明けましておめでとうございます。新年最初となる体験記の内容は、少々重い話題になるかも知れませんが、Jのホームページ公開や新たな出発を誓いつつ、自身のバスケに対する想いを書いてみようと思います。 と言うのも、昨年夏に開催された北九州ゴールドカップの選考を途中で辞退した件について、その後、多くの方々から「どうしてなの?」という質問を投げかけられました。また、以前風呂屋の掲示板でMさんからも鋭い指摘を頂いたことがあり、いつかJの本音を書いてみようと思っていたからです。
第一章 「日本代表選考の辞退」
Jはゴールドの選考合宿が本格的に始まった2001年の冬頃、アラバマのレイクショアでプレーを続けていました。幾度と無くコーチや関係者からメールで、全日本についての意識調査がありました。もちろんJの答えは「可能な限り全日本を目指したい」でした。 そして、選考合宿の日程や案内などが送られてくるようになったのです。ただし、Jはその頃幾つか問題を抱えていました。大きな理由には経済的な問題がありました。もし、合計で5回以上もあった選考合宿に、全て参加し日米を往復すれば、その度に国際線の飛行機代と日本での移動及び合宿経費など諸々で20万円くらい費やすことになります。また、その間アメリカでのバスケはおろそかになるし、時差ボケ調整や疲労など体調面での不安も抱えていました。 そして、何より持ち病の腰痛が悪化していたので、日米のバスケを掛け持ちすることも心配だったのです。
確か昨年1月の合宿に参加したときです。スタッフに「今後の合宿も全て参加しなければならないか?」と相談しました。答えは「YES」でした。もちろん、バスケは個人競技ではないし、一人だけ特別扱いが出来ないことも理解できたので、特に身体の故障や経済的なことなどは相談しませんでした。そして、再びアメリカに戻って活動を再開したのですが、Jは日々色々なことを考え始めたのです。多分、一番毎日のように考えたのは「今、自分は何をしたくて、今後どういう選択をしていくべきか?」ということです。もっと簡単に言えば、全日本の活動を取るべきか、それ以外の活動を取るかということでした。
この頃Jはアメリカの実情をより深く理解しつつあった時期でもあります。というのも、ある遠征でポール・ショルティ(ゴールド・カップでMVPを取ったアメリカの選手)引き入るテキサス州立大学の車椅子チームが、高さでも実力でも上回るダラスやデンバーのチームに、ことごとく勝利するという光景を目にしました。その時ポールはスリーポイントを10本近く決め、毎試合40点以上取っていたと思います。そして、キッズ(学生選手)たちは、有り余る体力と無心のアタックで、毎試合オールコートプレスを48分間(D1はNBAルール)続けていたのです。しかも、彼らの中には昨年まで高校生でジュニアのチームに所属していた選手もいました。 また、その一人に当時高校生だった彼とJが1on1対決をして、Jがブッチギリで勝利した選手もいました。彼はたった一年間で、とてつもない成長を成し遂げていました。きっと数年後にはポールのようになり、全米代表として出てくるに違いないだろうと直感しました。正直言って、その時Jは何か目に見えない糸が、プッツリ切れてしまったように思うのです。 多分、自分に自信を失い、世界で戦う自信を失ったのでしょう。
昔、相撲会の大御所、千代の富士が引退の記者会見で「体力、気力の限界・・・」と言っていた言葉を思い出し、Jは“気力”の限界がきているように感じたのでした。 そして、余りにも違いすぎるスポーツにおける、日米のバックグランド(背景)も痛感したのです。
もう一つ、書かなければならないことに、Jの価値観というものがあります。 例えば「何故Jはバスケにハマっているのか?」と問われれば、スグに「好きだから、楽しいから、自分の欲求を満たせるから」と答えることができます。非常にありきたりの答えですが・・・・。しかし、これは非常に重要なことなのです。 そして、Jの価値観は昔から一貫して変っていません。それは、『自分が本当にしたくて(欲しくて)、夢中になれることだけしたい』と言うことです。 しかし、バスケに関して「糸が切れた自分」には、全てを掛けてまで全日本に入ることは出来なかったのだと思います。 多分、一生懸命頑張っている振りをして代表に入ることは出来たかも知れません。 でも、それでは全日本や全日本を目指す選手達に対して失礼だと思いました。そして、自分にはもっと他にすることがあるように思えたのです。 例えば若い選手が育つ環境を整えるために、車いすバスケキャンプに力を入れたり、もっとアメリカでの情報を得たり・・・・・。 また、自分の欲求を満たすために、引き続きアメリカでプレーしたりすることです。一つ言だけ言いたいのは、それだけJにとって「日本代表」と言うのは、特別であり名誉であり、神聖な場所だと言うことです。
“全日本代表”という言葉には誰もが憧れます。Jだって例外ではありません。やっぱりJAPANのユニホームだって着たい!(笑) しかし、その当時、全てを掛けても獲得したいものだったかと言えば、「NO」でした。理由は上に書いた通りです。自分のプレーに自信が無くなり、体調に不安を感じ、それが分かっていて日本代表という看板は背負えなかったのです。まあ、「それじゃ負け犬だ!」とか言われても、返す言葉はありませんわ。 でも結果的にはJの決断は良かったかなーと。 というのも、そのお陰で夏の間は全国を回ってたくさんの選手と交流を持つこともできたし、国際大会という大舞台を客観的に観る事ができたことも滅多にないチャンスだった。しかも、それらはJにとって本当に色々とプラスになりました。 そして、考えが変ったこともあるし、物事を違う角度から捕らえるようにもなったと思います。もちろんJのバスケット人生は、このままフェードアウトして終る筋書きなんかじゃないことだけは書いておきます。
第二章 「アメリカへの想い」
まず第一章で、「日本代表に自信を失くしていた」と書いたにも関わらず、引き続きアメリカでプレーをしたいと思った理由について触れます。一言で言えば、「アメリカには(例え自分が下手で自信がなくても)楽しめて、夢中になれる“何か”があるから」です。Jがアメリカ学んだ言葉に「ポジティブ」というのがあります。「前向き、プラス」という意味ですが、多分それこそが全てを楽しめて嬉しむ秘訣だと思うのです。
例え話を2つほど書きます。 まず、始めたばかりの選手がゲームに出て、ボールを受け取ったらどうすると思いますか? 多分、日本的な選手なら「焦ってミスする」とか、「慌てて見方にパスする」とかでしょ? でもアメリカでは明らかに違います。 殆どの人が、ひたすらシュートを狙って打ちまくるかな。呆れるほどに(笑) では、そこで周囲の反応は・・・・。日本だと「パス回せよ!」とか「下手クソなくせして何やってんだよ!」でしょう? でもアメリカでは「ナイストライ」か、ちょっと意地悪な人でも「オフェンス同様にディフェンスもガンバレよ!」くらいかな。 決して否定はしないのです。 時々、日本で生活していて、自分がやっていることを否定されない日ってあるかなー?なんて考える時があります。 「あっ、それダメ」、「違うだろ」、「何やってんだよ!」、「お前の考えは間違ってるよ!」みたいに。
最近、チームではマークと絡むプレーが多いのですが、Jはあまりシュートが得意ではないので、Jが打つよりもはるかに確立の高いマークに対してピックにいったり、アシストのパスを送ります。すると、彼はそのたびに必ずJに笑顔でタッチを求めながら、こう言ってきます。「Nice pass J! Good job J! But you take it, If you want!」 だからJは次のチャンスに自分で打ってみる。 すると、入れば「sweet!」(甘いという意味ですが、スラングで誉め言葉に使う)と言いながら、タッチを求めてくる。また、外しても必ず「good try!」という言葉が戻ってきます。アメリカでプレーしていると、シュートにあまり自信の無いJでも、シュートへの迷いが無くなって積極的になれます。 逆を返せば「If you want」の言葉に象徴されるように、「自分がどうしたいのか?」という自主性を常に問われている感じで、自分が積極的にならなければ何も始まらないことに気づくのです。いつまでも試合でパスをし続けるJならば、きっといつまで経ってもシュートは上手くならない。 でも練習では毎日たくさんの打ち込みをしています。 それは何のためにしているのだろうか?? それは試合でバシッと決めて活躍するため、更には精一杯楽しんで、満足感や充実感を得るため!! アメリカはその事を教えてくれました。 本当に当たり前のことだけど、これに気づけたことは大きな収穫だし、アメリカっていう国に感謝です。
つまりは大好きなバスケが大好きなままでいられる。または、もっと好きになれる環境があるのです。別にアメリカを特別視する気も無いし、イヤな部分もたくさんあるのだけど、スポーツに関しては寛大な国だし、実際に来て見れば、きっと誰でも感じることが出来ることだと思います。だから32歳になっても素直に学びたくなるし、いい刺激を受けながら何とか上を目指して充実した生活が送れるのです。
最後に、「夢を叶える前に、まず“やってみる”を叶えることだよ by 純くん」 友人がくれたこの言葉、Jは大好きです。頭の中にある夢じゃ絶対に叶わないし、何も変わらないけど、やってみることが第一歩。 “やってみる”を叶えられない人は、残念ながら夢を叶える事もできいでしょう? Jは夢も大志もたくさんあるから、とりあえず今、“やって”みているのです。アメリカでプレーしているのは、ただそれだけのことです。「やってみる」を叶えるため、そして、自分の人生を楽しんで嬉しむために、借金こさえてまで?アメリカに戻ってきてしまうのです(笑) 好きなことに夢中になれる人生って最高に幸せだと思います。 自分が決めた道を自分で切り開いている人生は最高にエキサイティングで、満足感に満たされている。 Jは決して人より優れた才能を持つ特別な人間なんかじゃありません。 ただ、いつでも自分に素直でいたいし、そういう自分を好きでいたい。 バカみたいな話だけど、それがJのホンネです。