皆さんこんにちは。私神保康広は、とうとう、いよいよ3月25日をもって、日本へ帰国をいたします。現時点では、来期以降のことも全く未定なので、これが一時帰国になるのか、完全帰国になるのかは定かでないのですが、今回は最低でも半年は日本に留まるため、車をはじめ家財道具等全てを処分しての帰国となります。そこで、今回は引越準備で経験した車の売却に関して書いてみたいと思います。
まず、日本で中古車は、通常中古車ショップを通して買うのが一般的なスタイルです。しかも、車検や登録手続きなどで結構な時間を要するし、車両代以外に諸費用なるものがバカにならない。でもアメリカでは全く違うし、とても簡単に済みます。例えば、中古車の売買は“個人売買”が主流で、中古車ショップの数も日本に比べれば少ないように思います。では何故か?というと話は簡単で、車が「高く売れるし、安く買える」からです。もっと分かり易く言えば、個人売買ならショップが儲ける中間マージンを省くことができ、売買者双方にメリットが得られるのです。しかも、ショップから買えば消費税(モントゴメリは8%)まで納めなければならいけど、個人売買はそれもなし。合理的なアメリカ人なら、個人売買を選ぶのは非常に良く理解できます。そのため、車の年式やグレードで調べる“中古車相場”の本や、インターネットでも、年式や走行距離、装備等を入力すると、その車の相場価格が計算できるシステムもあり、多くの個人売買で利用されています。ただし、事故車や程度の悪い中古車に当たることもあるので、個人売買はそれなりにリスクも覚悟する必要はあります。
それでは今回の帰国に際して、神保の車を売却するまでを例にして、詳しい流れを説明しましょう。まず、販売の意思を示す方法には、大きく分けて3つ。一つ目は新聞に広告を出して、電話でやり取りした後、実際会って車の確認や商談を進める方法。これは手頃な広告費(30ドル前後)と、購読者=利用者数が非常に多いことから反応も大きいのです。二つ目は、デジカメ等で撮った車の写真と値段や装備等の情報をワープロ打ちしたビラを作成して、大学内の掲示板や人が集まる場所に貼りまくるのです。そして最後は車の窓ガラスに「FOR SALE」と、「電話番号」を書いたタグを貼り付けて表示する方法です。今回神保は3つ目の方法のみを使って、販売活動をしました。また、販売者には神保のように車が必要で、そのまま乗りながら販売活動をしている人もいれば、どこかの駐車場や人通りの多い道に面した空き地などに展示しているケースもあり、町中いたる所で「FOR SALE」のタグを貼った車を見かけることができます。話が反れましたが、「FOR SALE」の表示を出した直後から、レストランやショッピングモールの駐車場、時には信号待ちなどでも、たくさんの人から声を掛けられるようになり、そのまま交渉へと入りました。自慢ではないのですが、非常に程度の良い車と、格安なプライスのため「即欲しい」という人は後を絶たなかったのですが、こちらの「現金に限る」という条件のせいで、なかなか買い手が決まりませんでした。
”FOR SALE”の表示を貼り付けた愛車のエクスプローラー
そこで、「帰国まで時間も無いし、慌てて売っても損をするだけ」との判断をして、モービルに住む友人に預けて長期戦で販売することを決めたのでした。しかし、モントゴメリからモービルへ向かう日の午後に、一件の電話が入ったのです。彼女は「数日前に追突事故に遭って、自分の車が廃車になった」そして、「大学へ通うのに車が必要だ」と。とにかく、とても急いでいる様子でした。訪れてきて直ぐに試乗をした後、彼女から「素晴らしい状態だし、価格も安い。是非売って欲しい!」と、購入を即決してくれたのです。そして、「現金を持ってくるので待ってて欲しい」との言葉を残して去っていきました。待つこと1時間、彼女は現金を持って現れ売買は成立したのです。何と、最初の電話を受けてから販売までに要した時間は、2時間足らずでした。しかも、神保が「日本にはモービルの空港から発つ予定なので、今からモービルの友人宅に行かなければならない」と告げると、彼女は「車を安く車を売ってくれた御礼に、私が送ってあげるよ」と、快く往復4時間も掛るモービルまでの道のりを、その日の晩に送ってくれたのでした。本当に素晴らしい個人売買の商談が経験できたし、お互いに気分良く売買ができたのでした。
次に引き渡しの手続きですが、神保は現金と引き換えにタイトル(所有者証)の譲渡欄に名前と日付とサインをして、鍵を渡すだけで完了です。この時ナンバープレートも外して車を渡したのですが、アメリカでは購入直後の一定期間は、特にナンバープレートがついていなくても普通に公道を走れてしまうのです。これも日本とは大きな違いです。彼女は後日、保険に加入してからライセンス取得のためオフィスで登録手続きをすればよいのです。この手続きは、申請書類とプレート代、プレートに貼るシール代(これは年に一度支払う税金で、車の値段によって異なるが神保は1年で70ドルだった)を支払えば、即ナンバープレートを貰えるのです。車検などの制度も一切無いので、いたって簡単に手続きを済ますことが出来るのです。しかしながら、当然古い車や調子の悪い車も多いので、道端には壊れて走らなくなった車がアチコチに止まっています。全ての管理・責任は、個人に任されているというのも、アメリカらしい感覚でしょうか。ちなみに神保が購入した時は、持ち主から1晩借りる約束をして、ディーラーでお金を払って全ての点検をしてもらい、“無事故、極上車”の確認をしてから購入したのでした。そのお陰で、“壊れるアメ車“のレッテルを覆す動きで、故障のトラブルは一切なしで2年間を過ごせたのでした。
ところで、ナンバープレートも“自由な国アメリカ”らしく、通常の物から各大学のデザインなど様々な種類が用意されており、登録オフィスで確認したら、普通自動車に付けるプレートだけでも約30種類ありました。また、お金を払えば自分のオリジナルナンバープレートも作ってくれるのです。ちなみに神保は普通のナンバーと車椅子マークのナンバーで迷ったのですが、アメリカ生活の記念になると思って、後者のハンディキャップナンバーを取得しました。これは記念に日本へ持って帰ります。
神保の車はハンディキャップ専用の
ナンバープレートでした。
アラバマ州標準のナンバープレート
アラバマ州立大学デザインの
ナンバープレート
アラバマ州立大学デザインの
ナンバープレート
アーバン大学デザインの
ナンバープレート
それと、その他の家財道具ですが、これについてはモービルの仲間たちへ“引越しセール”のEメールを送ったところ、殆どの品物を販売することが出来ました。“遠くの親戚、近くの他人”ということわざもありますが、買い取や処分に協力してくれた、モービルの仲間たちに感謝です。特にモービリアン2号には、彼の不要なものまで買い取ってもらったので感謝2です。夏以降に新しい留学生が来て、それらの品々が処分できることを願っております。
とにかく、そんなこんなで荷物の整理も全て終り、スッキリした気持ちで帰国を迎えることができました。気づいてみると全ての事(物)が、タイミング良く、きれいに片付いたのです。例えばダスキンの奨学金を得て、成田空港を出発したのが、丁度2年前の3月25日でした。そして、年掛けの海外旅行保険も切り良く切れたし、車や家財道具もきれいさっぱり処分(販売)できた。また、バスケの方も、1シーズン目がD2のベスト8、昨年がD2で全米優勝、そして今シーズンがD1参戦で、惨敗に終ったけども着実にステップアップをしてきたと思えます。そして、帰ったらすぐに風呂屋での活動も始まる。身体の故障や精神的な疲れから、全日本は辞退するという結果になったけども、今となってはとても納得がいく決断だったと思える。今は何もかもスッキリとした気持ちで、少しずつ次のことを考え始めることができている。果たして次のステップは・・・・。まだ自分でも想像がつかん。
今日は最後にちょっとかっこつけて、「友よ、アメリカよ、ありがとう!」 そして、「早く、居酒屋に行きてーーー!」