2003年01月16日

運命の物語(読者メール)とミシガン遠征

  今回はまず、ちょっと面白い話しを紹介します。体験記の番外編とでも思って読んでください。それから、2話でミシガン遠征記をお伝えします。2本仕立てで長くなりますが、最後まで読んでください!



第1話  運命の物語

 昨年の北九州ゴールドカップを観戦した方は、覚えている方も多いと思いますが、全米代表のウィリアム・ウォーラー選手(9番)が、予選の4試合目くらいから「日の丸一番」ハチマキを頭に巻いて試合に臨んでいました。実はあのハチマキ、Jが彼にプレゼントしたものなのです。 そして、あのハチマキに関する面白し出来事(出会い)があったのです。



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北九州ゴールドカップの全米代表ウィル選手です。



 例のハチマキは、Jが予選3試合目のオージー戦を観戦した後、久々にウィルとの再会を果たした時に、彼とアメリカチームを応援する意味で渡した物なのです。そして、「これは“ナンバーワン”という意味のヘアーバンドだから、きっとウィルやアメリカチームに幸運を引き込んでくれるよ!」と、激励したのです。 しかし、その時は彼が本当に試合で使用するとは夢にも思っていませんでした・・・・。

 しばらくして、試合会場で再びウィルとすれ違った時に、彼がJに向かって質問をしてきました。「もし、俺(アメリカ人)が、このハチマキをして試合に出たら、日本の人は怒ったり不快な気持ちになるか?」と。 そこでJは「そんなことは無いと思うし、問題ないよ」と、答えたのです。すると、彼は確か次の試合から、本当にハチマキをしてプレーをしていたのです。 これにはJも驚いたし、思わず笑ってしまいました。(笑)

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 その後は皆さんも知ってのとおり、決勝リーグでアメリカは宿敵のカナダを下し、決勝でも予選で敗退したイギリスを下して優勝を果たしたのです。もちろん、優勝したのは、彼らの実力に他ならないのですが、決勝戦終了後に、ウィルとハグをしながら勝利を称えた時、「やっぱり、ハチマキのお陰?」と聞いてみると、彼は「きっとそうだ、Jに感謝しているよ!」と、笑顔で返してくれたのでした。


 そして、時は流れ・・・ 2003年1月1日、念願の「J’s Page」が公開したのですが、
以下はメールのやりとりを掲載(抜粋)


<1月2日 Yさんからのメール>

今日 掲示板からHPを知り遊びにきました。
はじめまして・・・私はごくごく普通の主婦です。
去年の夏 『Gold Cup』にはまって毎日見に行ってました。

車椅子バスケットボールの事はそれまで全然知らなかったけど
はじめて見た時は すっごく・・すっごく感動しました。

ウィルと友達なんですねー♪ うらやましいー
私の息子(9歳)はウィルの大ファンだよー私も・・・

もしHPとか知ってたら教えてほしいです。



<1月3日 Jの返事>

はじめまして、こんにちは!
そして、メールありがとうございました。

ウィルとは4,5年前から友人していますが、とてもフレンドリーで
面白い奴です。そう「日の丸一番」ハチマキもJがあげたんですよ。

ところで、彼のHPは無いと思うのですが、来週末にミシガン遠征で
彼に会うので、彼に了解を得た上で、メルアドをお教えしましょうか?
頑張って英語でファンレターを書いてみますか!?



<1月4日 Yさんからのメール>

今 すっごく運命を感じています。
何故なら・・・『日の丸一番』のハチマキは決勝戦の後
私はウィルからもらいました。
試合が終わって私達親子が『ウィル!一番、一番』『No1 No1』って
叫んでいたら あなたにハチマキあげるね!っ感じのジェスチャーで私に
なげてくれました。 それですぐにサインを書いてもらったんですよー!

すごくうれしかったんだけど・・・よーく考えたらこんなおもみのあるもを
私なんかがもらってもよかっのかなーって思っていたんです。
Jがウィルにあげたんですねー!私が持ってていいの?

メルアドですが・・是非お願いします。きゃー♪
めちゃめちゃがんばって書いてみます。
よろしくお願いします。



 そして、この後もYさんと何度かメール交換をしたのですが、あのハチマキはY家の家宝として大切に保管していただけるとの連絡をいただきました。また、Yさん一家はゴールドカップがきっかけで車椅子バスケファンになり、「これからも車椅子バスケのことを勉強したり、活動に注目していきたい」とのことでした。 また、こうした一般のファンが増えていくことは非常に嬉しいし、喜ばしいことですので、Jもこれからもたくさんの車椅子バスケファンを作れるように、様々な活動を展開していきたいと思いました。

  そうそう、先週末のミシガン遠征でウィルと会った時に、この話を彼にしたところ、彼は「へーーー!」と笑っておりました。そして、Yさんにメルアドを教える件も、彼から快く了解を得ることができたのです。きっと今頃Yさん一家は辞書でも引きながら、頑張ってウィルにファンメールを書いていることでしょう。それにしても、とんだハチマキにまつわる運命の物語でした。(笑) それとYさん、Jの応援もよろしくお願いします!HPとか


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彼は普段ミルウォーキーバックスでプレーをしています。


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「ファンサービス版を撮りたい」とリクエストしたら、上半身裸になりました。「この写真は日本で高く売れる?」とか言ってました(笑)



第2話  ミシガン遠征

 先週末のミシガン遠征も本当に色々なことがありました・・・。 まず、金曜日の朝、空港に向うため車のエンジンを掛けようと思ったら、バッテリーが上がっていて掛からない。 しかも、最近は時間ギリギリに出発しているので、この瞬間にみんなと同じ飛行機には乗れないことが決定してしまったのです。 とりあえず、コーチの携帯に電話をして遅れることを伝えたのですが、彼曰く、「今回はデトロイト空港から1時間も離れた場所なので、空港からの無料シャトルバスもないよ」とのこ・・・。Jはタクシーでホテルまで行くと言ったのですが、「これは自分のミスだから、きっと自費だろうし高くつきそうだなー」などと考えながら、4時間遅れで一人飛行に乗ったのでした。

 デトロイト空港について荷物を取りに行った時、遠くの方から「J!」という声が聞こえたのです。まさか自分とは思わないので、最初はシカトしたのですが、更に大きな声で「J!」との声が聞こえ、振り向くとコーチのエリックが立っていました。Jは思わず日本語で「あれ、なんでー?」と言ってしまったのですが、彼らに聞いてみると、「デトロイトに着いてからレンタカーの手続きや、レストランで夕食を取っていたら、この時間になったので、ついでにJを待っていた」とのことでした。 でもそれはJを気使っての嘘だということが、すぐに分かりました。 彼らは最初から待っていてくれるつもりだったのです。 本当に素晴らしい仲間たちのお陰で助かりました。 でもホテルまで向かう車中でエリックは「今夜の飲み代は全てJ持ちだぞ!」と言っていました。(笑) そして、実際にホテルのバーで「おごるよ!」と彼に言ったら、笑いながら「あれはジョークだし、俺達はチームメイトを待っていただけだよ!」と言ってくれたのです。 本当に感謝でした。

 翌日の試合もとんだことになりました。 と言うのも、今回はシューターのタズが私的な事情により不参加だったのですが、当日1試合目が始まった途端、もう一人のシューターであるマークがお腹を壊して(脊損特有の症状かな?)抜けてしまい、シューター不在のチームで試合は進められたのです。 しかも、実はJもお腹の調子が悪く、あまり動けない状態だったのです。 そして、他に代えも居ない状態だったので、そんなことも言えずにプレーを続けたのです。 いつも接戦を演じるミシガン相手に、この状態ではどうにもならず、一時は15点近くリードされる展開に苦しみました。そして、Jはハーフタイムにトイレに駆け込み無事スッキリしたのですが、マークは依然コートには戻ってきませんでした。

 それでもみんなが踏ん張って3Q終了時には6点差まで追い上げ、4Q途中でマークが戻ってきてから残り1分を切った時に、何とか同点まで追いついて、今シーズン初の延長戦へと突入しました。そして、一進一退の展開が続いたのですが、最後は残り数秒でマークのミドルシュートが決まり、82対80で逆転勝利となったのです。ミシガンは地元でたくさんの観客もいたので、大いに盛り上がりましたが、これで今期の対ミシガン戦は5連勝となりました。ただし、Jは自己管理に課題を残す結果となりました。

 次の試合は、今期初の顔合わせとなったミルウォーキー戦でした。
この試合は久々にスタメンで出場したんですが、シュートチャンスこそ少なかったけど、DFやOFのバックピックやスクリーナーとして、かなり貢献できていたので結構充実していました。また、他の選手の調子も良かったので、前半はリードをする展開でした。 しかし、ハーフ以降、Jはなぜかベンチに釘付けの状態で出番がありませんでした。 しかも、逆転されて得点差は開いていく一方。 また、エディやボブを起用しているところを見ると、この試合は捨てているかのように思えたのです。 かなり納得が行かなかったし、他の選手も非常にストレスを感じていているようでした。 Jは「明日もまたミルウォーキーとできるだろうし・・・・。」と思って、何も言わず我慢したのです。結局試合は65対78で敗退したのです。

 しかし、そこからが大変だった。早速チームミーティングが始まったのですが、みんな凄い勢いで討論が始まったのです。 正直に言うとうちのミーティングはいつもかなりエキサイトするのです。 Jの意見としては、「コーチの起用方法には納得いっていないが、コーチの決断には従うし、コート上ではベストをつくす」と伝えました。 また、戦略的に疑問を感じる部分を2点ほど伝えたのですが、コーチや他の選手も同意し、Jの希望を聞き入れてくれたのです。 そして、今週末のアラバマ遠征で、空き時間に全員でセットプレーの確認やビデオを取り入れてのチームミーティングを開くことになったのです。やっぱり団体競技は非常に難しい部分が多いと感じます。特に上を目指していこうとすればするほどに・・。しかし、このチームは、いつも本当に色々な事を真剣に話すのです。そして、全員がきちんと消化できるように解決案や妥協点を見出すのです。また、答えが出たらすぐに行動へ移すという部分も非常に好きなところです。 だから、トラブルが起こっても後腐れなく、次のステップへとへと進めるのだと思います。このチームにいると、常に向上していることが実感できるのです。(前回の体験記で書いた“民主主義”の理想のようなチームです) だからこのチームは“最高!”なのです。

 3試合目のテネシー戦は、ミーティングの効果があったのか? かなりみんな集中していた感じで、1Qで34対8と圧倒的な強さで勝利を決定付けました。 JもOFはイマイチでしたが、DFはかなり厳しく相手選手をチェックして切れさせました(笑) まあ、それでも個人ファールは2つと、チームでは一番少ない方でしたが(笑)

 翌日のミルウォーキー戦(決勝)は、ダブルスコア以上での敗退でした。 まず、Jはベンチスタートだったのですが、ベンチから観ていても絶句です。というのも、うちの選手達は本当に調子が悪かったようで、シュートを落としまくっていたのです。 シュートの不得意なJが言うのですから相当なものです(笑) しかも、相手のシュート確立は70%以上で、1Q終了時に33対6という点差でした。 そこで、Jの出番も1Qの4分後くらいから巡ってきたのですが、不思議と気合が入り吠えまくりました。 そして、シュートはミドルもゴール下も安定して決まっていたので、珍しく良くボールも回ってきたのです。 後で思ったんですが、こんな状況は滅多にないから、もっともっとたくさん打っておけば良かったかなー? なんて(笑) 



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ミルウォーキー戦(さて、この中にアメリカ、カナダの代表選手が何人いるでしょうか?
答え 元代表やジュニア代表も入れると8人です)




 ただ、ダブルスコアという結果ほど、落ち込むものでもないです。 というのも、悪かった部分はみんなが分かっているし、それに対する改善案も確認(または宿題に)したので。 多分コーチのエリックが、今頃宿題に追われて一番大変な思いをしていると思います。彼はいつも選手の疑問や意見をノートに取り、必ず次回までにその改善案や自分なりの考えをミーティングで答えているのです。 といのも、日本と違ってクラブチームでも選手から信頼の得られないコーチはクビになるからです。 エリックの前のコーチは、とてもいい人だったそうなのですが、4シーズンコーチをして結果が出なかったので、その能力を問われて昨シーズンの途中でエリックに交代になったそうです。 でも、今のところエリックは選手全員から信頼も得ているし、結果も出ていると言えます。 それにしても、試合後はホテルのチェックアウトを無理矢理延長して、上記の問題について2時間近いミーティングをしたのです。 まあ、その結果は今週末のバーミンガムで導き出されると信じたいです。

 今週は古巣バーミンガムでの大会に出場してきます。また、後輩の安直樹もいるので1週間ほど滞在して一緒にトレーニングもしてくる予定です。 それらを元に「独り言」、「体験記」ともに更新しますので、乞うご期待!




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2003年01月07日

民主主義ってなんだろう? 〜とんだことから議論は始まった

  コトの発端はコーチのエリックから来た、チームメンバー宛てのE-mailでした。主題名は、その名も「CAPTIN」だったのですが、彼からのメールを簡単に説明するとこうです。「既にシーズンは始まっているけど、チームのキャプテンを決める必要があると思う。ここは一つ投票で決めたいので、各自が私宛にメールで推薦して欲しい。 追伸 秘密は守るので他の選手を気にせずに書いてください」と言うものでした。

 最初にJがこのメールを見たときに気に掛かる点が2つありました。まず、1つ目は主題の前に「re:」という文字が入っていたのです。これは、E−mailをする人なら分かると思いますが、誰かから貰ったメールに対して返事を書くときにつく文字です。ということは、このメールはコーチのオリジナルではなく、チームの誰かからこの話を持ちかけられて、それにコーチが答えるべく、全員宛てに投票を要求するメールを送ったことが推測されるのです。次に気に掛かったのが、メールリストにボブの名前が無かったことです。彼はチーム登録の際に、コーチが最後まで悩んだ末に入った選手で、実力的にはD1での活躍は難しく殆ど試合には出られない状態の選手でした。しかも、本人も自分の立場をよく理解していているようで、チームの中では応援係に徹している感じの選手なのです。しかし、チームの一員として登録がある選手にはかわりないのです。

 正直言って怪しい臭いがしたのですが、Jは悩んだ末にある選手を推薦するメールを送ったのです。しかし、やはり数人の選手からクレームが入ったのでした。まず、エディがボブの名前が入っていないことを抗議するメールを皮切りに、リーダー論や聖書まで用いて、このやり方のマズさや、キャプテンとは何ぞや!という意見を書いた長いメールなども届いたのでした。また、ポールからは、彼も既に投票を済ませたらしいのですが、彼自身がその投票を後悔して訂正したいと、反対意見の10か条なるものまで書き添えて、この投票への反対を求めたのでした。さすが教職者であるポールらしいメールでした。 そして、駄目押しでマークからは、上記の怪しい2点を指摘した上で、「投票で何かを決める場合、時としてそれは人気投票と化し、本来あるべき目的が達成されないことがある」というメールが届いたのです。その後も2日の間に15通以上のメール論議が続いたのです。

 そして、最後に決着を見たのはマークのメールでした。「今週末に大事な試合がある上、今後厳しい戦いが増えていくはずだから、俺達は全員で飛躍していかなければならない。練習回数も増やしたいし、出来るだけ多くの選手が参加すべきだ!」と。そして、「一人のキャプテンを決めるよりも、その試合で精神的にもプレー的にも信頼できる選手をコーチが判断して決めればいいのでは?」という提案に選手達が賛成するメールが届き、いつの間にかチームメールの話題が一変して、練習や試合日程などの話に変わったのでした。

 ところで、最初にコーチと密会のメールをした人は誰か??という疑問がでてくるのですが、みんなはそれを知った上で、彼に対する非難、批判は一切メールに出てこなかったことが素晴らしいと思いました。また、このメールのやり取りは非常に難しい言い回しや、スラング?慣用言葉がたくさん出てきて、直訳しても意味不明で理解できない部分が非常に多く、Jも困り果てたあげくにコーチの職場まで行って事情を聞いたりしました。ただ、最後はみんなの意識や協調性が増したように感じ、“雨降って地固まる”というようになったみたいです。

 最後にJの考えとしては、「投票」というのは、さも民主主義的で正しいような感じがするけど、実は投票が必ずしも民主主義的ではないし、正しいと言うわけでもないという気がしてなりません。逆に言えば投票で済ませることは非常に安易で適当なのだということです。まあ、それでも投票制度を使わなければ済まない問題があることも理解しますが・・・・。 一見「投票」=「民主主義」と思いがちですが、何でも投票で決めれば正しいと言う考えは非常に危険です。そして、数が多ければ正しいと考えることが民主主義であれば、それは単なる多数派のエゴになってしまうように思うのです。 しかも、今回のように事前にネゴがある場合はもっての外です。 また、少数派には少数派の考えや意見があっていいし、そういう全ての人や物が理解、妥協、共存していける環境を作り出すために、最善を尽くして考え、話し合うのが本当の民主主義なのだと思いました。

 今日はなんだか当選を目指す政治家みたいな意見になってしまいましたが、本当の民主主義ってこんな感じかなーーーーと、思えるような経験をしたので書いてみました。
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2003年01月01日

Jのホンネ 〜全日本代表の選考辞退とアメリカへの想い

  明けましておめでとうございます。新年最初となる体験記の内容は、少々重い話題になるかも知れませんが、Jのホームページ公開や新たな出発を誓いつつ、自身のバスケに対する想いを書いてみようと思います。 と言うのも、昨年夏に開催された北九州ゴールドカップの選考を途中で辞退した件について、その後、多くの方々から「どうしてなの?」という質問を投げかけられました。また、以前風呂屋の掲示板でMさんからも鋭い指摘を頂いたことがあり、いつかJの本音を書いてみようと思っていたからです。
第一章 「日本代表選考の辞退」

 Jはゴールドの選考合宿が本格的に始まった2001年の冬頃、アラバマのレイクショアでプレーを続けていました。幾度と無くコーチや関係者からメールで、全日本についての意識調査がありました。もちろんJの答えは「可能な限り全日本を目指したい」でした。 そして、選考合宿の日程や案内などが送られてくるようになったのです。ただし、Jはその頃幾つか問題を抱えていました。大きな理由には経済的な問題がありました。もし、合計で5回以上もあった選考合宿に、全て参加し日米を往復すれば、その度に国際線の飛行機代と日本での移動及び合宿経費など諸々で20万円くらい費やすことになります。また、その間アメリカでのバスケはおろそかになるし、時差ボケ調整や疲労など体調面での不安も抱えていました。 そして、何より持ち病の腰痛が悪化していたので、日米のバスケを掛け持ちすることも心配だったのです。

 確か昨年1月の合宿に参加したときです。スタッフに「今後の合宿も全て参加しなければならないか?」と相談しました。答えは「YES」でした。もちろん、バスケは個人競技ではないし、一人だけ特別扱いが出来ないことも理解できたので、特に身体の故障や経済的なことなどは相談しませんでした。そして、再びアメリカに戻って活動を再開したのですが、Jは日々色々なことを考え始めたのです。多分、一番毎日のように考えたのは「今、自分は何をしたくて、今後どういう選択をしていくべきか?」ということです。もっと簡単に言えば、全日本の活動を取るべきか、それ以外の活動を取るかということでした。

 この頃Jはアメリカの実情をより深く理解しつつあった時期でもあります。というのも、ある遠征でポール・ショルティ(ゴールド・カップでMVPを取ったアメリカの選手)引き入るテキサス州立大学の車椅子チームが、高さでも実力でも上回るダラスやデンバーのチームに、ことごとく勝利するという光景を目にしました。その時ポールはスリーポイントを10本近く決め、毎試合40点以上取っていたと思います。そして、キッズ(学生選手)たちは、有り余る体力と無心のアタックで、毎試合オールコートプレスを48分間(D1はNBAルール)続けていたのです。しかも、彼らの中には昨年まで高校生でジュニアのチームに所属していた選手もいました。 また、その一人に当時高校生だった彼とJが1on1対決をして、Jがブッチギリで勝利した選手もいました。彼はたった一年間で、とてつもない成長を成し遂げていました。きっと数年後にはポールのようになり、全米代表として出てくるに違いないだろうと直感しました。正直言って、その時Jは何か目に見えない糸が、プッツリ切れてしまったように思うのです。 多分、自分に自信を失い、世界で戦う自信を失ったのでしょう。
昔、相撲会の大御所、千代の富士が引退の記者会見で「体力、気力の限界・・・」と言っていた言葉を思い出し、Jは“気力”の限界がきているように感じたのでした。 そして、余りにも違いすぎるスポーツにおける、日米のバックグランド(背景)も痛感したのです。

 もう一つ、書かなければならないことに、Jの価値観というものがあります。 例えば「何故Jはバスケにハマっているのか?」と問われれば、スグに「好きだから、楽しいから、自分の欲求を満たせるから」と答えることができます。非常にありきたりの答えですが・・・・。しかし、これは非常に重要なことなのです。 そして、Jの価値観は昔から一貫して変っていません。それは、『自分が本当にしたくて(欲しくて)、夢中になれることだけしたい』と言うことです。 しかし、バスケに関して「糸が切れた自分」には、全てを掛けてまで全日本に入ることは出来なかったのだと思います。 多分、一生懸命頑張っている振りをして代表に入ることは出来たかも知れません。 でも、それでは全日本や全日本を目指す選手達に対して失礼だと思いました。そして、自分にはもっと他にすることがあるように思えたのです。 例えば若い選手が育つ環境を整えるために、車いすバスケキャンプに力を入れたり、もっとアメリカでの情報を得たり・・・・・。 また、自分の欲求を満たすために、引き続きアメリカでプレーしたりすることです。一つ言だけ言いたいのは、それだけJにとって「日本代表」と言うのは、特別であり名誉であり、神聖な場所だと言うことです。

  “全日本代表”という言葉には誰もが憧れます。Jだって例外ではありません。やっぱりJAPANのユニホームだって着たい!(笑) しかし、その当時、全てを掛けても獲得したいものだったかと言えば、「NO」でした。理由は上に書いた通りです。自分のプレーに自信が無くなり、体調に不安を感じ、それが分かっていて日本代表という看板は背負えなかったのです。まあ、「それじゃ負け犬だ!」とか言われても、返す言葉はありませんわ。 でも結果的にはJの決断は良かったかなーと。 というのも、そのお陰で夏の間は全国を回ってたくさんの選手と交流を持つこともできたし、国際大会という大舞台を客観的に観る事ができたことも滅多にないチャンスだった。しかも、それらはJにとって本当に色々とプラスになりました。 そして、考えが変ったこともあるし、物事を違う角度から捕らえるようにもなったと思います。もちろんJのバスケット人生は、このままフェードアウトして終る筋書きなんかじゃないことだけは書いておきます。
第二章 「アメリカへの想い」

 まず第一章で、「日本代表に自信を失くしていた」と書いたにも関わらず、引き続きアメリカでプレーをしたいと思った理由について触れます。一言で言えば、「アメリカには(例え自分が下手で自信がなくても)楽しめて、夢中になれる“何か”があるから」です。Jがアメリカ学んだ言葉に「ポジティブ」というのがあります。「前向き、プラス」という意味ですが、多分それこそが全てを楽しめて嬉しむ秘訣だと思うのです。

 例え話を2つほど書きます。 まず、始めたばかりの選手がゲームに出て、ボールを受け取ったらどうすると思いますか? 多分、日本的な選手なら「焦ってミスする」とか、「慌てて見方にパスする」とかでしょ? でもアメリカでは明らかに違います。 殆どの人が、ひたすらシュートを狙って打ちまくるかな。呆れるほどに(笑) では、そこで周囲の反応は・・・・。日本だと「パス回せよ!」とか「下手クソなくせして何やってんだよ!」でしょう? でもアメリカでは「ナイストライ」か、ちょっと意地悪な人でも「オフェンス同様にディフェンスもガンバレよ!」くらいかな。 決して否定はしないのです。 時々、日本で生活していて、自分がやっていることを否定されない日ってあるかなー?なんて考える時があります。 「あっ、それダメ」、「違うだろ」、「何やってんだよ!」、「お前の考えは間違ってるよ!」みたいに。

  最近、チームではマークと絡むプレーが多いのですが、Jはあまりシュートが得意ではないので、Jが打つよりもはるかに確立の高いマークに対してピックにいったり、アシストのパスを送ります。すると、彼はそのたびに必ずJに笑顔でタッチを求めながら、こう言ってきます。「Nice pass J! Good job J! But you take it, If you want!」  だからJは次のチャンスに自分で打ってみる。 すると、入れば「sweet!」(甘いという意味ですが、スラングで誉め言葉に使う)と言いながら、タッチを求めてくる。また、外しても必ず「good try!」という言葉が戻ってきます。アメリカでプレーしていると、シュートにあまり自信の無いJでも、シュートへの迷いが無くなって積極的になれます。 逆を返せば「If you want」の言葉に象徴されるように、「自分がどうしたいのか?」という自主性を常に問われている感じで、自分が積極的にならなければ何も始まらないことに気づくのです。いつまでも試合でパスをし続けるJならば、きっといつまで経ってもシュートは上手くならない。 でも練習では毎日たくさんの打ち込みをしています。 それは何のためにしているのだろうか?? それは試合でバシッと決めて活躍するため、更には精一杯楽しんで、満足感や充実感を得るため!! アメリカはその事を教えてくれました。 本当に当たり前のことだけど、これに気づけたことは大きな収穫だし、アメリカっていう国に感謝です。

  つまりは大好きなバスケが大好きなままでいられる。または、もっと好きになれる環境があるのです。別にアメリカを特別視する気も無いし、イヤな部分もたくさんあるのだけど、スポーツに関しては寛大な国だし、実際に来て見れば、きっと誰でも感じることが出来ることだと思います。だから32歳になっても素直に学びたくなるし、いい刺激を受けながら何とか上を目指して充実した生活が送れるのです。

 最後に、「夢を叶える前に、まず“やってみる”を叶えることだよ by 純くん」 友人がくれたこの言葉、Jは大好きです。頭の中にある夢じゃ絶対に叶わないし、何も変わらないけど、やってみることが第一歩。 “やってみる”を叶えられない人は、残念ながら夢を叶える事もできいでしょう? Jは夢も大志もたくさんあるから、とりあえず今、“やって”みているのです。アメリカでプレーしているのは、ただそれだけのことです。「やってみる」を叶えるため、そして、自分の人生を楽しんで嬉しむために、借金こさえてまで?アメリカに戻ってきてしまうのです(笑) 好きなことに夢中になれる人生って最高に幸せだと思います。 自分が決めた道を自分で切り開いている人生は最高にエキサイティングで、満足感に満たされている。 Jは決して人より優れた才能を持つ特別な人間なんかじゃありません。 ただ、いつでも自分に素直でいたいし、そういう自分を好きでいたい。 バカみたいな話だけど、それがJのホンネです。

posted by J's Page at 00:00| J's体験記