2002年03月25日

For SALE! 〜愛車よさようなら、アメリカよさようなら

 皆さんこんにちは。私神保康広は、とうとう、いよいよ3月25日をもって、日本へ帰国をいたします。現時点では、来期以降のことも全く未定なので、これが一時帰国になるのか、完全帰国になるのかは定かでないのですが、今回は最低でも半年は日本に留まるため、車をはじめ家財道具等全てを処分しての帰国となります。そこで、今回は引越準備で経験した車の売却に関して書いてみたいと思います。

  まず、日本で中古車は、通常中古車ショップを通して買うのが一般的なスタイルです。しかも、車検や登録手続きなどで結構な時間を要するし、車両代以外に諸費用なるものがバカにならない。でもアメリカでは全く違うし、とても簡単に済みます。例えば、中古車の売買は“個人売買”が主流で、中古車ショップの数も日本に比べれば少ないように思います。では何故か?というと話は簡単で、車が「高く売れるし、安く買える」からです。もっと分かり易く言えば、個人売買ならショップが儲ける中間マージンを省くことができ、売買者双方にメリットが得られるのです。しかも、ショップから買えば消費税(モントゴメリは8%)まで納めなければならいけど、個人売買はそれもなし。合理的なアメリカ人なら、個人売買を選ぶのは非常に良く理解できます。そのため、車の年式やグレードで調べる“中古車相場”の本や、インターネットでも、年式や走行距離、装備等を入力すると、その車の相場価格が計算できるシステムもあり、多くの個人売買で利用されています。ただし、事故車や程度の悪い中古車に当たることもあるので、個人売買はそれなりにリスクも覚悟する必要はあります。

  それでは今回の帰国に際して、神保の車を売却するまでを例にして、詳しい流れを説明しましょう。まず、販売の意思を示す方法には、大きく分けて3つ。一つ目は新聞に広告を出して、電話でやり取りした後、実際会って車の確認や商談を進める方法。これは手頃な広告費(30ドル前後)と、購読者=利用者数が非常に多いことから反応も大きいのです。二つ目は、デジカメ等で撮った車の写真と値段や装備等の情報をワープロ打ちしたビラを作成して、大学内の掲示板や人が集まる場所に貼りまくるのです。そして最後は車の窓ガラスに「FOR SALE」と、「電話番号」を書いたタグを貼り付けて表示する方法です。今回神保は3つ目の方法のみを使って、販売活動をしました。また、販売者には神保のように車が必要で、そのまま乗りながら販売活動をしている人もいれば、どこかの駐車場や人通りの多い道に面した空き地などに展示しているケースもあり、町中いたる所で「FOR SALE」のタグを貼った車を見かけることができます。話が反れましたが、「FOR SALE」の表示を出した直後から、レストランやショッピングモールの駐車場、時には信号待ちなどでも、たくさんの人から声を掛けられるようになり、そのまま交渉へと入りました。自慢ではないのですが、非常に程度の良い車と、格安なプライスのため「即欲しい」という人は後を絶たなかったのですが、こちらの「現金に限る」という条件のせいで、なかなか買い手が決まりませんでした。


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”FOR SALE”の表示を貼り付けた愛車のエクスプローラー


 そこで、「帰国まで時間も無いし、慌てて売っても損をするだけ」との判断をして、モービルに住む友人に預けて長期戦で販売することを決めたのでした。しかし、モントゴメリからモービルへ向かう日の午後に、一件の電話が入ったのです。彼女は「数日前に追突事故に遭って、自分の車が廃車になった」そして、「大学へ通うのに車が必要だ」と。とにかく、とても急いでいる様子でした。訪れてきて直ぐに試乗をした後、彼女から「素晴らしい状態だし、価格も安い。是非売って欲しい!」と、購入を即決してくれたのです。そして、「現金を持ってくるので待ってて欲しい」との言葉を残して去っていきました。待つこと1時間、彼女は現金を持って現れ売買は成立したのです。何と、最初の電話を受けてから販売までに要した時間は、2時間足らずでした。しかも、神保が「日本にはモービルの空港から発つ予定なので、今からモービルの友人宅に行かなければならない」と告げると、彼女は「車を安く車を売ってくれた御礼に、私が送ってあげるよ」と、快く往復4時間も掛るモービルまでの道のりを、その日の晩に送ってくれたのでした。本当に素晴らしい個人売買の商談が経験できたし、お互いに気分良く売買ができたのでした。

 次に引き渡しの手続きですが、神保は現金と引き換えにタイトル(所有者証)の譲渡欄に名前と日付とサインをして、鍵を渡すだけで完了です。この時ナンバープレートも外して車を渡したのですが、アメリカでは購入直後の一定期間は、特にナンバープレートがついていなくても普通に公道を走れてしまうのです。これも日本とは大きな違いです。彼女は後日、保険に加入してからライセンス取得のためオフィスで登録手続きをすればよいのです。この手続きは、申請書類とプレート代、プレートに貼るシール代(これは年に一度支払う税金で、車の値段によって異なるが神保は1年で70ドルだった)を支払えば、即ナンバープレートを貰えるのです。車検などの制度も一切無いので、いたって簡単に手続きを済ますことが出来るのです。しかしながら、当然古い車や調子の悪い車も多いので、道端には壊れて走らなくなった車がアチコチに止まっています。全ての管理・責任は、個人に任されているというのも、アメリカらしい感覚でしょうか。ちなみに神保が購入した時は、持ち主から1晩借りる約束をして、ディーラーでお金を払って全ての点検をしてもらい、“無事故、極上車”の確認をしてから購入したのでした。そのお陰で、“壊れるアメ車“のレッテルを覆す動きで、故障のトラブルは一切なしで2年間を過ごせたのでした。

 ところで、ナンバープレートも“自由な国アメリカ”らしく、通常の物から各大学のデザインなど様々な種類が用意されており、登録オフィスで確認したら、普通自動車に付けるプレートだけでも約30種類ありました。また、お金を払えば自分のオリジナルナンバープレートも作ってくれるのです。ちなみに神保は普通のナンバーと車椅子マークのナンバーで迷ったのですが、アメリカ生活の記念になると思って、後者のハンディキャップナンバーを取得しました。これは記念に日本へ持って帰ります。



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神保の車はハンディキャップ専用の
ナンバープレートでした。 
アラバマ州標準のナンバープレート


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アラバマ州立大学デザインの
ナンバープレート



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アラバマ州立大学デザインの
ナンバープレート 


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アーバン大学デザインの
ナンバープレート 




 それと、その他の家財道具ですが、これについてはモービルの仲間たちへ“引越しセール”のEメールを送ったところ、殆どの品物を販売することが出来ました。“遠くの親戚、近くの他人”ということわざもありますが、買い取や処分に協力してくれた、モービルの仲間たちに感謝です。特にモービリアン2号には、彼の不要なものまで買い取ってもらったので感謝2です。夏以降に新しい留学生が来て、それらの品々が処分できることを願っております。

 とにかく、そんなこんなで荷物の整理も全て終り、スッキリした気持ちで帰国を迎えることができました。気づいてみると全ての事(物)が、タイミング良く、きれいに片付いたのです。例えばダスキンの奨学金を得て、成田空港を出発したのが、丁度2年前の3月25日でした。そして、年掛けの海外旅行保険も切り良く切れたし、車や家財道具もきれいさっぱり処分(販売)できた。また、バスケの方も、1シーズン目がD2のベスト8、昨年がD2で全米優勝、そして今シーズンがD1参戦で、惨敗に終ったけども着実にステップアップをしてきたと思えます。そして、帰ったらすぐに風呂屋での活動も始まる。身体の故障や精神的な疲れから、全日本は辞退するという結果になったけども、今となってはとても納得がいく決断だったと思える。今は何もかもスッキリとした気持ちで、少しずつ次のことを考え始めることができている。果たして次のステップは・・・・。まだ自分でも想像がつかん。

 今日は最後にちょっとかっこつけて、「友よ、アメリカよ、ありがとう!」   そして、「早く、居酒屋に行きてーーー!」


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2002年03月18日

2001〜2002シーズン終了 〜最終戦の報告とシーズンを振り返って

  みなさんこんにちは。前回の更新から2週間が経過してしました。カキコ板には「週1回以上を目標」と書いたのですが、やはり厳しいですね。特にこの2週間はシーズン終盤の大事な時期だったし、何せ遠い所への遠征が続いて大変だった。でも実は先週の前半に更新できるように原稿を書いたんですよ。熱く語った原稿を! しかし、保存の手前でパソコンがフリーズしてしまいオジャンでした。結構時間と気合いを掛けて書いただけにガックリで、しばらく気合抜けしてたんですが、最後の力を振り絞って?書いています。

  まず3月1日から出かけたカリフォルニア州のサンノゼ遠征ですが。ここで報告したいのは2点のみです。一つ目はシーズンランキング2位のゴールデンステート・ウォーリアーズに5度目の挑戦で勝利をしたことです。彼らとの試合は初日も接戦の末8点差で敗退したのでしたが、翌日の試合では残り8秒で同点の状態から神保が決勝ゴールのランニングシュートをミス!!リバウンドを拾ったチームメイトが、フリーの選手にパスして、試合終了のブザーと同時にゴールが決まり、2点差での勝利でした。ヒーローは見方の選手に持っていかれましたが、この試合は今年一番の高ゲームだったかも知れません。

  二つ目は、半端じゃなく遠かったことです。バーミンガムからアトランタを経由してサンノゼまでは約8時間半。しかも、その間に中部・東部・西部時間と3つの異なった時間帯を経験したことです。それでも行きは昼過ぎに出て夜に着いたので、まだ良かった。帰りはもっとひどくて夜10時過ぎのフライトでサンノゼを出て、バーミンガムについたのは翌日の朝8時過ぎでした。実際には8時間程度なのですが、時差で2時間進んでいる関係で8時過ぎとなるわけです。とにかくゴールデンステートに勝った事と、長いフライトに疲れたことがサンノゼ遠征の思い出です。まあ、それでも夜間や最終日の午後は、サンフランシスコやサンタクルスビーチなどの観光名所にも足を運び、一応の旅行気分を味わったのですが、丁度カメラの電池が無くて、きれいな景色などの写真を撮り損ねたことは残念です・・・。

  翌週末は、シーズンランキングを元にタスキがけをした、最終トーナメントが全米各地で開催されたのです。日本の場合は全国各地のブロック予選を勝ち抜いた20チーム前後のチームが一同に会して“日本選手権大会”を戦いますが、アメリカでは各地区の上位から更に予選で4チームまで絞るのです。そしてD1及びD2の各4チームだけが“全米選手権”への切符を手に出来るのです。その代わり、大変名誉なことになりますし、選手の扱いも普段とは全く違います。例えばホテルもハイアットなどの高級ホテル。また、開催地主催のウエルカムパーティから始まり、観客席付きのメインコート1面のみで試合を展開。更には、全試合終了後はホテルに場所を移し、選手やスタッフはスーツやドレスに着替えて、バンケット方式のディナーパーティーとなります。また、その席で表彰式が行われるのですが、神保は昨年D2でこの大会に出場して優勝したので、本当にラッキーな経験をすることが出来たのです。

  話がずれましたが、この最終トーナメントでストームが乗り込んだのは、ノースキャロライナ州のシャーロットでした。ここへはチームバスで約7時間の旅でした。まず、1ラウンドは下位決戦でシャーロット・バズとの試合でした。この試合に勝てば次は大御所、便米ランキング1位のミルウォーキーと、全米選手権を掛けて戦うことが出来るのです。シャーロットのエース選手は、試合序盤から3Pシュートをバンバン決めて、前半は終始リードをされる展開でした。ストームもシューターの選手が踏ん張り、常時10点差くらいでゲームは4Qに突入しました。なかなか差が縮まらずに苦しんでいる状況を一変したのは、若干17歳の若きエース、ジェーミー選手の活躍でした。彼の3Pシュート2本を含む連続5ゴールで、一気に同点、逆転に成功したのでした。その後も接戦を演じて最後までもつれたのですが、残り8秒で“事件”が勃発しました

 相手チームが試合時間を止めるために、ファールゲームに出てきたのですが、ある選手がジェーミー選手に汚いファール行為をしたことで、もみ合いになったのです。しかも相手の選手がストームのスコットに向けてボールを投げつけたのですが、見事顔面にヒットしたせいで、乱闘状態となりました。スコットは口だけで決して手は出さなかったのですが、相手の選手からはパンチを受けて出血。会場は一時騒然としました。結局審判の判断でゲームは終了し、ストームの勝利となったのですが、何とも後味の悪い試合となってしまいました。また、この乱闘のお陰でスコットは次の大事な試合で出場停止処分となり、大きな代償を払うことになったのです。日本は審判に比べてアメリカの審判は非常に威厳があり厳しいのも特徴です。例えば選手が審判のジャッジに対して「マジかよー!」とでも言えば、すぐにテクニカルファールを取られます。また、今回のような乱闘でも、非常に厳しい措置を取るのです。

  次に挑んだのはミルウォーキー戦ですが、この試合は1Qで試合が決まりました。あっという間にダブルスコアーにされてしまいました。特にオールコートプレスを引かれると、高さもスピードも上のミルウォーキー相手では、シュートまで行くことが出来ないこともしばしば。神保も途中で集中力が切れ掛かったのですが、最後の試合になるかもしれないことと、ゲーム中に相手選手のウィル選手が、戦いを挑むようなチョッカイを出してくれたので切れずにプレーできました。ただ、後半ストームは全員参加型の“お情け“バスケになったので、神保は4Q途中からベンチで見学でした。結局60−118のダブルスコアで敗退し、ストームのシーズンが終了したのです。それと同時に神保もストームを去る日ことになったのです。アメリカはシーズンが終れば基本的に選手とチームの関係はなくなります。また来シーズン前の選手登録締切日までに”書類“を交わしたチームでプレーをすることになるのです。殆どの選手は基本的に同じチームとの更新ですが、神保は先に「断り」を入れてあるのでした。

  最後に今シーズンのD1初参戦を振り返っての感想なのですが、正直言ってアメリカ人の底力を思い知った感じはします。特にジュニアの活動が非常に素晴らしい結果をもたらしてることは確かでしょう。前にも書いたUTAで活躍する十代の選手については、あまりに大きな衝撃でした。神保は実際アメリカでのバスケを体験してみて、高さの無い日本でも勝つ方法はあると実感しました。しかし、それにはつくづく乗り越えるべき壁の多さも痛感しています。自分の年齢や環境のせいにはしたくないのですが、基礎をしっかり学ばずに育ってきたバックグラウンドや腰痛などの故障を抱えている現時点での状態では、一個人として限界感すら感じています。正直言って日本でプレーしているときに、自分の限界を感じたことはありませんでした。しかし、アメリカでの体験は自分を成長させてくれたことと同時に、大きな限界の壁を見せつけられたようにも思います。このような時、人間はどのような選択をしていくべきなのだろうか? 

  野茂選手がメジャー挑戦した翌年に出版している自伝にはこう書いてありました。「多くの選手(打者)はプロに入ると、自分の限界を知って、学生時代のスラッガースタイルを変え、バントや犠打に徹してでも、プロで生き残れるよう試行錯誤している」。しかし、彼は「自分のスタイルにポリシーを持っている」と。そして、彼の目から観て、「その精神を貫いているのがイチロー選手」とも書いています。それは、自分のバッティングに自信を持って、バットを振りぬいてくるスイングをしているからだそうです。だから彼は、どの投手から見ても非常に怖い存在なのだそうです。そして、昨シーズンはメジャーで大活躍をした・・・。

  話は脱線ばかりしていますが、神保は今、この限界ラインに対しどのように対処すべきかを悩んでおります。プレースタイルを変えてみるのか?全く同じ状態のままで少しずつ上り続けるか?はたまたバスケをやめて新たな目標に向かってチャレンジするのも一つの手段か??ただ、風呂屋で活動するのに心配は要らないと思います。若い選手もたくさんいるし、他にも出来ることや、しなければいけないことはたくさんあると思うから。でも世界進出(アメリカ活動や全日本)は・・・・?かな。この2年の米国生活は自分の人生において、確かにプラスになったと思うのだけど、大きな試練を抱えることになりました。これからしばらくの間は、身体のケアと今後のことについてじっくり考えていこうと思います。

 追伸
  これから帰国をしたら体験記はどうなるのか?と、心配してくれている人がいるかなー?(笑) でも心配はいりません。多分更新回数はぐっと減ると思いますが、続けていきたいと思います。例えば「第2弾ここが変だよアメリカ人」や、移籍問題に関わる途中経過、その他アメリカ生活での思い出などを、覚えている範囲でどんどん書いていこうと思います。もちろん今後の進路についても書きたいと思います。 でも、実は次回の内容は決まっているのですよ。きっと帰国前にはもう一度くらい更新できると思います。


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2002年03月05日

ここが変だよアメリカ人! 〜アメリカの良いとこ・悪いとこ・変なとこ

  さーて、今回も少しバスケやスポーツの話題から離れ、「普段の生活で感じるアメリカ」を書いてみたいと思います。得に今回は、その中でも神保が感じる“変だなー”という部分を中心に書きまくってみようと思います。

 まずはトイレの話題です。日本では“車椅子用トイレ”として別に用意してあるけど、まだまだ十分な数だとは言えません。だから日本だと未だにトイレが無くて困ることは多々あるのです。しかし、アメリカは基本的に一緒です。例えば、ガソリンスタンドや食堂のトイレはたいてい一つしかないけど、その一つがおおきくて車椅子で入れるようになっているのです。これは俺たち車椅子利用者にとっては、非常に助かることです。日本では携帯用トイレ(ビニール袋)と、お漏らしした時用の着替えが手放せなかった神保も、アメリカでは人並みのトイレ生活?が、送れていることは非常に大きな喜びの一つなのです。


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一番奥が車椅子対応で広くなっています。



 しかーし、それだけでは変な話にはならないのです。本題はこれから。通常男子は“大便“と”小便“で使う便器が違うのでが、アメ人はよほど自分の”モノ“に自信がないのか?小便器がたくさん空いているにも関わらず、個室に入って小用を済ます人が非常に多いのです。しかも、男は立ったままで用を足しますが、丁寧に便座を上げる人も少ないので、どういうことになるかは想像がつくかと思います。使用後はビチャビチャ・・。ということで、神保はいつもトイレに入ると、まず紙タオルを引き出して水に濡らして個室に入り、便座周りをお掃除してから使用するのです。この件で、ある日トイレの盗撮をして、チームのみんなに画像を見せながら質問をぶつけてみたところ、みんな「きっと”モノ“が小さいから見られたくないんだよ!(笑)」と、予想通りの答えが返ってきました。ところで、アメリカのトイレって、どこでもペーパータオルが付いているのです。 これに慣れるとハンカチいらずで便利なのですが、日本に帰った時に少々不便を感じます。が、紙の無駄使いになるので本当は無い方がいいかもしれないです。



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激写!個室で立ちションをする人です。
       ※つま先の方向を見ると、立っていることが分かりますよね?



 次は小銭を拾わないアメリカ人の話です。例えばスーパーのレジやフードコートなどで、支払いを済ませたあとに、お釣りなどの小銭を落としたとします。すると、日本人は例え1円でも落とせばたいていの人は拾いますよね?“1円を笑うものは1円に泣く”ということわざもあるくらいだし。しかし、米人の多くは気づいても拾わないのです。神保はこの2年で少なくても7回くらい目撃したのですが、拾った人は一人しかいませんでした。しかも、他の誰かが拾うのでは?と思い、しばらく床に落ちた小銭を観察していたのですが、とうとう一度も拾う人を見たことが無いのです。その理由は未だに解明されていません。きっとアメリカ人は太っている人が多いので、しゃがむのが面倒くさいのかも知れません。または、落ちたお金を拾うのはセコイと思うのかも知れません。日本には無い不思議な光景です。

 使い捨ての国アメリカの悲劇。実はアメリカに来て一番驚いたことが、この使い捨て社会です。正直言ってこの国の使い捨ては異常です。上で書いたトイレのペーパータオルもそうですが、キッチン用ペーパータオルの消費も半端じゃない! 日本のように布巾を洗って何度も使う人なんて皆無に等しいですから。それに買いもの用の紙袋やファーストフードの紙 or プラスティック食器なんて、何でもかんでも使うし、食べ終わるとそのままゴミ箱行きです。それだけなら日本でもあることですが、彼らの生活は家でも紙食器だけという人が少なくないのです。ある米人の友達宅では、普通の食器と使い捨ての食器を併用しており、毎日数十枚の紙食器を捨てています。理由は「食器洗いが面倒なのと、使い捨て食器が安いから」だそうです。例えば200枚入りの使い捨て食器(紙や発砲スチロール製など)で3ドル程度なのです。彼らの言い分は分かります。「皿洗いで毎日10分費やせば一ケ月で4時間になる。もし4時間働けば最低でも20ドルにはなる。皿は洗うより使い捨てた方が楽でお金を節約できる」というのです。考え方は理解しますが、この国にリサイクルとか環境問題なんて言葉は存在するのでしょうか?この国はとにかく物を消費し続けて、成り立っている国と言うのが実感です。合理的といえば合理的だけど、とにかく無駄が多い社会です。しかも、州によって多少の法律は違いますが、アラバマは電池もカンもビンも全て同じゴミ袋で捨てることができてしまうのです。そのせいか?川の水はどこも茶色く濁っていて、汚いし臭いです。

 さーーて、次は日曜日にお酒が買えない話です。これは州によって法律などが違うので、一概には言えないのですが確かジョージア州は日曜日にお酒類が買えない州だったと思います。ここアラバマは、州の法律では特に定められていないのですが、カウンティー(ある地域・郡)によって決まりがあり、買える所と買えない所が存在します。前に住んでいたバーミンガムは買えたんだけど、今住んでいるモントゴメリは買うことができません。店に商品は普通に並んでいるのですが、もしレジに持って行っても説明をされて引き上げられてしまいます。お願いすれば売ってもらえるかと思いきや、法律や決まりに対しては厳しい国で、絶対に売ってもらえないのです。では、何故売ってもらえないかというと、禁酒法やキリスト教徒の教えに対する名残りなどのようです。しかし、レストランなどで高いお金を払えば飲めるという逃げ道もあり、そこら辺がフェアーじゃないと思う部分です。

 次はちょっと良いことを書いておきましょう。ボランティアの国を象徴するアメリカの話です。例えば買い物などで、荷物を抱えて歩いていると「大丈夫?車まで運んであげようか?」と、声をかけてくれる人などはとても普通です。もちろんお願いすれば快く手伝ってくれるし、断ればすぐにその場を去っていくので、とても自然だし親切の押し売りも無いのです。また、デパートに入る時の大きなガラスのドアなど、日本では目の前に人が歩いていても、開けて待ってくれる人は少ないのですが、アメリカでは自分で開けることの方が少ないと思います。必ず見ている人や近くの人が開けて待っていてくれるのです。 アメリカ人ってこの辺は、とても自然でスマートな印象を受けます。

 最後にドカーンと書いてしまいましょう! 神保が2年間アメリカで生活をしていて感じた、本心で思う“アメリカ人”に対するイメージです。アメリカ人は普段周囲に対してとても親切で笑顔を絶やさず、一見素晴らしいと思うのですよ。が、心の中では自分さえ良ければそれで良いと思っている人が非常に多いし、日本人に対してはどこまで行っても最後は“ジャップ“なのですよ。ニコって笑って話しているからと言って、全てが本心ではないし信じてはいけないということも学びました。もちろんそんなのは日本でも同じかもしれません。でもアメリカではそれを強く感じるんです! ただ、アメリカを良く知る友人は「南部は保守的で差別感覚が強いし、特にアラバマはひどいから、この州を基本に考えない方が良いよ」と言っていました。確かに一部だけを見て判断するのは危険かもしれません。もちろんとても素晴らしい人達もたくさんいるし、一概に「アメリカ」と、ひとまとめにしてはいけないのかも知れないなーー。まあここで書いている事は、あくまでも神保の私的な考えであるということを書き添えたいと思います。出来ればみなさんも実際アメリカで暮らして、自分自身で感じて欲しいなーと思うわけです。
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