2002年01月31日

車椅子ラグビーでちょこボラ?〜観ているだけで首が痛くなる激しさ!

 前回の記事でも少し触れましたが、この間車椅子ラグビー(以下:車ラグ)の大会で記録等のボランティアをしました。大会の前の週末には、ジョージア州で車ラグの国際大会があったらしく、その流れでオーストラリアとカナダも参加していました。 

今回はめずらしく選手ではなく運営で携わったのですが、感想はというと「観ているだけで首が痛くなったので、自分でプレーしたいとは思えない」です。でも、本当に激しいぶつかり合いを観ていたら首が痛くなったんですよ。それをみんなに話したら、気の利いたジョークだと思われて大ウケしましたが、マジなんです。(苦笑) それと、ちょっと不満だったのが、車ラグはバスケのように、シュートクロック(ゴールクロック?)が無いので、勝っているチームがボールを持って逃げ回り、いつまでも時間稼ぎができるのです。結構そのシーンが多くて、バスケのようなスピード感が無かったのは残念です。ただ、終ってみれば32分の試合時間(8分間の4クオーター制)で、1ゴール1点計算にも関わらず、40点前後取るので結構得点は入っていました。

まず、驚いたことから書くと、とにかく車椅子が壊れること壊れること。基本的にファールは相手を手で押さえ込んだり、引っ張らない限りは殆ど何でもありで、車椅子にくくりつけた身体ごとガンガン相手に突っ込んでいきます。車椅子も戦車のように、分厚いアルミ板で全体を覆い、フレーム自体を強化しています。それでも壊れてベンチに下がる人は少なくないし、特にホイールはスペアが常時10本以上用意してある状態で、こちらもパンクや壊れて、バンバン交換していました。と言うことで、オ・カ両国のチームは専属の技術者(修理班)を連れていました。


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ラグビー用車椅子
 ※車輪用カバーもアルミ板で、ボコボコになっているのが分かりますか?


カナダのコーチは何処かであったような記憶がしたのですが、彼の方から話しかけてきてくれて、昨年までフロリダの車椅子バスケチームでプレーしていた人だったことが判明しました(アメリカ人です)。試合をしたことも1度ですがあったのです。彼にどのようなプロセスでカナダのコーチになったかを聞きました。でも神保の貧しい英語力のせいで詳しくは理解できなかったです。確か、最初は「自分の方から経歴書などを出して売り込んだ」というようなことは言っていました。また、カナダからは給料が出ていて、「他の仕事をしなくても生活していける程度の報酬」だそうです。日本の選手やコーチには、うらやましい限りですね。しかし、このコーチは少々マナーが悪かった。試合中は怒鳴ってうるさいし、汚い言葉でモンクは言うし、周囲の人達からは冷ややかな目で見られていました。

 ちょっと気になったのが障害の程度に応じて決まる、“クラス分け“です。というのも、このラグビーは上半身にも障害を持つ、主に頚椎損傷者(首から下の神経麻痺者)のスポーツなのですが、上腕の筋肉バリバリで車椅子バスケの選手より速いのでは?と思うような選手もいるのです。まあ、そのために”クラス分け“があるのですが、きっちりと障害のレベルを分けることが困難で、若干公平性に欠けるところが、全ての障害者スポーツの問題点でしょうか?

 その中で神保の目に止まった選手は2人。一人は我がレイクショアのクリフ選手で、彼はレイクショア財団でも殿堂入りを果たしている、米国車ラグ界のスターです。身体の状態も悪くて、手のひらは殆ど動かないのですが、肘下から指先までをテーピングでぐるぐる巻きにしてプレーしています。しかし、彼は速いのなんのって、半端じゃないです。しかも、大抵の選手は楽をしてコートの中央を行ったり来たりしているのですが、彼はコートいっぱいを使ってジグザグに走り回ります。また、ボールを追うときの目は野獣と化していて、とても素晴らしいアスリートだと思いました。もう一人はオージー車ラグ界のトロイ・サックス、ブレッド・ドゥローリー選手です。(トロイは車椅子バスケで有名なプロ選手ですが、ブレッドはトロイと雰囲気が似ているので勝手に神保が名づけました)彼は、見た目もトロイに似ているけど、ワンマンなプレースタイルもそっくりなのです。ちなみにオージーは彼がチーム得点の半分近くをGETしていました。彼に話を聞いたら、そんな彼でもプロではなく普段は仕事をしているそうです。彼のスポンサーは車椅子メーカー1社のみで、お金のサポートはないそうです。 更に話すと彼は日本の車ラグ大会に招待されて、日本に行ったことがあるそうです。しかも、神保の古巣、庭だった千葉! そんな彼は杖もなしに歩ける、かなり状態の良い選手でした。彼いわく「でも俺は頚椎損傷で、上半身にも機能障害が残っているだ!」とのことです。


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オーストラリアのエース、ブレッドとのツーショット(会場はモントゴメリ)


 日曜日は決勝までの順位決定戦があったのですが、同じ会場のレイクショアでジュニアバスケットボールチーの合宿がありました。両方から手伝いを依頼されたのですが、ラグビーの手伝いを断ってジュニアとバスケをしました。当たり前のことですが、ボランティアにしても優先順位はバスケが一番です。興味のあるバスケの方がやっていて楽しめるし、充実感も得られるから。ところで、そのジュニア選手の中に大学進学を控えている選手が3人いるのですが、我がレイクショアは全米ナンバー1のジュニアチームだけに、それぞれ幾つもの大学から奨学金等も出る好条件のオファーがきているそうです。まず、エースで全米ジュニア代表選手のジェイミー君。彼は車椅子バスケチームを持つ、全米中の大学からオファーを受けていたのですが、「本命にしていたイリノイ大学は、学力レベルが高すぎて勉強がきつい」との理由で断り、ウィスコンシン州立大学に決定したそうです。次にクラス1の有望株で、神保が思うに近い将来必ずや全米代表選手になりそうな、ジョシュ選手は学力も高いらしく、順当にイリノイ大学進学を決めたそうです。あとの一人は問題児だから・・・・・。



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レイクショアとカナダの決勝戦(会場はレイクショア)
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2002年01月28日

地元大会“パイオニアークラッシック”レポート〜それでも勝てない理由(わけ)

 みなさんこんにちは。今週末は遠征が無かったのですが、クワドラグビー(車椅子ラグビー)の大会が、モントゴメリとバーミンガムにまたがって2会場で開催されているため、モントゴメリ会場でタイマーやスコアの手伝いです。オージーとカナダのチームも来ていて、そこそこ盛り上がっているのですが、やっぱり見るのもバスケの方が面白いかなーなんて思いながらやっています。

さあ、今日は先週末に開催された地元大会“パイオニアークラッシックと、その前夜にアトランタのウエスト・ジョージア大学で開催されたダラスとの試合を報告です。

まずはアトランタ。アメリカに戻って翌日の木曜日(17日)、当初相乗りで現地に向かう予定でしたが、集合時間を間違えて一人で行くことになってしまった。しかも、情報は大学の名前と試合開始時間だけです。日本だとちょっと不安になるのですが、ここはアメリカ!道に迷うこともないだろうと、慣れっこの神保は一人で車を走らせた。案の定3時間ほどで無事到着し、体育館に入ると驚く事に観客がいっぱい。聞いてみると毎年恒例の行事らし、会場にはく千人ほどの観客とテレビ局が待っていたのでした。

アメリカではどんな試合もたいてい国歌斉唱が行われるのですが、この試合も例外ではなかった。日本人に比べると、アメリカ人の祖国や国旗に対する愛情は異常なものかもしれない。以前読んだ本に、日本人は天皇行事やマラソン大会などで、日本国旗をたくさん振って騒ぐくせに、行事が終るとゴミ箱に捨てて帰ってしまう。その光景を見た外国人が「いったい日本人は何を考えているのか?」と言ったそうだが、確かに日本には愛国心なんて存在するのか疑問かも。神保は大会で何度か日の丸を背負わせてもらったけど、特に最近はその喜びを表現するために、車椅子も髪の毛も日の丸を意識しているし、必ず日の丸のステッカーも入手して貼りまくっている。我ながら結構愛国心の強いこと気づく。

試合内容を書くのは辛いので、下のパイオニアークラッシックレポートでまとめて書きます。とりあえず、スコアは確か94対76だったと思います。得点を見ても分かるように、今シーズンから採用されたNBAルールのお陰で、試合時間が40分から48分に延びて、試合によっては100点ゲームも珍しくなくなったのです。

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さーて、あまり触れたくないけど今シーズン初の地元戦となった、“パイオニアークラッシック”のレポートです。実はこの試合、日本代表チームもエントリー予定だったために、各チームにもその案内が行っていました。最終的には世界選手権の選考合宿と近かったことから、時間や金銭的な問題でキャンセルになったのですが、会う人会う人に「何で日本は来てないんだ、楽しみにしていたのに!」と言われました。結構みんな興味があったみたいです。その代わりと言っては何ですが、掲示板の書き込みにもあったように、モービルという街から日本人の友達が3人応援に来てくれました。この場を借りてありがとう!

試合の方は、初戦で角上のテネシーを10点以上話して楽勝したんです。この時はみんな良く声も出ていたし、それなりに頑張って走っていたので、当然と言えば当然の結果が転がり込んできたのですが、正直なところ個人的には「やれば出来るくせに、毎回しっかり走ってくれよ!」と、ちょっと不満でした。というのもアメ人は勝手で、試合の展開も全く気にせず、自分の調子でポンポンとシュートを放っては、「ジンボー、リバンド!」、「ジンボー、ヘルプ」と、お願いばかりしてくるんです。(笑) それでもチームに良い兆しが見えてきたので、翌日の試合が楽しみでした。
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2回戦はダラスとの試合でした。が、しかし1Qで30点以上取られて試合が決まりました。みんなダラスということで緊張していたんだと思うのですが、DFも戻りが遅く前日とは偉い違いです。何本の速攻を許したことか・・・・。また、相手チームの選手は体つきからして違います。まさにアスリートという感じの筋肉質で無駄のない身体です。目的や目標の高さが全く違う感じです。残念ながら太刀打ちできる相手ではないのでしょう。また、以前から我がチームのコーチはシュートが入る選手や自分の好みで選手を使う傾向があったのですが、地元戦のせいか、この試合では更にそれがはっきりしていました。そのせいか、神保もベンチにいる時間が長くなったのですが、数人の選手には理解できないことでした。D1で勝負する最低限の条件として、走れること(スタミナ・スピード・パワーを合せて)が必要だと言うことは誰もが理解すべきことです。結局50点取っても80点取られるという悪循環が続き、ダラス戦では120点近く取られて大敗したのです。敗者復活戦のアーカンソー戦でも、接戦こそ演じたものの敗退しました。誰が見ても勝てるゲームを落としたという感じで、正直言って腹が立ちました。が、多分自分はシュートが良くないという理由でベンチの時間が長かったと思うので、何も言えません。もっともっと練習するしかありません。

そして、ついにはこんな問題まで起こってしまったのです。多分神保が思うに、我がチームでD1の選手に一番ふさわしいと思われるテディー選手が、シーズン半ばでチームを去る決断を下したのです。とても残念なことですが、「試合に出られず生き地獄にいるよりは、家族とゆっくりしたい」と、いう彼の言葉に反対することは出来ませんでした。また、その問題に絡んだチームミーティングでは、「テディーはわがままだ!」とか「オフェンスをどうしたら勝てるか?」などと検討はずれのことばかりで、正直言って呆れました。神保は「もっと一生懸命DFしないと勝てないよ!」と言い放ったのですが、今後もどうなることか・・・・・。だからこそ思うことは、勝つという言葉を口にする前に、もっと走れ!練習しろ!!と言うことです。我がチームはとても良いチームです。しかし、練習や走ることを嫌う選手が多いのです。いかにチームワークが良くても、シュートが入っても、これでは限界が容易に見えてしまいます。多分我々はD2にふさわしいチームなのでしょう。

今週は木曜日から4日間、ケンタッキー遠征が入っています。実はパイオニアークラッシックの時に「何故今期移籍しなかったの?」と、他チーム数人の選手に聞かれました。そして、来期の移籍話を持ちかけられたのです。また、昨日は「今週末のケンタッキーで、移籍の話をしたい」と、違うチームの選手からE-mailを貰いました。今のところ来期のことは全く考えていないのですが、そろそろ考える時期になってきたのかも知れないーと思う今日この頃です。

つづく


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2002年01月25日

久々の全日本合宿に参加してきました!〜 高い意識を持つ人たちとのバスケは楽しかった!

 実は、1月2日から約2週間、全日本の強化&選考合宿に参加するために一時帰国をしていました。飛行機の予約が2日しか取れなくて、予想外に世間で言う“正月休み”中に帰国することになったのですが、合宿の前は家で正月番組を観たり、雑煮を食べて、3年ぶりに日本らしい正月を過ごしました。

確かしかこの前に参加した全日本の合宿は一昨年の夏以来ではないかと思います。そこで、まずは久々に参加した全日本の合宿について書いてみたいと思います。

今回の開催場所は大阪府舞洲にある障害者スポーツセンターでした。ここは、体育館やプールなどの施設の他、ホテルと同等以上の快適な空間を提供する宿泊施設も完備された、日本で最も優れた、障害者対応施設の一つです。いつもこういう施設で大会や合宿が出来ると本当に助かるんですが、今の日本にはなかなか無いんですよねー。

さて合宿初日、朝から新幹線と在来線を乗り継ぎ、なんとか一人で集合場所にたどり着きました。そうそう、「日本って交通(特に電車)の便は非常に良いなー」と実感したんですが、未だに荷物用エレベーターや駅の裏口からの出入りをさせられるあたりに多少の不満を感じました。それでも毎回電車に乗るたびに改善の跡が見られるので、もっと車椅子諸君は電車を使ってみてはどうかと思うわけです。

体育館へ行くとすでに殆どの選手が集まって着替えや練習の準備に掛っていました。そこで、強烈に感じたのは「異様な雰囲気」でした。別に仲間はずれにされている訳ではないのですが、なんとなく仲間に入り難い壁を感じたのです。以前の合宿で、よく初めて参加してきた選手が、いつも端の方でコソコソと行動しているのを見かけては、「もっと積極的に混じろう!」と言っていたのですが、久々の合宿参加で感じたこの雰囲気に、「初めて参加する選手の誰もが感じていた空気なんだろうなー」と、改めて実感しました。でも、すぐにたくさんの旧友?たちが話しかけてくれたので、図太い神経の神保はすぐに馴染んじゃいました。

練習メニューの内容も、依然とは全く違っていて、最初は戸惑いの連続でした。いつも「声」だけは誰よりも一番出している神保ですが、初日はさすがに戸惑うことが多くて、持ち前の元気と声出しもイマイチ。トレーナーのマッチ氏にも、「いつもより声が出てないよ」と指摘され、気を取り直して2日目以降は意識して声を出しました。今回は、あえて細かい練習メニューは書きませんが、やはりバスケは頭を使わないと出来ないし勝てないと言うことだけははっきりしました。今もコーチから教わった新しいドリルを紙に書き写して、忘れないように見ていますが結構ヤバイです。(苦笑) それと、何はともあれ、勝つために個人がするべき最低限の条件として、走り(スピード、パワー、スタミナ、クイックネス)と、声出しが重要ではないか!と、ご提案させていただきます。(特にこれを風呂屋のメンバーに、声を大にして言いたい!)

今回の合宿の感想を、一言で言うとしたら「めちゃ楽しかった!」かな。選手は全日本代表の座を目指して、常に高い目標を持つ人たちばかりなので、気分的にワクワクしてくる感じを覚えました。もちろん選考合宿なので、楽しんでばかりいてはいけないのでしょうが、でもキツイ中にも楽しさを感じることが出来るバスケって結構久しぶりに感じたんですよ。正直に日本のバスケも楽しいなーって思いました。まだ選考の結果は知らないし、どうなるかも分からないけど、改めてトップでやりたいという強い気持ちを再確認することができたので、これからも常に上を向いて前進あるのみです。

うーーーん、次にアメリカに戻ってから初のホームゲームとなった、先週の大会の模様を書きたいと思ったんだけど、ちょっと決着がついてないことなどもあるので、次回に持ち越しとさせていただきます。

つづく
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2002年01月10日

我がストームD1初参戦〜序盤の苦悩

 昨年9月の下旬、まだテロ事件から10日程しか経っていない中、神保は日本へ一時帰国を決行しました。そして、日本で移籍した風呂屋チームでの活動や、諸々の雑用を済ませて再渡米・・・・、しかし、またテロの影響で帰りの日程が変更となり、今シーズンから始まる、D1での初遠征をキャンセルせざる得ない状況になったのです。しかーも、試合の結果は3連敗、黒星スタートと報告を受けて「早く戻ってチームに参加しなきゃ!」と痛感したものです。

 さて、11月下旬に再渡米して待っていたのは、困難なことばかり。

 まず、米国で居候中だったコーチ宅は、コーチが奥さんとの復縁をきっかけに、引っ越してしまい無くなっているのです・・・。自分はいきなりホテルやら、コーチの知人宅を点々とする不安定な暮らしが始まりました。また、その間に日本でひいた風邪が悪化し、米国で初めて病院にかかるるという状況にもなったのです。更には、追い討ちを掛けるようにチーム状況も問題をかかえていることが発覚し、渡米した2年間で初めて「荷物まとめて日本に帰ろうかなーー」と思ったりもして・・・

チームの問題・・・・・・

 昨シーズンD2で優勝した我がストームは、今シーズン前D1参戦に向け、選手みんなが、変化をしていました。例えばある選手は夏にダイエットをして、10キロ以上も体重を落として身体の切れを取り戻しました。他にも練習中の気合は半端でなく、簡単なシュートミスやパスミスをすると、「俺たちはD1プレーヤーだぞ!」と選手たちが、高い意識を持って、実践さながらの緊張感を感じたものです。しかし、現実はとても厳しかったのです。現時点の成績は6勝6敗の五分。が、NWBAのランクでは10チーム中、9位にランクされています。4位以下は本当に接戦なのですが、試合でのスコアや、格下のチームに負けている(D2との交流戦でも1試合負けている)ことなどが影響してのことです。

 D1でのゲームは非常にタフです。どの試合も接戦が多く、精神的にも、肉体的にも疲労感が大きい。そこにきて若干年齢層の高い我がチームの選手は、中盤以降になると崩れ始めるのです。そして、点差が開くと数人の選手から「コーチの采配が悪い」とか、チームメイトのミスを指摘するようになるのです。その上、「俺はD2の優勝で満足だったんだ!」という選手まで現れ、最悪の状態となったのです。しかも、ある選手からは「他のD1チームに俺とジンボが誘われてるから、来期は一緒に移籍しないか?」と、シーズンが始まったばかりにも関わらず移籍の話です。

 これから先どうなることか、全く検討もつきませんが、コーチのフレッドは「このチームがまとまれば、決して弱いチームではないのに・・・」と頭を抱えています。自分もチームが結束すれば、ファイナル4に進める可能性は十分あると感じています。今期だって選手間の結束力があれば、10勝2敗程度のペースでもおかしくないと思っています。それは、やる気のある選手やコーチも認めています。それをどのようにして一つになるかが大きな課題です。とにかく前途多難なD1のスタートとなりました。

 ところで、この夏に移籍した選手の数は非常に多かったようです。実は神保が春に誘われていたテネシーのチームも、主力選手2人が移籍していました。しかも、そのうちの一人は「俺と一緒にプレーしよう!」とか、「お前がいれば勝てるよ!」とか、調子の良い事を言って誘ってくれてた奴です!そういうところを見ると、アメリカ人って、本当にドライだなーという印象を受けました。

 ちなみに今期、現時点で1位は昨年の覇者ゴーデンステート(カリフォルニア)と、今期初参戦の新チーム、バックス(ミルウォーキー)です。特にバックスは全米代表4選手とカナダ代表3選手をリクルートして、ぶっちぎりの強さを見せています。

 さて、色々とネガティブな話題を愚痴っぽく書いてしまいましたが、せっかくD1での経験を無駄にしないためにも、今は自分自身のプレーに集中するよう心がけています。再発した風邪のせいで、少々出遅れて身体の切れも本調子ではありませんが、これから春に向かって調子を上げていきます。

 これからの予定ですが、全日本の合宿が終ったあと、アラバマには16日の深夜に戻ります。そして、時差ボケも解消できないまま、翌早朝にはアトランタへ移動して、ダラスとのリーグ戦です。また、その晩には地元に戻り、翌日からは週末3日間をかけて、D1が8チーム、D2の上位4チームが集結しての、ビッグ・トーナメントが開催されます。その後もテネシー、ケンタッキー、ラスベガス、サンホゼ、など全米中への遠征を経て、4月上旬のファイナル4を目指します。まあ今のところ、我がストームはノーマークの超ダークホースですよ・・・・。

 最近感じるんだけど、風呂屋もストームも結構似てると思うんですよ。例えばスーパースターはいないけど、基本的にはチームワークが良くて、結構イケてるチームなところ。でもたまに脱線して問題が勃発するところなんかもそっくり。それにプレイスタイルも結構似ている。ちょっと頼りないけどでっかいのが3人と、速攻が得意な選手がいたり、選手を信頼してくれているコーチがいるところも。うーーん、どっちもなかなかいいチームで、個人的にはとても愛着を感じています。

 次回は全日本合宿と地元大会の結果報告をしたいと思います。また、近い将来画像等も取り入れて、更に詳しくお伝えする予定ですので、こうご期待!だから、是非うちのHPを”お気に入り”に入れてちょくちょく遊びに来てください。
※みなさんの感想や掲示板への書き込みお願いします!
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2002年01月05日

米国の車椅子バスケを説明しましょう。〜NWBA(全米車椅子バスケット協会)情報

 まず、簡単にNWBAを説明すると、デビジョン1、2,3(以下D1、2,3、)と女子、ジュニア(18歳以下)の5つのカテゴリに分かれています。その年によってチーム数などは、かなり変動があるのですが、今年はD1が10チームで、D2、D3、女子、ジュニアを合わせるとたくさんです。(笑)実は一昨年の登録上では200チーム以上あるのですが、実際に活動しているチームは、はっきり言って分かりません。何せアバウトな国ですから。それと、未だ日本には存在しないジュニアチームも20チーム程度が活動しています。また、確かNWBA傘下には入っていませんが、更に下のジュニア(概ね12歳以下)のカテゴリもあり、もちろん全国大会もあります。

 試合形式は、今年からD1がNBAルールを採用。それ以外はNCAA(大学リーグ)のルールを採用しているのです。また、持ち点制度も国際ルールの14点制ではなく、12点制でクラスは1,2,3点しかありません。しかも、身障者手帳なる物も存在しないので、健常者でもクラス3で参加できます。というか、本来は参加できないのですが、「足が悪い!」と言張れば認めざる得ないようで、暗黙の了解で参加しています。更には試合中のジャッジも全く違い、ラフなプレーは大歓迎。いつだったか、試合中に「さっきのファールじゃないの?」と聞いたら、国際審判員でもある彼は「国際ならファールだけど、アメリカだとOKだよ!」と笑っていました。どれもこれもバスケを面白くするためのルールだと思うのですが、このように国際ルールを完全に無視して、我が道をいく米国の姿勢は何とも米国らしいと思うわけです。

 シーズンは基本的に10月下旬から翌年の4月上旬までとなっており、夏の間は全く練習がありません。選手は自主トレをするか、テニスやマリンスポーツなど違う競技に熱中します。チーム練習もマチマチですが、我がストームの場合で9月上旬からスタートして、最初の一月が走りこみ中心です。そして、徐々にシステムやゲーム形式の練習が増えていき、シーズンが始まった後は殆ど実践を想定した組織的なプレーの確認を何度も繰り返し行います。これはとても重要だけどつまらない練習なので、選手のみんなはブーイングです。(笑)

 D1への参戦資格もはっきりしておらず、やる気と実力と資金があると認められれば、新チームでも参戦できているみたいです。正直言ってその辺の取り決めやルールは、NWBAの役員になっている我がチームのスコットに聞いても、「その時によって変るのではっきりとは言えない」とのことです。この国では、そんなことはあまり重要ではないようです。

 次に優勝までの道のりを説明しましょう。基本的にはリーグ戦と、各地で開催されるトーナメントに出場し、その勝敗などを元にNWBAが定期的に各デビジョンのランキングを出します。それによって3月頃に行われる最終トーナメント表の位置が決まっていくのです。例えば1〜4位まではシード、それ以外はランキングの順に割り振られていくという具合です。D1は全米規模で活動するので、遠征地も全米各地となりますが、D2以下は地域によって、4地区に分けられているので、その地区での遠征がほとんどです。

 1シーズンに消化する試合は、チームのやる気や財政状況によって変りますが、だいたい25試合から40試合で、基本的に練習試合なるものはありません。シーズンが始まれば、全ての試合はランキングに影響してくるのです。

 先ほどから”チームの財力”といことを何度か出しましたが、基本的に米国ではスポーツをするのにお金を払うという感覚は無いようです。どのチームもスポンサーを持っており、ユニホームから遠征費までチームが負担します。もちろん部費を払うこともないし、我がチームは結構しっかりした財団がサポートしているので、遠征中のチームディナーもお酒以外はスポンサーのカードでお支払いです。もっと強いチームや財力があるチームは、選手をお金でリクルート(NWBAでは違反行為となりますが、みんなやっている)したり、お金が絡んだ動きが活発です。

 まあ、お金を払ってリクルート・・は行き過ぎとしても、日本での活動でもサポートしてもらうためのスポンサーは絶対に必要かなーと思うわけです。そのためにチームが出来ることや方向性なども、風呂屋のキャプテンである森本氏と、常に話し合いながらスポンサー獲得作戦も展開しております。

 最後に、今季D1への参加登録チームは下記の10チームです。

1、ダラス・マーべリックス(テキサス州)
2、ゴールデンステート・ウォーリアーズ(カリフォルニア州)
3、ミルウォーキー・バックス(ウイスコンシン州)
4、デンバー・ナゲッツ(コロラド州)
5、シャーロットー・バーズ(ノースキャロライナ州)
6、ミュージックシティー・ライトニング(テネシー州)
7、UTA(テキサス州立大学アーリントン校)
8、U of I(イリノイ州立大学シャンペーン校)
9、オースティン・ワーカース(テキサス州)
10、レイクショア・ストーム(アラバマ州)

※米国でも大学の車椅子バスケチームは数が少ないので、大学リーグとNWBAの両方にエントリーする事ができるのです。ちなみに海外選手はカナダが断トツで多く、10人くらいいると思います。他にもオーストラリア、メキシコ、スウェーデンなどの選手がプレーしています。
つづく


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