかかる!」などと言われるに違いない・・・・。事実、Jは似たような話しを聞いたことがあるし、実際に同じようなことを言われたこともあります。まあ、逆を返せばそれだけ自分を必要としてくれているのかも知れませんが、更に逆を返せば、チームは選手個人の考えを、どれだけ平等かつ理解してくれているのか疑問を感じます。 例えば戦力的に不要な選手が同じことを言った場合、彼らはその時に何と言うのだろうか? なんて考えてしまうのですが、そんなことを考えるのはJだけかな?? ここで、少し“利害関係”ということについて考えてみましょう。

 まず考えたいのは、自分は誰のためにバスケをしているのか?ということです。Jはあくまでも自分のためにバスケをしています。決してチームのためではありません。 勘違いしたらいけないのは、“チームプレイだから勝手な行動は許されない”という言葉の意味です。確かに自分が選んだチームでプレーすると決めた以上は、そのチームの目的を達成するために、強調性を持ってプレーする必要があることは理解します。バスケはチームスポーツだからです。でもそれ以前の話しとして、個人の考えやライフスタイルがあってもいいはずです。例えば、ある選手が移籍をしたいと言えば、チームは快く認めて欲しい。 例えそれがチームにとって、大きな痛手となったとしても、Jはそれを認めた上で移籍した選手を応援したい。 なぜなら選手にはチームを選ぶ権利があるからです。 とかく、勝負の世界は“勝った、負けたの世界”です。だから、チームはその利害関係に固執しがちです。 誰だって自分のチームの戦力ダウンを喜ぶ人はいないでしょう。 でもあえて書きます。 選手は、まず自分が一番気持ち良く、楽しくバスケが出来る環境を手に入れるべきです。また、チームや周囲はそれらを認めてあげるべきなのです。そして、それができるチームや環境には素晴らしい選手が集まり(育ち)、選手も自分のチームを大切にすると思うのですよ。 そういう意味では、Jが在籍している「森本文化風呂商会」は素晴らしいチームと言えます。なぜならキャプテンの哲さんは、時々意味不明で無理なことも言いますが、あくまでも選手の意思を尊重して物事の判断をしてくれるからです。そして、選手の移籍に関しても自チームの痛手を我慢してでも、選手を見送る姿勢を取っているからです。Jが思うに、こういう行動が取れる日本人はまだまだ少ないかな。まあ、今年に限って言えば、逆に素晴らしい選手が2人も入って来てくれたので、大いに喜んでいるとは思いますが(笑) だからこそ、Jは決して強くないし、完成されたチームでもないけど、風呂屋に移籍をしたし、未だに留まっていのだと思います。

  なんだか話しが反れてしまいましたが、何を言いたいかというと、“選手はチームの一員である前に、まず個人として尊重されるべき”だということです。そして、チームや周囲の環境も、そのように選手を扱って欲しいという事です。 遠征に家族を同伴しようが、家族のために活動を休止しようが、選手が移籍をしようが、その選手が決めたことならば、それでいいじゃないですか! そんなことを無理やり押さえ付けたり、否定したところで、良い結果は何一つ生まれてこないと思うのです。日本の選手はチームのことを本当に良く考えて行動していると思います。でも、チームはチームの利害関係を考え過ぎて、余りにも個人のことを考えていないように思うのです。 Jはチームの人間である前に、一人の個性ある人間(選手)でありたいと思っています。 また、その上で自分が決断したチームや環境でバスケをしたいと思っています。 それが森本文化風呂商会であり、デンバーナゲッツなのです。そして、それはチームにとっても自分にとっても良い結果をもたらしていると信じています! もちろん、世の中には「そんな考え方は認められない!」と、言う人がいるかも知れませんが、それはそれです。 これはあくまでもJの考えです。

※今回の体験記には、かなり手厳しい感想もありそうですが、望むところです(笑) みなさんの率直な意見を聞かせて下さい。

 今週末はケンタッキー州のレキシントン遠征です。今年で25回目の記念大会となる“ブルーグラス・インヴィテーショナル”は、D1チームが8チームにD2チームが12チームも参加するとても大きな大会です。レイクショアもD2でエントリーしているので、また安直樹に再会できるはずです。今度の体験記こそ、この遠征のレポートを書きたいと思います。
posted by J's Page at 00:00| J's体験記